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これは、ちょっとした拷問か?  死にそうになる・・


いつもおなじ時に、

いつも同じことを思い出す。


今の私


暇な無職

先ず、それが、

はたから見た私の肩書です。

野球の練習・ベビーシッター・いざという時には、保育園にも参上する。

会社を辞めると、子供や孫とのかかわりが、劇的に、圧倒的に変化する。

しかし、これは、夢のつづきでもあるのだ。



☆☆☆☆☆☆



私の夢


20代から、40歳で定年退職すると妻にも、友人たちにも常に豪語してきた。

その為に、ネット取引の出はじめから積極的に投資を始めた。

当時難関だった、海外口座も頑張って一早く開いた。

韓国企業の NAVER+ハンゲーム=NHN.CO(現ライン)

任天堂・セガトイズ・・仕手系ではアルデプロや暁飯島工業・・

税金も10%ちょい、、ぼろ儲けだった。

満を持して、世界と対戦すべく225先物口座を開設した。当時審査の敷居が、今よりかなり高かったが、証券口座に現金が結構入っていたこともあり無事クリアする。

ライブドアショック~リーマンショックに超売り目線で挑み・・

地合いの運もはたらき2・3年で金融資産が20倍程度に増えた。

31歳 仕事と資産運用の両立・・順風満帆でしかなかった。

この時私は、一度会社へ出社しなくなった。


この時すでに夢は叶っていたのだ。

9年も前倒しで・・


いつもおなじ時に、

いつも同じことを思い出す。



☆☆☆☆☆☆



子供のころ、父に頭を洗ってもらうのが大嫌いだった。


理由?

大きな手で頭をゴリゴリされるのがたまらなく痛かった。

それだけではない。

当時、家の風呂はシャワーは付いていたのだが

頑固な父は、そんなもの使わない。

流すとき、

風呂桶で一気にお湯をぶっかけてくるから・・

その間、まったく、息ができなかった。

死ぬかも・・


これは、ちょっとした拷問か?

死にそうになる・・


最近訳あって、よく五歳の孫のあたまを洗ってやっている。

そんなとき、必ず小さかった私のあたまを洗う父の姿をかいまみる。

嫌いだった父に、感謝の気持ちでいっぱいになる。


いつもおなじ時に、

いつも同じことを思い出す。


こどものころの気持ちを思い出して、

とにかくソフトに孫娘のあたまを洗う・・



☆☆☆☆☆☆



無断欠勤


いい大人が、こんな事をいつまでも続ければ首になる。

会社からの鬼電も無視した。

罪悪感もワクワクが帳消にしてくれる。

31歳・・夢のような生活

ザラ場引け・・

毎日のように上の娘(当時小四)と二人で

USJやネトカフェに遊び行った。

大人のRPG三昧!

夜は、妻と「24」や「プリズンブレイク」の見放題をしたり。

そんな生活を半年ほどして・・も・・お金は増えていた。



一念発起


半年後・・

けじめをつける為に、会社に退職届をもっていった。

お金も有るし、クビも覚悟!

しかし流石に、無茶したのでかなり怖かった。


意外な展開


あの時、会社は、

なぜ私を引き止めたのか?

長い間、このことを考えると

むしずがはしる思いで日々を過ごした。

少しだが太い顧客を持っていたから・・

いや、流石にもう深くは繋がっていないだろ

人手不足だったので使える人材は、何でも良かったのだろう?


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人生を変える数千万の負け


ただ、

今となっては、お陰で今も生きていられるのだと考えるようになった。

すべて、失った時に、給料はありがたい以外の何者でもない。

あんときに、社に戻ったことで退場になったのか?

あのまま、専業トレーダーを続けていていたなら・・

それでも退場になったのか?


どの道、人生のラインは、たった一本しか無いんだ!


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人生


すべての、選択責任は、己自信にしか存在しえない。


いま、なんとか、ぎりぎりでも、
専業で投資家をやっている事を誇りに思う。


いつもおなじ時に、

いつも同じことを思い出す。


大勝利のサポートは、本当に必要ありません。常識の範囲を超えたサーポートをいただいても筆者が、旅行に行ったりするだけですよ(笑)。でも、お気持ち嬉しいです。有り難うございます。