日輪を望む3―一貫斎魔鏡顛末
盆を手に、火を小さくして隅々まで掃除された鉄砲鍛冶の現場を通り、棟梁・一貫斎の作業場へ足を向けた。
障子越しに声をかけ、中に入ると口角に泡して作業の段取りを尋ねているところだった。
「すなわち、鏡面の仕上げには、研磨するものの硬さで調整をするのだな。して、その素材は何なのだ」
「それを教えてしまっちゃあ、こっちもおまんまの食い上げですわ」
「いや、ある程度分かっているのだ。炭だな、それと水銀と梅酢か……」
「もちろん、そうですけれど……」
鍍金師は困り顔でこちらを見た。手元の鏡は、二枚ともきれいに磨き上げられている。仕事が終わり、今日はもう上がりたいのだろう。また、鏡面仕上げをする間、ずっと横でこの家の当主に質問をされたらやりにくいことこの上ない。
しかし、今日の作業を帳面につけるなり代金を貰うなりしてここを辞するには、これらの質問も無下にできない。
「一貫斎様、職人が困っているではありませんか。まずは、なぜそれが知りたいのか、お話しになっては」
「そうじゃったな。又兵衛じゃったか、そちは、テレスコウプなるものを知っておるか」
「はて、そりゃ何ですかね。異国の念仏ですかい」
一貫斎は、ここしばらく会う人すべてにこの問いを投げかけているが、答えられた人はまだいない。少し気落ちした頭領を横目に、「望遠鏡のことだ」と助け舟を出すと、鍍金屋の表情が和らぐ。急須からお茶をついで渡してやる。
「ありがとうございます」言うや否や飲み干した。行儀は悪いが、のどが渇いていたのだろう。続けざまに注ぐ。又兵衛は目で再度謝意を示すと、続けた。
「頭領様もお人が悪い。遠眼鏡でしたら、存じておりますよ。小さいのでしたら持っておりますし」
「それで、月は見えるか」
「はい。まあ、おちょこぐらいには」
「それではならん。わしが江戸の成瀬様のお宅で拝見したものは、和蘭陀(オランダ)製のもので、月輪(がちりん)の山や谷まで詳らかに見えた」
「それほどまでのものとなりますと、何尺もの長さになりますか」
文机に積まれた紙の中から迷いもなく一枚を出すと、我々に見せた。そこには、台に据え付けた望遠鏡が描かれており、長さ一尺二寸・テレスコツフと書き込まれていた。
「わずかこれだけの長さで、それほどまでに大きく見えますか」
「見える。わしが覗いた中にはおらなんだが、兎がいれば見えるぞ」
ここまでくると、人によっては与太話と馬鹿にしかねない。しかし、そのようなことを全く関知しないのは、我が頭領の良いところでもあり、半面悪いところでもある。
「筒を長くし、磨いたギヤマン(ガラス)を大きくすれば倍率が大きくなるのは、その通りじゃが、長くすればするほど、見え方が暗くなる。恐らく、同じだけの大きさで見えるものを遠眼鏡で作ろうと思えば、八尺か九尺(二・五~二・七メートル)か……」
「それは持ち上げるだけで大変でございますな、して、なぜこの話を私めに」
この男、職人の腕は確かで真面目だが、想像力に欠ける性格らしい。しかし、先ほどまで体中から醸し出していた「帰りたい」という雰囲気はずいぶんと小さくなり、少し身を乗り出して一貫斎の話に耳を傾けている。好奇心は旺盛なのか。
「南蛮の職人はよく考えているな、筒を長くせずとも、筒の中でその距離を稼げばいい、そのために……」
「鏡……ですか」
「察しがよいな、その通り。しかも、小さな鏡を二枚筒の中に入れ、反射させて見えるようにしていた。これじゃ」
先ほどの紙と同じ大きさの紙を出す。そこには、先ほどの遠眼鏡を分解した図が描かれてある。しかも、鏡の大きさ、その曲がり具合、設置の場所まで細かく計った数値が入れられ、ほとんど設計図の体を成している。
「一貫斎様はこれを、この筒を国友で作りだしたいのだ。問題は、鏡。小さく、反射した時の倍率が高く、しかも永くその輝きを保つ。そのために知恵を貸してくれる鍍金師を捜していたのだ」
舌足らずの棟梁の希望を言葉で足した。鍍金とは、鏡を作る最終工程のことだ。
又兵衛は、手にした湖東焼をグイとあおると「よござんす。月が見える鏡、いっちょやってみますか」とほほ笑んだ。
話を聞くと、鏡は、板金を鋳造し、粗い目の金属のやすり、次に細かいもの、その次に粗い炭、さらに細かいものとどんどん磨き粉の目を小さくしていき、最後に錫で覆い、さらに磨き上げる。地域や職人によって多少の違いはあるものの、おおむねこの手順なのだという。
(滋賀県文学際に投稿したものを改稿)
〈続く〉