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鉄の華(くろがねのはな)2

 寛政六(一七九四)年三月九日。

 暦では春とはいえ、少し遠くにそびえる伊吹山は、まだ八割がたが雪に覆われていた。彦根藩以北の近江に住む者にとって、この山は生活に密着している。もちろん、信仰の対象としてあがめられてはいるものの、そうした側面に限らない。例えば、俳句の春の季語に「山笑う」という言葉があるが、暖かくなって水がぬるみ緑が濃くなってくると、まさに伊吹が笑っていると感じることもある。

 こうした春の盛りを控えた早春の日に、藤一が藤兵衛の名を正式に継いだことが村の皆に告げられた。当時九つだった藤兵衛は一七歳になり、この日をもって鉄砲鍛冶年寄脇、九代目藤兵衛という家督を相続することになった。

 朝から近所の人がお祝いに訪れ、実質的に幼馴染兼手代として藤兵衛を補佐してきた私も饗応の手伝いにてんてこ舞いだった。

 村内、藩内のめぼしい人の訪問が済んだ夕刻、客人が訪ねて来たらしく、台所にいた私は、白湯を出すように云われた。藤内と藤兵衛の控える座敷に行くと、獣皮の上着を着た老人と私と同じくらいの年格好の若者が座っていた。一通りの祝辞は述べ終わった後のようだった。

 雰囲気や言葉から察するに、狩人か山人(さんじん)のようだ。

 鉄砲鍛冶の仕事は多岐にわたる。特にその監督責任者である年寄脇は、銃を自ら撃つ砲術や、銃身を作る鉄鉱石の仕入れ、火薬の調合と多くの分野の知識や人脈が求められた。狩人なら銃の修理、山人なら鉄鉱石の話かと思い席を辞そうとすると、今日から正式に隠居し、藤内と名乗るようになった先代親方が、「佐平治もこれから藤兵衛を支えて盛り立ててもらわねばならん。そこに座って一緒に話を聞け」という。

 自ら簡単な自己紹介をすると、相手は、代々ここに鉄砲を求めてきた山人のヒバだと名乗った。連れは、ニレという名前だとも。今日は、祝いと共に相談事を持ってきたのだと云う。

 山人とは、広義には木こりや炭焼きも含まれるが、国友が世話になっていたのは、山野に入り、鉱物の場所を調べたり、獣を狩って生きたりする山の民だ。古くからの付き合いだと藤内は紹介した。

 ヒバが話す場所は、美濃国との国境、ここ国友村より四里(一五キロ)ほど東へ行った山中だった。そこに熊が出て炭焼きや鉱山で働く人々に害をなしていると山人は話しだした。

「最初はミナグロかと思ったのですが、毛の色が月輪熊よりも薄く、体長も一〇尺(三メートル)を下らない巨大なもので、周辺の住民より狩りを頼まれました。しかし、この雌熊は、子熊を連れているせいか慎重で……」

 腕組みをして聞いていた藤内が、藤兵衛とその脇に控える私に云った。

 「ミナグロというのは、月輪熊の一種でな、普通は首元に白い三日月の模様がある故〝月輪〟の名があるのだが、まれにない体すべてが黒いものがいる。こやつはミナグロと呼ばれ凶暴で人を喰うとされている」

 話の補足をしてくれている。理解が及んだと思ったのか、話を続けた。

「して、ヒバは、それを何だと思うておるのじゃ」

 問いかけられた初老の山人は腰に下げた袋からキセルを出して、藤兵衛に喫煙の許可を求める。藤内はうなずいて私の方を向いたので、慌てて煙草盆を持ってきた。ヒバは小さく礼を言うと、ゆっくりとキセルの火皿に刻みタバコを詰め始めた。

「確証はありませんが、おそらく羆(ヒグマ)だと思います。近江商人の中には蝦夷地へ渡ったものが多くおりますが、その中で聞いた特徴にそっくりです」

「蝦夷と陸奥(みちのく)は海に隔てられてはいるものの、それほど距離はなく、晴れた日には遠く眺めることができると聞いたことがある。その距離ならば泳いで渡ってくることもあろう。陸奥からこの近江の地まではさらに長い距離があるが……」

「そうですな。途中でも石を持って追われたのでしょう、警戒が強く、火薬や人の匂いがするとほとんど姿を現しません」

「なるほど、で、今宵はどういった用件で」

「水に強い鉄砲を作っていただきたい」

「水?」

 鉄砲は強力な武器だが、弾を撃つのに黒色火薬を用いる構造上、強い雨や雪の時には完全な威力を発揮できない。もちろん、機関部を油紙で包む、「雨覆い」という部品を装着するなど防水対策を施して使うのだが、それでも通常通りには扱えない。

「そう、熊めは、闇や雨に紛れて里に襲い来ます。彼奴(きゃつ)に深手を与えられる鉄砲が使えない時を狙ってやってくるのです」

 右手を顎に当て、考え込んでいた藤内が云う。

「弓ではだめなのか」

「もちろんやってみましたが、皮も厚く、とても致命傷を与えられません」

「複数名で撃つ」

「それも鉄砲を持つ人が多ければ、気取られて決して姿を見せません」

「毒は?」

「同じく効果のある深度まで矢が届かないのです。かなり鼻が利くようで、罠にもかからず、迷いに迷って、こうしてお願いに上がった次第で」

「わしにもタバコ、もらえるか」

 ヒバは懐からもう一本キセルを出すと、膝を進めて煙草盆と共に藤内に渡した。普段、藤内がタバコを吸う姿など見たことはない。

「うまいタバコだな」

 ゆっくりと火を点け深く煙を吸い込んだ。そして、こちらを向いて、こう問いかけた。

「藤兵衛、佐平治、ヒバの云うようなものができるか?」

 間髪を入れず、「できます」と答えたのは、藤兵衛だった。

「もちろん、今受けている注文をしっかりこなしながらだぞ。そして完成したら、わしがヒバに届ける。雨の季節の前にな」

 楽しげに笑う藤内に、ヒバが「できるだけ早くお願いしたいが、それがために水を防ぐ機能を損なわないようお願いします。時候の挨拶には訪れますから、その折には進捗をお聞かせくださいませ」と頭を下げた。

「今日から国友藤兵衛は、こやつじゃ。だから、息子に云え」

 二人はそちらに向き、畳に額を擦り付けた。

 藤兵衛は少しはにかんで「頑張らせていただきます」と小さく述べた。

(長浜ものがたり大賞2018に投稿したものを改稿)

                           (続く)

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