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鉄の華(くろがねのはな)3

 こうして、羆(ひぐま)用の鉄砲づくりが始まった。

 翌日の晩、その日の作業が終わったのちに藤兵衛が私を呼んだ。懐から紙を出す。

「こうした細工をカラクリの上部に施せないだろうか」

 それは、雨覆いのさらにその上に真鍮製の覆いを作るというものだった。簡単に云うと火縄銃は、銃身に発射用の火薬を詰め、その後に弾を込める。そして、着火用の火薬を火皿に用意し、火が着いた縄で着火し、その火薬が発車用の火薬に火を着けるという仕組みだ。紙に書かれていた覆いの形は、何度も書き直した跡があり、定まっていなかった。

「鉄砲が伝来してから、二五〇年が経とうとしているが、威力や使い勝手については、変化していない」

 もちろん、種子島に鉄砲が伝わり、それをもとに同じものを作ることを依頼されて以来数十年から百年かけて鉄砲は武具としての位置を確立するまでになった。しかし藤兵衛の云うように、生産の様式が固まって以来その形はあまり変わっていない。意匠や組み上げ過程など工夫は凝らされているものの、新たな要素を足そうという試みをしている鉄砲師はあまり見かけない。

「形として、完成してしまったんじゃないか」

「いや、そんなことはない。人の欲望に限りがない限り、武具もいかようにでも進化できるはずだ。鉄砲が発展しなかったのは、権現様が幕府を開かれて後、大きな戦がないせいだともいえるな」

「たしかに、太平の世はありがたいが、鉄砲鍛冶には向かい風だな」

「しかし、今回の依頼のように困っていることを解決することは、長い目で見れば鉄砲の発展に寄与するはずだ。例えば、鉄砲の安全性を高めることなどは、その最たるものだと思う。昔ながらのやりかたに固執するのは、自ら首を絞めることだ。だから腹が立つんだ」

「子供の頃、藤内様に怒りをぶつけたようにか」

「そうだ。実際、この二〇年間、幕府からの定式発注は年を追うごとに少なくなっている。黒船のうわさがこんな田舎にまで聞こえるご時世になってもだ」

 もう一度、雨覆いの上に取り付けるものの絵図に目を落とした。絵図の端に「オオアマオオイ」と書き込まれていることに気が付く。部品の名前だろう。

 雨の時には、とにかく火縄と火皿が水に濡れないようにしなければならない。防水性の高い木綿用の火縄を使う、さらに蜜蝋に浸したもの、漆を塗ったもの、お歯黒に使う鉄漿で煮たものなど「雨火縄」は、鉄砲術や里によって秘伝とされるものだ。この技術はある程度確立している。問題は火皿だった。すでに雨覆いという部品があるが、結局それでは横降りの雨や吹雪の中では立ちいかない。そこで、今回の工夫に結び付いたというわけなのだろう。

 オオアメオオイは、まず、できるだけ薄く、そして火皿に雨がかからないような形を探すことから始まった。一発目で仕留められればよいがなかなかそうはいかない。警戒心が強く一〇尺(三メートル)もあるという大きな熊なら少ない人数、そして弾でけりをつける必要がある。

 それまで、できるだけ火皿を濡らさず、しかも簡単に着脱できるものというと、大きなものとなるが、一方で大きなものを付けると取り回しに支障をきたし、迅速な二の矢が撃てなくなる。また、重いと使用者に負担がかかる。こうした負担は、命中精度を落とす。

 結局、形は蕗の葉を模したものとした。いくつかの形を作っては、近くの小さな滝へ赴き、その下、飛沫がかかるところで四半刻(三〇分)ほどたたずむ。それから銃が撃てるかどうかということを何度も繰り返した。また、万一火皿が湿った時、ひっくり返してその裏側も使用できるような工夫を施すことにした。

 こうして、あっという間に翌年の正月を迎えた。正月の慶賀の挨拶の中に、ヒバとニレが来ていた。藤内も交えて、作業場に招き、オオアマオオイと改良版の火皿を見せた。

「これはすばらしい、雨対策にはうってつけです」

 ヒバが云う。部品を取り付けて、取り回しについて確認していたが、担いできた二丁の鉄砲に取り付けてほしいと依頼された。予備の鉄砲があるらしく、普段はそれで事足りるらしい。

 さらにヒバから部品をもう一つ作ってほしいと云われた。ニレの分だ。すると横から、「わしのもじゃ」と藤内が云う。どうやら藤内の銃にも同じ部品をつけるようにしてほしいらしい。

 三月になり、雪が少なくなった頃を見計らって、藤内はヒバの元へと向かった。肩には出来上がった三丁が担がれていた。

(長浜ものがたり大賞2018に投稿したものを改稿)

                           (続く)

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