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白刃3

【追手】

 翌朝、目が覚めるとまだ太陽が昇りかけたところだった。枕元にあった商人姿の旅装を着ると、赤城が声をかけてきた。

「握り飯を用意しておいた。途中で食べてくれ。この度の事、心より感謝しておる。老中にも直接的ではないが文をしたためて早飛脚を仕立てておいた。お主の行いは、世に知られることはないかも知らぬが、心ある彦根藩士は必ず気付く。達者で」

 笹の皮に包まれた握り飯と竹製の杖を受け取り、青木と水戸を出た。天秤棒こそ担いではいないが、二人連れの商人以外には見えないだろう。青木は優秀な男で、実際に途中で商売をしながら街道を急いだ。あるいは私を商人とする教育の第一歩を兼ねていたのかもしれない。目指すは長岡藩、新潟湊。

 途中で気づいたのだが、もらった杖は竹にしては重く、中をのぞくと太い鉄棒が仕込まれていた。補強のためか、武装のためか。越後に向かうために、三国街道へ足を向けた。

 秋の夕日はつるべ落としの言葉どおり、山の端にかかろうとしている。最後の関所を越えてしばらくして青木がいった。

「この峠を越えると、宿場があります。手持ちの路銀で十分に足りるでしょう。私はこの後休まず歩いて、一足先に新潟湊へ向かいます。事前に北前船に乗れるように連絡してはありますが、その調整がありますので。明朝、旅籠を出て、そのまま街道を海へと向かえば港へ着きますので、そのまま松前屋までお越しください」

「分かりました。よろしくお願いします」

 正直、急な旅程が足腰に響いていたので、一人での休息はありがたかった。

「あと、水戸からある程度は離れましたが、それでも人の流れは活発です。くれぐれも身元を気取られぬよう」

と言い残し、笠のひもを締め直したかと思うと今までとは比べ物にならない速さで遠ざかって行った。これまでは、自分に合わせてくれていたことに気付く。

 青木と別れるまで、周りには旅装の人が見えたが、夕闇が強くなってくると人が少なくなってきた。峠越えを目指す人は少なかったのか。

 うっそうとした森を抜ける直前、「宿場まであと二町」の石碑を過ぎたところで、街道沿いの石に腰を掛けていた侍に遠間から声をかけられた。菅笠を目深にかぶっており、腰には大小の二本をさしている。

「もし、そこの商人」

 街道で武士に声をかけられることなどなかったので、少し戸惑った。周りに人などおらず、今は商人の風体をしているため武士の声掛けを無視することなどできない。

「へえ、何でございますでしょうか」

 男はおもむろに立つと、こちらに向かって歩いてきた。じっとこちらの頭部を見ている。笠も取ったほうがよいのだろうか。道の脇に寄り身を落として、笠を外した。数町で町につくとはいえ、この辺りは峠道で傍は急な坂になっており、その先は闇に消えている。かすかに水の音が聞こえていた。

「顔を上げよ」

 目と目が合った瞬間、違和感が沸いた。と、体が反応して後ろに飛び退った。男が大刀の柄に手をかけたからだ。

「ほう、久しぶりだな。名は確か、小西といったか。宇平のところのものだな」

 ゆっくりと笠を取り道端へ放った。戸田だ。

「どなたのことでしょうか。お人違いでは」

「すぐに分かる。斉昭公の敵だ」

 ということは、私の一刺しはうまく命を奪ったのだ。表情には出さずに得心する。

「なぜ自分がそうだと分かったのか不思議そうだな。足運びだ」

 この状況をどう切り抜けるかに知恵を絞る。刀を持った剣術師範に、丸腰の自分がどう立ち向かえばよいのか。

「一刻も道の傍に座しておれば、武士、町人、商人、農民の足の運びは分かる。加えて服装が商人なのに足の運びが武士風のものがおればなおさらな。身に沁みついたものは一朝一夕には消えんものだ」

 腰のものを抜いて正眼に構えた。子どもたちに教えていたのと同じ型である。木立を抜けて差し込む秋の夕陽が刀身を茜色に染めている。

「斉昭様を討ったのは、必ず彦根藩士だと思った。今、嫡子の問題で藩が揺れておるために直接藩命を帯びて参ったわけではあるまい。そうすると、彦根に戻ることは考えられぬ。彦根藩領の佐野かあるいは近江商人が多数店を構える場所へと移動すると踏んでいたのよ。ここで待ったのは賭けだがな。自ら命を絶っておらず、こちらにとっては僥倖だ」

 正眼に構えながら、少しづつ間合いを詰めてくる。

「お主は直弼公の敵を討ったのだろう。何日も床下に潜んでな。わしにも敵を討たせてもらおう」

 そう言って上段から切り付けてきた。咄嗟に竹の杖を両手で持って受けた。強い衝撃が肩に伝わる。大きな金属音がした。戸田は、竹の杖で真剣を受けられると思わなかったのか、驚いたようだったが、そのまま力を入れてくる。

 すぐに、左手の力を抜いた。戸田の刀が左に滑る。左手に熱さを感じたが、間髪入れず半歩体を引くと、相手が大きく体勢を崩した。それを見逃さず、今度は肩から大きく体当たりをする。すると戸田は、右手の太刀を離さないまま、後ろ向きに暗い森の中へと転げ落ちていった。

 肩で息をした。長月の宵は早く過ぎる。あと少しでここも闇に包まれるだろう。このまま急いで場を去ることも考えたが、まだ追ってこられては厄介だ。状況を確かめることにした。左手を見ると、杖で刀をいなすときに当たったのか、親指が根元から切れており、先は足元に落ちていた。先ほどの熱さの原因はこれだったのか。興奮からか痛みは感じない。手拭いで急ぎ止血すると、様子を見るため道の下に降りた。

 急峻な坂には獣道のような細い路がついており、雑木林の中に続いていた。よく見ると、そうと分かる程度に草が乱れているところがあった。かき分けると、戸田が倒れていた。その先には、一〇尺ほどの幅の川が流れている。気を失っているのか、死んでいるのかは分からない。脈をとろうとして止めた。その代わりに体を引っ張って川へ流した。冷たい水に左手が触れて、今頃になって痛みが襲ってきた。男の体はうつぶせになりながら、ゆっくりと川を流れていった。

 道に戻って笠などを回収すると、一路新潟湊を目指した。戸田が一人で行動しているとは限らず、宿にとどまるのは危険が伴うと考えたからだ。
松前屋に着いたのは明け方近く、寅の刻も過ぎようかという頃合いだった。

 裏口の戸を叩くと丁稚が出てきたので青木に取り次いでもらう。すぐに足を洗い、中に通してもらった。道中のことを話すと驚いていたが、家内にある薬草で止血をしてくれた。

「わたくしがあちこちで聞いた話では、斉昭公は持病で亡くなったことになっているそうです。ですから、公には死の実情は出回ってはいないでしょう。楽観的かもしれませんが、戸田が数人で行ったことではないでしょうか。運良く、船は明朝の出港です。蝦夷についてしまえば、追手を差し向けるのは容易ではないでしょう」

 青木がいうには、旅程は一〇日ほど。

 そこから松前まではあっという間だった。

(滋賀県文学際に投稿したものを改稿)

                            〈続く〉

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