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日輪を望む9―一貫斎魔鏡顛末

 水無月晦日の日は、日々の雑事をこなしているとすぐに訪れた。
 午前中に仕事を終え、一貫斎の指示通りの場所に小さな板を据える。梅雨の晴れ間の河原に赤く塗った小板は映えた。
 姉川畔には、一貫斎、拙者、又兵衛の三人と、そこから少し離れたところに羽織袴姿の工人を配した。

 暮六つをすぎ、空の赤さが増したころ、寺田宗鑑が五人の手下を連れて姿を現した。取り巻きは、僧形ではなく、腰にそれぞれ刀を差し着流し姿だ。

「そうであろうな」

 小さくつぶやくと、一貫斎が声をかけた。

「寺田宗鑑殿とお見受けいたす」
「いかにも。一貫斎殿じゃな。約束通りなら、我々が持つ鏡と同等のものを用意できているとか」

 腰かけ代わりに使っていた短い縁台から立ち上がる。

「まずは、魔鏡じゃ。お主は、適当な祭文の後、明かりからの光を壁かどこかに反射させ、浮かぶ形で吉凶を占っておるのじゃろう。たとえば……」

と、少し声色を変えた。

「かしこみかしこみ申さく、数多の村で、時に人を傷つけ、鏡工房を乗っ取り、勢力を伸ばしている男がいる場合、この白幕に神を奉じる御徴みしるしを」

 向こうの六人は、全員懐手に様子を見守っている。先月の試しと同じく、又兵衛が照らし、それを特製の鏡で反射した。白布には、吉田御幣が浮かび上がる。

「八咫鏡とは、時代がかった仕掛けじゃな。この光を見るのは、多くの信者じゃ。毎回同じ絵柄では見破られよう」

 意に介した風でもなく、それでは松を御覧に入れよう、と言ったので、慌てて鏡を逆にした。映したままだったので幕の上で絵柄が乱れた。
 宗鑑は、大声で笑う。

「半分じゃな。能当・・の名の割には外しておるぞ、一貫斎。これで、遠眼鏡はわれらのもんじゃな」

 こちらに向かって大きく足を踏み出そうとした。

「動くな、宗鑑。それ以上進むと、無事を確約できんぞ。それと、まだ終わりではない。佐平治、続けよ」

 龕灯の光から一瞬鏡を外し、からくりで鏡の面を裏返した。そして、再度光を反射する。白幕の上にあざやかな菩薩の姿が浮かび上がる。
「いかがじゃな。いかな弥勒菩薩でも、主の悪行は見過ごせまい」
「そのような手妻に騙されるわけがなかろう」
 大声を張り上げる時点で、底が知れている。だが、不敵に笑う。
「それでは、交換でいかがじゃな。一貫斎、これと」
 がさがさと音をさせながら、ススキ原からもう一人、男が出てきた。その腕には、若い女性が抱えられていた。縄で後ろ手に縛られ、口は手拭いで猿轡をかまされている。さらに首に当てられた抜き身が夕陽を浴びて赤く光る。女性の着物には見覚えがある。

「菊っ」

 思わず声に出して一貫斎を振り返ったが、慌てた様子はない。やつらが力づくの手を取ろうとするのは十分考えられることだった。
「宗鑑。鉄砲が伝来してから、二五〇年以上が経とうとしているが、威力や使い勝手は、大きく変化していない」
「いいのか、一貫斎。お前のところの女中じゃぞ」

 慌てる様子も見せないので、宗鑑の声がさらに大きくなる。しかし、意に介した様子はなく、「聞け」と言葉を続けた。

「もちろん、改良は加えられているが、それは、この国にもたらされた種子島、火縄銃じゃ。同じ時間、この銃が生み出された国でも改良は加えられている。それは、例えば、鉄砲玉が丸いものだという考えも、古いものになっているのじゃ」
 そうして、手に持った龕灯の光を、菊を脅す宗鑑の配下が持つ刀に当てた。その瞬間、破裂音がして、刀が根元から折られた。夕陽を反射させながら大刀の半身が回転して河原に刺さる。

 衝撃で、菊が河原に倒れ込む。すかさず、駆け寄って、こちらに保護しようとするが、相手の手下が阻もうとした。

「佐平治以外、動くな」

 もう一度、今度は光を宗鑑の足元にある看板に当てた。またも大きな音がして木っ端みじんに砕け飛ぶ。一味は身動きが取れなくなった。
「鉄砲か。この距離で……」
 撃たれていることに気付いた宗鑑が、銃のある方向を見るが、姉川の川面があるだけだ。さらに顔色が青くなる。

「川向うから撃っているなら、百間(一八〇メートル)はあるぞ」
 確かに、方向や距離から考えるに川向うからしかない。しかも、いくつかある茂みには明らかに人の気配が感じられた。
 菊を助けるために走ると、羽織袴姿の工人も駆けつけてくれた。本当は、役人が見守っているという威圧をかけようとしていたが、長距離銃が出たのでもうそれも必要ないとの判断だろう。

「単なる鉄礫ではないから、気をつけよ。鎧も着けておらぬ主らを動かぬようにするのは難しいことではない。まず、お主が鉄砲鍛冶の村を籠絡できようと考えた時から間違っておったのだ。ここは、他の村とは、違う」

 このひと月、又兵衛は能登へ戻り、自分の工房のその後、周辺の越前、加賀、越中、飛騨などの村々を廻り寺田宗鑑の足取りを辿った。辿れば辿るほど、悪評は高く、暴力や薬などで言いなりにされている人が何人も見つかった。鍍金師はこうしたとき、じっくり腰を落ち着け、話を収集するのに向いていることも分かった。油を売るとはよく言ったものだ。
「すでに奉行所を通じて手を打った。いずれ桟敷に呼び出されるじゃろう。わしの隣のこのものは、主が潰した能登の鏡工房の舎弟だったものじゃ」

 又兵衛は、光を宗鑑に当てた。撃つように指示しているのだが、銃声はしない。

「無用に命を奪うのは本意ではない。それにここで殺してしまっては奉行所に願書をしたためた意味がない」

 あきらかに、宗鑑はおびえている。そして一貫斎はそこまで考えて言葉を選んでいる。
「やり方は最悪だが、ここまで人を束ねたのは、何らかの才覚があるということだろう。江戸で見た舶来の銃の記述をもとに弾と銃身だけ工夫を凝らしてみたが、百間どころではなくその倍の距離の先にある、風鈴を打ち抜ける精度だった。よいか、武具の進み具合は日進月歩じゃ。なのに、仕込み杖を振り回すだけで何かを成し遂げられる訳がない」
「言いたいことは何じゃ」
「宗鑑、先ほどお前は交換と言ったな。よかろう。応じてやろう」
「何と交換するのじゃ」

 もう語尾は震え、先ほどの大声と比べるべくもない。

「決まっている。商売は貨幣と商品を交換するもの。この反射望遠鏡、二百両でどうじゃ。引く手数多の大名には、まだ一基も贖ってない。価値は高いゆえ、うまく使え」

 火縄銃一本三~五両だから、破格だ。しかしおそらく一貫斎の頭にあるのは、この村の窮状だ。
「神罰が下るぞ」と多少、抵抗したものの渋々ながら言い値を払った。

「日輪を見るでないぞ、ただでさえつぶれかけのまなこが灼けてしまうでな。それ用の器具は南蛮から買うとよい」
「偽物ではないだろうな」
「生粋の鉄砲鍛冶が、そのような下らぬ真似をするわけがない。なんなら、あの月を覗いてみるとよい」

 空を見上げ、望遠鏡の中を覗くような仕草をしたが、「二度とわしの前に姿を現すな」と捨て台詞を残して、郎党を従え国友村を去った。ここには今後足を踏み入れないだろう。
 向こうの茂みがゆれ、大きなくしゃみが聞こえた。その後にぶつぶつ聞こえる祭文と考え合わせると、鼻炎持ちの彦左衛門だ。
 菊の傍で様子を確かめる一貫斎に声をかけた。

「いいのか、一貫斎、結局また一から作り直しだ」
「よいわ、佐平次。合金の調合も、磨鏡も鍍金も分かった。反射望遠鏡が売り払われても村の皆が飢えぬのであれば本望じゃろう。今度は合わせてゾングラスも作りたいと思うておる」
「心躍るのお。八咫烏の故郷が見えるのか」
「では、日輪を望むために頑張るとするか」

(滋賀県文学際に投稿したものを改稿)

〈了〉

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