日本人にとっての口福観

おかえりなさい。
まかろんです。
いつもご覧いただき
めっちゃ嬉しいです。

日本人の生きかたが
書かれた

まさに日本人にとっての
バイブルとも言うべき
古事記という物語があります。​


その古事記という
物語の中に

伊邪那岐命が​
黄泉の国に行き​

ヨモツシコメに​
追いかけられるという​
お話があります。​


このときに​
伊邪那岐命が​
ヨモツシコメに​
向かって​


黒みかづらの種を​投げたら
エビミカズラという実がなり​


竹でできたクシを​投げたら
タケノコが生えてきた


と書かれています。

これに続くお話で
この場面のあとに

木になっている
桃の実をとるという
お話があるのですが

なぜ、エビミカズラや
タケノコは種を蒔く
ところから始まり

なぜ、桃の場合は
すでになっている
実だったのでしょうか。

この対比には​
​日本人が「食べる」ことを​
いかに大切にしたのか​


ということをお愉として​
教えてくださっているのだと
感じずにはいられません。​

エビミカズラとタケノコは
最終的に食べるのですが

桃はなぜか投げつけるのです(笑)

桃の話は別な機会に
ゆずるとして

今日は
エビミカズラとタケノコの
お話から読み解ける
日本人の口福観について
お話したいと思います。​

詳しい内容は
古事記を
ご覧いただくとして

ここでは
種を植え
育てて
収穫して
料理して
食べる

という一連の流れが
「食べる」ことだよ

とお愉くださっています。

この
種の植え
育てて
収穫して
料理して
食べることは

生きて行くことに
不可欠な要素であり

この一連の流れを
通じて「食べる」ことで

イノチを養っていく
と当時は考えられていた
ようなのです。


この一連の流れで
日常の中で「食べる」という
行為を通じてイノチを
養っていく料理を

ケの料理といいます。

今では
種を植えて
育てて
収穫するまでは

分業になって
しまいましたが

それでも
このお愉から
わかることは

料理して
食べるまでが

「食べる」と言う
イノチを養う
行為である

ということが
理解できるかと
思います。

ただ、食べるだけではなく
日常の中で
料理をして食べるまでが

イノチを養う行為であり
ケの料理。

このケの料理は
決して料理店で
出てくるような

見た目鮮やかで
品数が多くて
手間のかかった
料理ではなく

なったばかりの
エビカズラの実
そのままであったり​

獲れたてのタケノコ
そのままであったり

手間ひまかけずとも
イノチを養えるに
足りうる料理を

食べることが
幸せを感じる
時間だったのかも
しれませんね。

だって
ヨモツシコメは
時間をかけて
とても美味しそうに
エビカズラの実や
タケノコを食べているんですもん(笑)

まさに
日常の食事の中に
コウフク(口福・幸福)が
あるんだよと

お伝えくださっている
のではないでしょうか。

それゆえ
煌びやかで
品数が多い料理は

つまり
ハレの料理として

日常ではなく
特別なときに食べる
「桃」という象徴で
お伝えくださったのかも
しれません。

日常の中で
生きるために食べる

ケの食事を
楽しんでいきましょうね。

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