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ゴジラ-1.0雑感(ネタバレありです)

ネタバレありの記事なのでご注意ください。


山崎貴監督作品「ゴジラ-1.0」を公開日にIMAXレーザーで鑑賞してきました。
私の中では「概ね好評」といった感じで、めちゃくちゃ興奮しましたし、もう1回IMAXで観たいとも思っています。
ただ、同時にこの人の作風は基本的に肌に合わないだろうな、という感触も随所で感じ取っていました。
(山崎監督の作品でまともに観た事があるのは「ドラゴンクエスト ユアストーリー」だけなので、山崎監督の事は全然語れない人間なのですが)
そういう賛と否をまとめておきたいと思ったので雑感として書かせていただきます。

大破壊と大海原

戦艦を短時間で破壊していく過程の描き方、銀座の大破壊、蹂躙される市民。
とにかくこの描写が抜群過ぎる。おそらくミニチュアや模型は使っていなかったと思いますが、終始ハリウッド映画にも劣る事のない品質のCGや合成でゴジラや戦艦、町並みが描写されていて、怪獣映画として本当に満足度の高いものになっていました。
ゴジラが加えている電車の中でぶら下がる典子をアップから遠景にワンカットで見せるとか、テレビクルーがビルの壁面ごと落下するだとか、そういったいかにもな映像もガンガン見せつけてきて、
一方で着弾した放射熱線による爆炎に照らされるゴジラ(と市民とカメラに迫りくる爆風)の神々しいショットも備えていたりして、観たかったものは本当に全てお出しされたと思います。
夜間のシーンが冒頭のみで、ほとんどの間日中のシーンになっていたのも非常にポイントが高かった。

更に、今作はハリウッド版含めて近作であまり観られていなかった、海のおける戦闘やゴジラの描写がふんだんに盛り込まれていたのは、最大の特徴の一つになっていたと思います。
クライマックスも海上戦とあって、東宝プールも彷彿とさせる絵作りはファンとしても嬉しく最近なかった事として新鮮にも感じたし、単純にゴジラのスケール感を表す為にも良い手法でした。
近くに来ると魚が浮いてくるっていうのもパニック映画的で面白いギミックで、どんどん魚の数が増えたり大きいものも浮いてきたりするというのが細かくて素敵でした。

ゴジラについて

シンゴジラ同様、一作目に近いような形で、神々しさがありつつも、とにかく動物が暴れているだけというようなテイストがとても良かったです。
特に戦闘機を目で追ったり手を伸ばしたりするゴジラが蝶々でも追いかけてる犬猫や小動物のようでとてもキュートでした。
背びれがガションガションする放射熱線のギミックもかっこよかったです。随分機械的な機構だなと思ったけど。
キノコ雲が上がるのはGMK同様でそれを更にスケールアップしたような形で脅威感が非常に強くて好みでした。最後までそのスケール感を失わなかったのも良かった。

ただ、冒頭のまだ核実験の影響を受ける前の小さいゴジラの描写について、こういう要素をあっさりと出せるのはゴジラSPしかり、シンゴジラの作った土壌なのかもしれないけど、描写があまりにただのパニック映画のそれだったので、ちょっと戸惑いを覚えました。
演出として受け入れる事はできても、核実験の影響で生まれたものでもなく、そもそもあんなのが普通に存在してるってのが、設定としてとても腑に落ちなかった。戦後の日本の物語、という所で浮きすぎているというか。
特に島の住民は普通に目撃してるっぽいのが…。まあ、熊みたいなものだと思えば良いのかな…?
怪獣映画のリアリティラインなんてそんなもんと言われればそれまでだけど。

サントラ

全体的に感情を先導する感じのサントラは洒落臭かったのですが、ゴジラのテーマや伊福部サウンドの扱いはとても良かったと思います。
銀座上陸で流すタイミングは完璧だったし、海上戦でも二回目流すのか!と思ったらそのままキングコング対のオープニングに移るという、VSデストロイアのエンドロールのセットリスト。感じ方は人それぞれでしょうが、自分の中ではこの流れが、苦闘する戦艦とその乗組員の描写とバチバチに決まっててかなり良い選曲だったように感じました。

上澄み

ひとまず良かったと思ったのは、ビキニ環礁での水爆実験の描写をガッツリ直接的に出してきて、結局ハリウッド版では歯抜けになっていた要素をしっかりやってくれたこと。これこそが邦画ゴジラの最大の役割なわけで。
敷島カップル?の再生と復興を希望たっぷりに描いてそれをゴジラにぶち壊させるというのはとても素敵な発想だったように思います。
…反面、放射熱線の爆風がもろに来るような距離に居た上に黒い雨も浴びたハズの敷島がフツーにお家に帰ってフツーに暮らしてたりするのがお粗末だなあと思う所なのですが。
ガイガーカウンターでゴジラの位置を測るのは面白かったし、除染の描写も取り入れていたのに、こういう所にまでこだわれないのはフツーに残念です。
シンゴジラのクライマックスで、作戦参加者が全員防護服を着ていた事とか思うと、もうちょい何か工夫が欲しかったです。

ワダツミ作戦についても、おそらく戦後日本で撃退する方法として実際に公証した上で考案された内容なんだろうけど、わざわざ浮上させるという点が…。絶対生きたまま浮上してくるじゃん、とあまりに展開が見え透いている。
そんな説得力の欠けた作戦概要からすかさず滑り込んでくるのが「民間でやったろうぜ!」という下町情緒的ななにかの延長のような団結。
この絶望的な状況をどう打開するのか、というのが本作の肝の一つであったように思うので、その答えが結局ロジック不足で男臭い団結で有耶無耶になったのはかなり残念で、ある意味予想通りだとも感じた点でした。

実際に運用されるワダツミ作戦も、途中で浮かせきれない時点で作戦は崩壊してるのに、何故か浮かせる事が目標にすり替わってて「民間の船が助けに来たぞー」ってダンケルクみたい!って一瞬思ったけど流石に誤魔化しきれねえよって思いました。
それよりこのシーンで、山田裕貴の無邪気キャラは他のキャストみたいなクサさがなくてすごいなと思った。あのクサさは演出のせいなんだろうけど。
戦闘機で自爆特攻はポリピクゴジラでやってたなあってちょっと懐かしくなった。

ヒロイン典子について、内助の功は当時の描写として良いにしても、作劇として敷島のトラウマや戦いに注目が行き過ぎていて、典子の心情や心理に関する描写が乏しく、ただただ敷島を献身的に支え続け、その末に敷島の覚悟の切欠として死ぬという、時代設定を考慮しても、今作られる映画としていわゆるジェンダーロールがあからさま過ぎやしないかなあ、と感じました。
女性キャストも極端に少ないし、陽気な蔵之介が「典子ちゃんの気持ちがなあ!」って男に掴みかかる感じとか、典型的なホモソな映画になっちゃってると思います。
典子に関しては登場シーンこそ勝ち気な女の子って感じだったのに、なんで急速にしおらしくなっちゃったんでしょうか…。
シンシリーズにおける庵野さんのヒロイン造形もあまり好きじゃないんですが、グイグイと前線に出ていく役柄はとても良かったので、そこは全く退化しているのは残念でした。
浜辺美波という役者の起用に関しても、庵野さんのが断然上手だったように思います。

んで急にラストシーンの話になりますが、
まず、典子が生きていたという展開。
典子が生きている事自体はとても良かったと思うんです。敷島が特攻する事の意味を根底から否定する事になるからです。
ただ、やはりあの描写で五体満足で生きていましたはかなり無理があるし、戦争という描写の観点からも、都合よく生きて帰ってきた、は無神経にも感じる。
全く消息を知らないというのも無理があるような気がして、それも時代設定というご都合主義の煙に巻かれている気がしてならない。
(そもそも彼女の死が戦う切欠になるという展開自体がいらんと思っているので、結局生きてましたで終わらせるくらいなら死んだ事にしなくても良かったのではないか、という考えに至っている)

次に典子の首筋に黒い物が見えてるヤツ。
例えばシンゴジラの意味深なラストカットは、そこまででゴジラは進化し続ける存在、環境に合わせて姿を変えている、ゴジラという圧倒的な個を人間は群として倒した、といった要素からゴジラは次は人間大に変異(進化)しようとしていたのでは?なんて想像したり考察する楽しさを得られるわけですが、今作はそういった布石や伏線の類ってありましたでしょうか?
何か後遺症とか火傷の跡とかかと思ったけど、顔がきれい過ぎるので辻褄が合わない。
まさかのゴジラ細胞?どこでなにがどうなったんだよ。与太話が過ぎる。

そして再生し始めてるゴジラ。
まあそんなこったろうとは勿論思ってるけど、なんていうか、皆こうやってるからやりましたって感じで何の発想も辻褄合わせもなく、取ってつけた感が物凄くて、何の感慨も覚えませんでした…。


という感じで、かなり面白く観てたハズなんですが、後から思い返すと全体的にゴジラとかの色々と上澄みを掬ってる感がすげーんですね。
なんというか、究極に必要十分、及第点な映画だったなあと思いました。

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