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日輪を望む2―一貫斎魔鏡顛末

 国友一貫斎藤兵衛は、当代随一の鉄砲職人だ。

 その名は近江のみならず、全国にとどろく。もちろん、人数などの規模では、堺などに比べ国友の鉄砲鍛冶の方が少ないだろう。しかしそれでも、胸を張って当代一といえるのは、この鉄砲鍛冶を束ねる一貫斎の度量によるところが大きい。

 二年前の文政五(一八二二)年にしばらくの江戸住まいから湖北、伊吹山を望む国友村に帰ると、これまでの鉄砲の考えを覆す「気砲(空気銃)」や、未完成ながらも軸に墨を詰めてすずりいらずで文字が書ける「懐中筆」などを次々と形にした。特に気砲は、今や国友村の主要な産品となりつつある。
実際、江戸に幕府が開かれて二百と二十年、各地で鉄砲の需要は年々下がりつつある。浦賀の辺りや鎮西で外国船が見かけられるものの、さしあたって各藩が必要だと考えるのは、大筒辺りから。しかし、お上の許可もなくそんな物騒なものを作ることもできないため、気砲がこの村を支えている状況だった。

 盆の上の茶碗は、三客あった。湖東焼で客用には申し分ない。そして、自分の頬に浮かんだ笑みに気が付く。菊の優しさに感心したのだ。この家の棟梁と鍍金屋との熱い話題を拙者が間に入り、うまく回せということなのだろう。

 なにしろ、一貫斎ときたら興味があることに没頭すると、文字通り寝食を忘れて過ごしてしまう。放っておいたら、朝まで職人を引き留めかねない。その性格は、二人とも童の時分、一貫斎の父の鉄砲工房に出入りしていたころから変わらない。

(滋賀県文学際に投稿したものを改稿)

                           〈続く〉

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