「だが、情熱はある」第4話感想。

"ガチンコ!"を演じる

なんといってもこの回衝撃的だったのがガチンコ。当方30代前半であり世代でもあります。でもほぼ観たことないけど。
局の壁を超えて実際の映像を織り交ぜているのがモキュメンタリー的でもあってかなり面白いし情熱を感じる。
とにかく誰かが怒ってテロップとナレーションが煽って燃えてて…というイメージに沿って、ヤンキーを演じる足軽エンペラー。
番組が求めている事を勝手に解釈してやっているようにドラマとしては見える。でも結局勝ち上がっていったのはネタが面白かった部分が大きい気はする。このキャラ付けは作用していたかどうかはドラマで全く描かれていない。
こんなことやらなくても勝ち上がる事は出来てたんじゃないか?と思ってしまう。

オーディションでビビりながらも二人で何とか演じようとする辺りはひたむきで、なんか可愛げがあって良かったのだが、まさかの合格してしまってから一変、勝手に演技プランを変更する山里のいやらしさ。
でもこれ実は和男君を非常識キャラ付け(=ボケ)して、山里が常識で諫める(=ツッコミ)という形式になってて、ある意味では和男君を立てる事になってたりする。
まあ漫才では勿論山里がボケるし、そもそも保身の為なので、なにかの気づきになる事は無かったが…。
和男君も、この時はひたすらに怒ったフリを続けていた訳だ。山里の指示で。

優勝した時、家族は見ているが、食堂でご飯を食べてるお客さんは意に介していない、というのが象徴的。世間からの注目度は高くなかった。
ただ、お父さんの「これで就職する・・・よな?」と一般企業への就職の道に疑問が生じ始めるのは一つの変化だと思った。
優勝は優勝で、これも一つの結果だったのだ。あたしはガチンコ見てませんでしたけど。

講師がコウメ太夫なのに笑った。ただのおじさんにしか見えないのが講師という役柄としてはハマってて面白かった。実際はオール巨人師匠という大物で、「パンパンやな」という一生擦られるネタが爆誕していたわけだが…。

また幼少期の話をする若林父。
喧嘩に勝って帰ってきた…というのは勿論嘘。勝ったフリをして帰ってきただけ。それに騙される親父も結構チョロいというか、そのやり取りをやりたかっただけなんだろうな。
足軽エンペラーの出演しているガチンコを観ているときに、おばあちゃんから「見入ってたね」と言われて「そんなことないよ」と一度本音を抑えた後に、「やっぱりすっごい見てた」と本音を言う…という流れの中で、親父に嘘をついたと事実を語るのが良い。
本当に思っている事を語ら(れ)なかったり、誤魔化すのも嘘の一つ。
本当はこうなりたい、と足軽エンペラーの活躍を見て感じ取っている。あの時嘘をついて帰ってきた若林は、本気でもう一度挑みに行きたい、という情熱をお笑いに対して抱えているのだ。
世間からの注目は低かった足軽エンペラーだが、ここに絶大な影響を一つ与えていた、という構造が、二つの視点がクロスするという意味でもそうだが物語としても非常に上手だと思った。

そこからの、たりないふたり解散してからの二人の公園でのトーク。
あの時ブラウン管の中の存在として憧れていた存在に「もう、ぶち殺してやろうかと思ったよ!!」と(誇張した)本音をブチかます若林。
そしてそれを、ガチギレとして言われるのではなく、フリとして本当の怒りを言われる、という芸として(多重構造すぎてなんて言えばいいかわかりません)対応する山里。
若林の夢が実現したね~という以上に、本音を交えたトーク芸が出来る二人がそこに映し出されていた。
このシーン、初見時は急に大声出す若林の感じとか山里の所作とか笑い方とかあまりに似過ぎてて、感動を通り越して軽く引いた覚えがある。
最終回を終えた後だと、それを見て笑ってる島さん、という短いカットも大事なカットだな~と思った。

モノマネ

ものまねパブの前説として働き始めるナイスミドル。
自分自身の漫才を披露するが聞いてももらえず、シビれると聞いて見に行った楽屋には漫才とはかけ離れた光景。多分若林はこういう衣装着て被ってなんかやるっていうのは苦手なんだろうな。
いくらつまらなかったり、自分の見たいものとかけ離れていたとしても、おしぼりを投げつけて野次を飛ばすなんて、そんな治安悪いのか当時のショーパブ。そんな事せんでも、会場が静かになるだけで芸人にとっては十分ダメージを受けると思うのだが。

不動産屋で相手にしてもらえない若林。敷金礼金というワードの被せが面白い。
楽屋で本を読んでいたら、そんな奴売れない、と怒られる若林。だいぶ理不尽に聞こえるが、山里も同じ事言いそう。
対して、怒られてもカレーを食い続けると、皆に笑って貰える春日。
さっき自分を怒った人がステージに立つと自分達に冷たかったお客さんは大盛りあがり。
職場を得ても居場所は得られず、春日にすら自分は劣っていると感じてしまう。
今回でショーパブという社会にようやくデビューした若林だが、こうして世間から全く相手にされないという孤独感を味わうことになってしまう。
ここは前回まで描かれ続けている事であり、ステップアップしている部分もあるし、その分苦悩が大きくなっていく所でもある。

モノマネというのはすでに確立されている誰かを真似することで笑いを誘ったり、感動を誘ったりする芸である。
今何者でもない誰でも、誰かを演じて、何者かになりすます芸であり、その芸を通じていつの間にか自分自身が何者かとして確立されていく。
本人を真似するというより、モノマネ芸人の真似をする、というのは日常的にある光景だと思うのだけど、それは一つの例だと思う。
そう考えると、ここに居る芸人達は皆誰かを演じる事で何者かになっている人達なわけだけど、実はこれも業界や社会の縮図の一つなのかもしれない。
家でぐーたらしてる自分、会社で働く自分、友達や恋人と居る自分、全部同じではないし、それぞれ気合を入れて切り替えている人も居ると思う。

足軽エンペラーはヤンキーと常識人を演じて(それのお陰かはわからんが)ガチンコでは注目された。しかしそれが終わったら注目される場所を失った。モノマネでもない、ただのヤンキーのマネで挑んだ企画、その名声も優勝の真似事に終わった。
その後の山里の行動というのも、ヘッドリミットになりたい、天才になりたい、という何者かになりたい、という行動であり、文字通り自分を見失っていると言える。

ナイスミドルはモノマネのショーパブで漫才をやって客からそっぽを向かれた。客から求められた仕事を出来なければやっていけない、社会の厳しさの一旦を味わい、同時に、ここも今の自分の居場所ではないと、若林は感じてしまったと思う。
業界でやっていくには、素の自分と、もう一つ何か確立した自分がいなければならない、というのを対比として描かれていた一回になっていたと感じる。

…そもそもドラマや演劇というものも何者かを演じているものであって、特にこのドラマに関してはモノマネに近いものを取り入れてるわけで。
その中でこういう話を作るのだから、このドラマの多重構造な部分、本当に奥深いです。

本当の怒り

自分が天才という役を演じる為に他人を天才じゃない役に落とし込んできた山里。前回のコンビの終末期と全く同じ光景になっているのが最早切ない。人は過ちを繰り返す。
和男はついに真似事ではない怒りを顕にする。
面白いのが、ドラマでは明かされなかったが、実際の和男君は元ヤンキーだったらしく、ヤンキーキャラというのも半ば本物だったという事。
それが本気でキレてしまったのだからその表現も凄い事になり、自転車を当てはしないけど投げ飛ばすという変な所で理性が効いてるキレ方。
優男からのキレキャラという所に清水尋也というキャスティングの理由を存分に感じた。怖かった。

和男君の怒りを経て自分を見つめ直す山里。
なんやかんやでしっかり答えにたどり着けるのも山里なんだなって思うし、だからこそここまで上り詰める事もできるんだろうなと思う。
静寂の中でメールで言葉を重ねて、消してしまう、という演出が寂しくて良かった。
言っても無駄と思ったのか、言い訳がましさが自分で嫌になったのか、色んな解釈はあるけど、とにかく事実なのは、山里はそれを伝えられなかった、という事。
読み上げるノートと、読み上げないメールというのも対比として効いてる。

解散ライブ後、それでも山里の情熱を褒め称える和男君が優しすぎて泣ける。清水尋也のちょっと泣きそうだけど力強い感じ、森本慎太郎の情けなさ悔しさの滲み出る涙が最高に良かった。

本当の顔

自分がモノマネって言ってしまえばモノマネなんだ、(どうも、◯◯ですって言うやつはホントにその象徴だよな)ということでアメフトモノマネをやり始めるナイスミドル。
今でこそ、細かすぎて伝わらない、とか、あるあるネタというのが芸として浸透していると思うが、当時はそうでもなかったと思う。
やってることも微妙に今のそれとは違ってるというか、半ば自暴自棄にタックルをやり続けるナイスミドル、というか若林。
怒りが爆発する和男君とクロスしてくるのがとても良くて、今回は山里と若林がリンクするのではなく、むしろ和男君とリンクしていて、それが現在の山里に「ぶち殺してやろうかと思った」と言い放つ若林のシーンと言葉にも繋がってて、かなり面白いズラし方だった。
親父に恥ずかしいと吐き捨てられても、自分が負けたと言わなければ負けてないんだ。

タニショーさんとの出会い。今更言わずもがなだが、マエケンこと前田健の事である。
「みんな死んじゃえって顔してる」と初対面で言い放つタニショーさん。若林の本音を引き出すでもなく、見抜き言葉にする初めての存在。
こんな運命的なやり取りと出会いが本当にあるというのが、実話物の面白い所なぁ。

ピンでやっていく山里。衝撃のイタリア人。イタリア人に謝れ。
天才ではない、と自覚した先のヤバいピン芸。天才を演じず、天才ではない人間も作らず、これが本当の山里…とまでは言わないけど、この現状というものがその一端なのかもしれない。
そしてそれが、図らずとも、新たに見抜く人間の目に止まり、「ぶち殺してやろうかと思ったよ!!」と爽やかに言われる居場所へと繋がっていく。

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