「だが、情熱はある」第1話感想。

前提として、
・「たりないふたり」に関する作品は見ていない
・というかこの二人がコンビを組んでいた事も知らなかった。
・山里亮太も若林正恭も面白い芸人だと思っているけど、ファンという程ではない。
南海キャンディーズはブレイク当時のネタ番組とかは結構見てたけど、最近は自分が見る機会としては多くないか。
オードリーは比較的よく目にしてるかも。単純にレギュラー番組が多いのだろうけど。スクール革命とか好きなので。
・河野英裕プロデューサーのファンである。
・でも「泳げ!ニシキゴイ」は全く観ませんでした。
という人間の書いている感想です。
実話ものというジャンルでもあり、勿論背景として捉えてはいきますが、あくまで一つのドラマとして、考えた感じた事を文章化していくだけですので、ご了承ください。

再現と共感

まず思ったのが、マスクの扱いがまさに直近の現代劇、という感じで好き。

予告編の時点でも言及している方はたくさんいらっしゃって、私も同様でしたが、その上でも本編始まってすぐに刻み込まれたのが、主演二人の完成度。
見た目から入りつつ身振り手振りも喋り方も完璧な森本慎太郎演じる山里亮太。メガネ上げるカットとか完全無欠すぎる。
顔は高橋海人なのに、動き出すと途端に若林正恭になってしまうマジックのような高橋海人。陰のある表情の相変わらず見事な明暗演出からのテンションが上りきらない喋り方とか細やかさがスゴい。

二人ともモデルとなる人物を知っているから、そこに再現という形での完成度を見てしまうのだが、ただ一人の鬱屈とした陰キャ、ただ一人のまだ何者でもない人間、という造形としても、どこまでも再現された演技となっていると思う。
ほぼ実話と言えど、それぞれを一人のキャラクターとして捉えていっても、全く説得力はあるドラマになっていくのではないか、と思える第一話だったと思う。

具体的に共感する場面としてはもう冒頭の居酒屋で顔合わせをしたはいいが色々考えすぎて二人共オーダーできないどころか一言も喋れず、共通の知り合い(プロデューサー)が来た所でその人を介してようやく声を発する、という所。
色んなニュアンスがあれど、知らない人と話せないという点では全く違いはなく、知ってる人ととりあえず言葉を交わそうとする感じすげーわかる。
他にも失恋と称しているが、実際に具体的なアプローチは何一つ出来ていなくて、失恋も何もなく土俵にも立てていない失恋エピソードとか、私の人生と殆ど重なる部分もあった。

「なんの参考にもならない」とナレーションで形容されていたが、現在の二人という、ある意味での結末を思うと、ここから繰り広げられる一筋縄ではいかなかったのであろう物語に共感を覚える事は間違いなく、勇気のような、励みのような、何かを貰う事はできるのだと思う。
それが「二人共良い理解者がいて良かったね…」という妬み嫉みであっても、それこそが、山里亮太という男の原動力であったということがこれから描かれていくのだろうから、すごく包括的?なメッセージ性を兼ね備えていると思う。

再現という点では知ってる範囲の人間の一人である春日の再現度もすごい。でも学生時代から既にというか、素でそんなキャラだったのか…?
戸塚純貴の演技力はさすがのもので、同プロデューサーの「ブラック校則」に続いて高橋海人と近い立ち位置での再共演。「ブラック校則」でも二人のやり取りは短時間ながらかなり完成度が高かったので、個人的にかなり嬉しい点。今作でもその見事な間は据え置きで、それを考慮したキャスティングだったのかもしれない。
こうなると、しずちゃんの方にもかなり期待がかかる。

再現は時代を感じるという所でも面白くて、共学だけど校舎ごと男女分かれて生活してて、文化祭がそういう催しとして設計されてる学校とか、ほんとにそんなことあるの??という感じ。今もそんな学校あるのかな…。今だったら定員割れしそう。

ちょっと気になったのは、冒頭のナレーションがちょっと蛇足というか、喋りすぎなように思えてしまった。無くても全然成立するような演出とか編集ではあったと思うし。
それがこのドラマの作りという所はわかるのだけど、後半は控えめになっていったので、最初からそのくらいの配分が良かったな、と。
自意識過剰っていう言葉も、提示されたエピソードと微妙に繋がってない気がする。

負の感情

当時弱かった阪神の応援を止め、勝つチームを応援したくて近鉄に乗り換えようとした若林少年。好きな物が勝つのを待つのでなく、勝ってる物を好きになる、というのは子供心としてわかる部分でもあるけどそれ以上に、自分が応援し始めたら負けるっていう感じ方をしてしまったのかもしれない。俺が応援すると皆こうなるのかな、何も好きにならない方がいいのかな、っていう気持ちは共感してしまう所。この辺はちゃんと自意識過剰への道筋になってると思う。
高校時代の若林父の言葉は仕事が続かない者の戯言で、皆固定観念に囚われ過ぎだよ~と言ってる張本人がむしろ一番囚われてる典型的なヤツ。
でも幼少期の阪神を好きでいろ、というのは勝ち負けとか損得にこだわらずに自分の好きなものを好きでいろ、という所で良い言葉だったと思う。ここで「死ぬぞ?」と言わなかったのも、診断が適当だった事がわかった後だから、という意味以外にも、好きを通せるならそれでも良い、というニュアンスを感じ取れる。

高校生若林の言う「勝ちも負けも無い世界」というのは、無いというより、そこへ飛び込まないとか、逃げているとか、無かったことにしているというのが実際に近い所だろうか。
おそらく幼少期から飾ったままだった阪神の帽子と近鉄の帽子は、勝ちと負け、結局どちらも選べ(ば)ず、どちらにも属していない事の象徴になっている。

そんな所に現れたのが「C」と大きく書かれた赤い帽子。カープと"勘違い"したが、実際はメジャーリーグのシンシナティ・レッズというチーム。実際調べてみると相当似てる。…読売の帽子の隣に置いてある辺り、この店も勘違いして置いてる可能性があるか?
見知っているものかと思ったら実際は全く違う存在。考えてもいなかった方向性。という所で、ラグビーの格好のまま様々なスポーツに打ち込んだり、襟足を攻め続けたり、ラグビーに打ち込んだり、有り余る青春を爆発させて模索していく。
この、阪神と近鉄どちらでもない第三の赤い帽子は気づき、あるいは、芽生えの象徴、キッカケになっている。

面白くなろうとする男

早すぎる、あるいは、短すぎるモテ期を経て、「すごいねえ」という言葉で育てられた自尊心。ヒコロヒーのヤンママ?もハマりすぎている。
なんかこの「すごいねえ」というのも今の芸風に通ずるものを感じる。否定の言葉をあまり使わず、皮肉っぽいツッコミを入れる感じとか。
しかし幼少期のサッカーボールをカッターナイフで切るエピソードを見て笑いつつドン引きする。まかり間違えばただの犯罪者になっていたのではなかろうか。それ言い出したら大概の人間はそうかもしれんが。

この第一話を見る限りは、少なくとも学生時代はためちゃんという友達の存在が物凄く大きかったんだろうなあと思う。父親が最初から「面白くないのに?」と否定してきて、母親もいつもの「すごいねえ」でかわしてくるのに反して、芸人への夢も努力も否定せずに見守っててくれて、面白い、とも最初から言ってくれてて。("時々"を強調するの普通に笑った)
若林にとっての春日もそうだが、こういうメンター的な存在は羨ましく思う。
ためちゃん、常になんか食ってるけどそれも再現なんだろうか。

モテたい、からスタートした芸人への道ではあるが、この回の間に実際に大きく変化している事の一つで、尚且つドラマの作りとして面白いのが幼少期のキスのエピソードの扱い。
序盤ではモテたいあまりに、自身の「モテたエピソード」としてキスをされた事をためちゃんに話しており、それに対してためちゃんは「時々面白い」と評してくれている。
だが"面白くなりたい"という気持ちと努力を掲げて臨んだ喫茶店でのトークでは、「モテたエピソード」というハリボテを捨てて「実は罰ゲームという扱いでキスをされていた」という種明かしをして、むしろ「モテないエピソード」として完全に笑い話として話し、その結果好きな子にもためちゃんにも「(時々ではなく)面白い」と言わしめている。
言うて自虐ネタでもあるし、振り向きはしたけど結局恋愛としては成就しなかったので「モテ」という意味では切なくて、しかしためちゃんの言うように、いわゆる「モテ」ではない「格好良い」姿になっていて、終わった後の表情が物凄く絶妙だった。
これは、"昇華"という言葉が国語的な意味でも、本当にそのまま適用される出来事で、不順な動機で始めたものがいつの間にか本当にやりたいこと、好きな事になっている、というありがちだけど、とても素敵なエピソードになっていると思う。
自分なりに練習してひたむきに努力を重ねていくというのもなんかスポーツ漫画っぽい。桜木花道みたいだ。

EZ DO DANCE

二人が気づきを得てがむしゃらに打ち込んでいる所で流れるまさかのEZ DO DANCEのT字路sカバー。
なんでこんなにバチバチに合うの?っていう歌謡曲やら何やらを引っ張ってくる事に定評のある河野Pではあるが、このような変化球は初めてだったと思う。今後も同じ演出を取るのであれば、ぜひ、最後にはそれを集めたサントラをリリースしてほしい。
歌詞も「欲しい物はいつだって 不意に襲う偶然」とか内容にドンピシャすぎてすごい。

俺は面白くないからあ

意に介さず一票を得てしまった若林。全然内容は違うけど、私が小学生時代に他人に修学旅行の班長に選ばれてくちゃくちゃになったトラウマを思い出したりした。
一票を得たという事は、すなわち選挙という名の戦い、勝ち負けのある土俵へ上がってしまったという事。
しかも投票したのは馴染みのないメガネの同級生。そんでもって彼はバカにされた事が相当悔しかったようで、「若林は面白いんだよ!」と仕切ってる子を殴ってしまう。
よーく見ると序盤の襟足を切ってるシーンでメガネくんがその光景を見ている…ように見えるので、彼はそれを見て面白いと思ってくれたのかな?(実際のエピソードは知らないけど、演出としてそう受け取れるように見えた)(それを面白いと思うのも中々……まあいいや)

好きなものや、その感情を押し通せない気持ちというのは、実は若林が幼少期から感じていた、体感してきた事そのものであり、なんとこの場において若林はそれを自身が感じるのではなく、自分を応援してくれた誰かに感じさせる立場になってしまったのだ。
ここの光指す教室と反するように影をまとっている若林の表情がすごい。
なんかノリでえらい大乱闘になっている所に、羽が舞い、眩しい光が指す画が美しい。そこへ両手を広げて飛び立つ若林。そして叫ぶ。
この時若林は初めて敗者になれたんだと思う。
仕切ってる、今で言う所の陽キャ達のあさーい感じがとってもグッドで、切ないけどそこまで悔しさも感じられない、良い塩梅になってると思う。
…とはいえ、自分のために起こった争いを見て、若林が何も感じていないはずもなく…という心の声を代弁しているかのような、山里の叫びのクロスオーバーが熱い。

俺は自分の事を面白いと思ってるんです

あくまでモテたいという言葉を扱いつつも、そこには「すごいねえ」と囃し立てられるものではなく、自分の言葉で、自分の意志で「自分を~思っている」と宣言する、ダンコたる決意。
若林の抑圧を選ぶような言葉と相反する台詞であるが、思いとしては同じで、これ以上無い自分への可能性を信じられた瞬間だったんだと思う。

それに対して浴びせられる、今までと違う「すごいねえ」も背筋が寒くなる冷静というか冷徹さを持ってて、怖いけど、おだてるのではない本音に近いニュアンスを出したというのは、かわさずに向き合ってくれた、という事でもある。
…それにしても親父と違って話聞いてくれるんじゃん、良いお母さんだな~と思った所にこれだったから背中から刺されたような気分になりました…。

鳥と亀

「俺は何を見ていたんだろうなあ」
結果として若林はクラスで一番面白いヤツには選ばれなかった。
しかし選んでくれた人間がいる。それはその人の勘違いだったのろうか?
確かなのは、そこに感情は確実に在る。四本脚の鳥を描いたように、シンシナティ・レッズの帽子を選んだように、抑圧しきれない気持ちがあるように、無かったことにはならない。

「ここから元に戻れる亀って居ると思う?」
ひっくり返った亀を描いた進路希望用紙をひっくり返すと、芸人の文字。というとんちの効いた演出が秀逸。
あと、ひっくり返った亀を仲間が助けてくれる動画があったなあ、と思って検索してみるとたくさん出てきた。
まだ相方には出会っていない山里と重ねて見えたり。

…本当にぶっ倒れたの?!という所で「たりないふたり」への視聴意欲も刺激されるオチ。山里さん、その目は単に神妙な面持ちしてるだけなんだろうけど、こんな状況でも羨望の眼差しを向けているように見えない事もないと思ってしまった…。

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