「だが、情熱はある」第2話感想。

二回目の感想記事だし、あくまでドラマの感想ですが、一応、実在の人物の事を悪く言ってしまっている事になりかねないので、先に謝っておきます。すみません。
色々論争はあると思いますが、ここではそばが入ってるのは「広島焼き」と呼称を統一させて頂きます。

残り物

結局進路を決められなかった若林青年に残された道は夜間学校。色んな人間と出会える、という意味では良かったのかもしれない。私も高校卒業後、何の意思も持たずに親の金で専門学校に通った時期があって、殆どは同年代だけど5,6歳くらい?離れた人もいた。
自分の足で4本足の鳥を踏み潰すのが面白いし、示唆的だなと深読みしてしまう。

夜間学校に残された夜食はかけうどん。カニチャーハンと出会えた事は一度も無かったのだろうか。
変化の無い日々の中で食事というのは必要不可欠なものであり、生活の質の象徴にもなり得るし、毎日の大切な娯楽でもある。
同じことの繰り返しというのは、そのまま変化がなく、残り物にありつく事から抜け出せない日々の象徴でもあるけど、それがストレートに表された幸せノートは怖すぎる…。
広島焼きから抜かれたそばと、麺類という所で掛かってるのも面白いかも。
夜間学校でひたすらに食らうかけうどんも、一つのアイデンティティになっている。

若林青年に残された相手は春日俊彰。
前回に引き続き、結成前からやり取りが漫談として成立しているのがめちゃくちゃ面白いし、海人と戸塚の息の合い方がマジで良い。一生見てられる。二人がひたすら喋ってるだけのドラマとか観たい。ブラック校則での海人と勝利みたいな。
開き直りみたいな心持ちではあるが、色んな人に声を掛けるガッツは単純にスゴいと思った。それらを経た先で結局春日にたどり着くというのも感慨深いような、あるいは、無意識にそれまでの結びつきを確信にする為にあえて回り道を選んでしまったのかな。
100%OKしてくれるかと思ったら、断られて、でもそこで他と同じように諦めなかったのも、結果として残ってしまった物ではあるんだけど、仕方なくそれで済ますという感覚ではなく、結局ここに回帰していく、一番大事なものや一番自分に必要なものは、実はずっと近くにずっと前からあった、という裏付けなのかも。
回帰する事で一歩前進した若林青年。いつも会っている春日、いつも食べているかけうどん、どちらもいつもと違った気がした、という表現が素朴だけど、確かな思いみたいなのを感じられて素敵。

親父が残した物

前回に引き続き、嫌な親父だなあというクローズアップされっぱなしの若林父。気に入らない事には「親の金で」と責め立てるのは典型的な家父長的な親父って感じ。「親の金でする髪型じゃないだろ」ってなんだよ。

広島焼きのお話に関しては、特徴の一つであるそばを抜くというのは、アイデンティティを無下に扱うという事でもあるし、こだわりを持って作ってる店側にも失礼な事。
髪型アフロを今の自分のアイデンティティの一つとしていた正恭も簡単に無下にされており、その事を思い出して、今更個性がアイデンティティが~などと語る親父が許せなくなってしまったのだろうか。
アレルギーだったり、苦手だったりする具材を抜く事自体は割りとスタンダードではあると思うけど、この話に関しては特に理由もなく、単なる興味でやってるのがあまり良くないかな、と思う。
ハンバーガーで例えると、ピクルスどころじゃなくて、パティを抜きにするようなレベルだと思う。多分。
あと回想の親父、よく見るとジャージの上に背広着てる?

幼少期のビデオを見て、こつまんねえ家族愛のドラマだったら、親父はこんなふうに育ててくれてたんだよ~だから感謝しよ~って話になりそうな所を「ダメだな、あいつ」で一蹴するのが、本当に実録って感じもあるし、ドラマとしてもすごく面白い。おばあちゃんは「良い肩してるね~」って斜め上から褒めてくれるし。
若林青年がよく覚えていたそば抜き事件よりもずっと前から親父は”うるさかった”のだ。

一軒家で典型的な家父長的な雰囲気の若林家と、アパート?住まいでそこまでパワーバランスの偏りを感じない(でも亮太は敬語)山里家と、同年代でありながらこの辺は対比としても効いてて面白い部分だと思う。
本人達に共通する部分はあっても家族の風景は様々にある。

新しく出会っていく物

なんやかんやで両親の支援も受けて大阪に住む事になった山里亮太。
家族のしがらみを謳う若林とは対照的に、割りと友好的な感じで家族の元を離れる事に。
頑張って覚えた関西弁を得意げに披露するが、本物を目の当たりにした瞬間に引っ込める、この浅はかさというかいわゆる中二病感も覚える感じ、身につまされる。家族に向かっては大きい声で喋れるが、おばちゃんには気圧される感じ、身につまされる…。
寮で両親と別れる時、母親がそれまでも連呼していた「すごいねえ」を言わずに亮太の事を「親孝行の息子だね」と褒めていたのがなんか印象的だった。あとめっちゃアドリブっぽかった。
そんなお好み焼き屋でのやりとりが、ラストには標準語で全く適応している、というのが一つわかりやすい変化として良かった。

典型的なホモソーシャルって感じ…と思ったら全然良い感じの男子寮の風景と、その中で揉まれて浮かれて充実なキャンパス?ライフを送る山里青年。
米原先輩、怖い人かと思ったら滅茶苦茶熱くて面白すぎた。
前回のためちゃんと言い、山里は新しい出会いにとても恵まれている。
結局応募用紙を出せないのは情けない事として映ってしまうが、全く違う地方に行って寮暮らしを始めてるだけで全然ガッツがあると思うんだな。

元々あった物

浮かれた生活の果てに待っていたのは、100%OKしてくれると思ってたらフラれた告白。
「好きになろうとした」という言葉も残酷だが、自然に手を差し出してるのが色々と酷すぎて、この場でちゃんと解説をせずに、終盤で意図を明かすのが構成として面白い。私は一瞬なんの演出か理解出来なかった。
いや、厳密には「?金の要求?違うか…?」という感じだった。
またしても、モテという目標?を達成出来なかった山里。
何のために大阪に来たのか→芸人になりたいから
何のために芸人になりたいのか→(あくまで額面上の表現だが)モテたいから
という相関図からのこの展開は何とも歪だが、それを米原先輩の叱咤激励を受けて、「芸人になる男だから」と大声で叫ぶ事で、前回と同じく文字通り”昇華”していく。
言葉としては昇華だけど、モテたいという、元々持ってるパワーがどんどん増幅されていって結果芸人としての転機となっていくのが、熱いようでやはり歪で面白い。

「ベタすぎてびっくりします!!」の問答が先輩自覚あったんかい!と思ってメチャクチャ面白かった。
米原先輩、一通り終わった後に先に車に戻っていくけど、その時の「さっぶ……」という呟きがこの一連の流れへのセルフツッコミのように聞こえてしまった。
本人がツイッターでこの出来事を「これで逃げられなくなった」と表現しているのがなんか面白かった。
でも、多くの人間は追い込まれてようやくなにかを発揮できるのかもしれない。

そして、今のおかっぱメガネという、芸人山里亮太の姿が誕生する。
モテたいから始まったはずが、ルックスとしてのモテからは大きく逸れていって、「モテたい=現状モテない」という、元々持っているものが却って山里の象徴、アイデンティティの確立となっているのが、なんかヒーローの誕生譚みたいで良かった。
犯罪者を怖がらせる為には何がいいか?と、自分の中の恐怖の象徴(=コウモリ)を身にまとったバットマンみたいな。(?)

大きな声が出せる事

オーディションで若林は大きな声で親父への思いを語る。トラウマ、反抗心、そんな言葉も当てはまるが、結局はそれが、その時若林に残された最大の思い。
その思いは現代にも繋がり、良い意味なのか悪い意味なのかはわからないが、死に際に”うるさい”とつぶやかせる程に父親の存在は根付いている。
良い意味でも悪い意味でも、家族ってそんなもんなんだろうな。
家族の風景としては平凡なものだけど、あまり家族という存在を上げすぎず下げすぎず、実録ものという所で図らずも良いバランスに落ち着いていたと思う。
世の中には愛の無い家族というのもたくさんあると思うし、"普通の"家族であっても、その時々感じた事というのは一生物だと思うので。

また、最後にはそば抜きを、相方の春日と共に食する事で親父の気持ちを少しわかったというか、やはり此の親にして此の子あり的なニュアンスを感じた。

山里は語り、そして大声で言う。「俺も最低じゃねえか!!」
「今気づいた」というのがスゴい。ここで語ろうとしなければ気づかなったかもしれない事。そしてそれが、そのまま芸人としての気づきにもなってるのがスゴい。
モテないエピソードとしての語りが、前回のリフレインになっていて、ただ一人の人生なのに一貫性のあるテーマに感じてしまうのがスゴい。
それはドラマとしての構成もあるんだけど、前回は芸人を目指すキッカケ、今回は芸人になるキッカケと、どちらも間違いなく転機になっているのは事実というのがスゴい。

めっちゃお好み焼きが食いたくなる回でした。でもそば抜きは嫌だな…。

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