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初めまして、梟です。建築設計を背景に色々なことを楽しんでおります。twitterのアカウントを作ってみました。 https://twitter.com/ulula_design

マガジン

  • 日常、エッセイ

    梟の日々のエッセイ

  • 短編小説的な日記「異郷」

    脚色に脚色を重ねたものに誇張を塗りたくった梟の日記。

最近の記事

異郷 02

この日の日記には、私が「異郷」で働くことになった経緯が書いてあるのだが、それは、省略させていただく。今重要なのは、みなさまに「異郷」について知ってもらうことだからである。日記の続きに戻る。 →梟について →短編小説的な日記 →前回「異郷」異邦人の喫茶店01 異邦人の喫茶店02 –ススキノのビルの谷間を彷彿とさせる薄暗くおぞましい廊下の先には、下の方からオレンジ色の濁った光がちょろちょろと滲み出た扉が見える。1階には他に2、3の部屋がある様だが、辛うじて文明的な活動が見ら

    • 異郷 01

      異邦人の喫茶店01  私が喫茶店「異郷」でアルバイトをする様になってから5年が経つ。「異郷」と私の出会いは、大学へ入学した当初の純粋無垢の化身の如きこの私を、変わり者のレッテルをそこら中からかき集めるような人間にするべく、何者かが仕組んだものに違いない。 ここ喫茶店「異郷」は、北海道札幌市のとある2階建ての雑居ビルの1階に陣取っている。5年もここに通った私には、今更この場所について新鮮な目で観察することは叶わないので、当時の日記を一部抜粋することにする。 –ビルの外見は

      • 短編小説的な日記

        梟は何処へ行くのでも必ずモレスキンのメモ帳を持ち歩いている。ハードカバーのそれは、何処でもさっと開き書くことができる。彼は、出先で見たものをスケッチしたり、思い付いたアイディアを書き留めている。そして、1日の終わりにはその日の出来事を日記として記録している。 しかし、この日記に問題がある。1日の出来事を振り返って書くにしては、膨大な時間と思考が費やされたそれは、日常を遥かに逸脱したものとなっている。 特に、彼のアルバイト先である「異郷」に関するものは彼の精神状態を心配するほ

        • 頭大仏

           頭大仏は、梟の尊敬する建築家の一人である安藤忠雄氏による設計だ。 所在は、北海道札幌市の真駒内霊園。高さ 13.5m 総重量 1,500tの大仏をラベンダーの丘で覆い、あろうことかその頭だけを出すという大胆なプロジェクトは、いかにも安藤氏らしく、見るものを圧倒する。アプローチから頭大仏までの135mの道のりには、水庭やトンネルなど、訪れた者の歩みと共に移り変わる景観があり、様々な空間体験を与えてくれる。 北海道の自然は広大である。 その美しさの中に日本人が忘れてきた豊かな

        異郷 02

        マガジン

        • 日常、エッセイ
          3本
        • 短編小説的な日記「異郷」
          3本

        記事

          砂浜の生命体

          目を輝かせてテオ・ヤンセンの作品集を眺めていた梟は、暴飲暴食の限りを尽くしたバックパックを背負うと、生命体を作るとだけ言い残し、部屋の外へと飛び出した。 Theo Jansen and Strandbeest テオ・ヤンセンとストランドビースト テオ・ヤンセンとは、オランダ出身のアーティストだ。物理学をバックボーンに、アートと科学を融合した作品を作り出している。

          砂浜の生命体

          彼は日本人だから

           梟はよく写真を撮っている。 その写真のいくつかを見せてもらったことがある。 その殆どが、どこか薄暗く陰のあるものであったり、薄っすらと霧に包まれた様なものばかりであった。その理由を尋ねた所、彼は何も言わずに、ベッドの横にそびえ立つ塔達を一瞥した後、机の上に目下建設中のものから一冊の本を取り出した。 (画像:仁和寺

          彼は日本人だから

          三人称的な自己表現

          「初めまして、彼の名前は梟です。」  思案を重ねたどり着いたこの一文は、私のnoteの発信における核心を表している気がする。恥ずかしがり屋な私は、私を客観視することで現れる”彼”を通して様々な思考や出来事を徒然なるままに綴っていく事に決めた。  新型コロナウイルスの流行により、世の中がざわついている今、梟はおうち時間を持て余していた。何かを始めたいという漠然とした衝動に駆られた彼は、その何かをnoteに求めた。そこには2つの理由であり目的があった。  1つは、自己表現能力

          三人称的な自己表現