色ボケ地獄
生身の人間の顔が好きすぎる場合、わたしは色ボケになる。色ボケとガチ恋は同じなように見えて、少し違う。色ボケている間は別にその人と結婚したいとか恋人になりたいとは思わない。むしろ、既婚者の方が楽だ。中途半端に希望があると人は傷つく。ベットするなら、傷つかないでいい方に賭けたい。
私は犬のような顔の男性が好きだ。これは生きている人間の話で、絵は関係ない。父親と大して変わらない年齢の男が好きで、これは明らかに私が機能不全家族の元で育ったACだからであって、本当に恋愛的に好きなわけではない。キスしたいとかセックスしたいとは、実は全く思わない。そもそも私の現実での恋愛矢印は、同性にしか向かないくせに男性の顔が好きで、顔だけを消費している。あるいは、顔と去勢されたセクシーさを。恋というより、私はそこに父性を渇望して飢えている。イノセントな存在が欲しい。殴ってこない、胸も触ろうとしない、遊びで暴力を行使しない父親が欲しい。私のパパになってください。
今の私は、なんとなく父性の気配がある男性の顔を見て脳みそをシェイクさせて、喜んでいるだけだ。人として恥ずかしい、素直に好きだと言えばいいだけのことに、何百文字もかけていることと、孫がいるような年齢の男性に色ボケていることが。
今色ボケしている相手の方は、海を隔てた先にある。外国人で、よかった!日本に住んでいたらストーカーになって私は捕まっていただろう。
色ボケするには、必ず自分より遠い存在にいる相手でないといけない。万が一にでも、自分に触れる可能性がある相手ではいけない。二次元の男が好きなのも、そういう理由から来ているかもしれない。私の面食い気質と精神的去勢が施された不可侵の存在、美少女、あるいは美青年は私のことを認知しないし妄想の中ではどれだけ酷いことを言っても、誰も傷つかない。嘘だけ見せてくれるから、好きだ。
色ボケは、液晶画面あるいはステージと客席という決して侵入できない境界線があるからできることであって、私は実物の彼に会って握手をすれば、夢から覚めるだろう。そこにいるのはかつての華々しい英雄ではなく、太平洋を隔てた国にいる普通の、家族思いの優しいお爺ちゃんなのだから。
昼ご飯代が欲しいです