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「必読書150」を読む

「必読書150」(柄谷行人ほか)を読もう。

「詩学」「告白」は読んだ。「君主論」「リヴァイアサン」「社会契約論」「純粋理性批判」は読んだ。「道徳の系譜」「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」「快感原則の彼岸」は読んだらしい。「存在と時間」「グーテンベルクの銀河系」「言葉と物」「近代世界システム」「想像の共同体」を読んだ。「いきの構造」「風土」を読んだ。「創世記」「ハムレット」「悪徳の栄え」「ファウスト」「盗まれた手紙」は読んだ。「嵐が丘」「白鯨」「不思議の国のアリス」「悪霊」「桜の園」「ブラウン神父の童心」「審判」「阿Q正伝」「魔の山」「特性のない男」「アブサロム、アブサロム」「嘔吐」「ゴドーを待ちながら」「百年の孤独」「真夜中の子供たち」は読んだ。「ヘルダーリン詩集」「悪の華」「ランボー詩集」「荒地」「マヤコフスキー詩集」「ツェラン詩集」は読んだ。「浮雲」「高野聖」「武蔵野」「或る女」「小僧の神様」「冥土」「押絵と旅する男」「機械」「雪国」「死者の書」「仮面の告白」「楢山節考」「砂の女」「死の棘」「万延元年のフットボール」「枯木灘」は読んだ。「赤光」「田村隆一詩集」「歌よみに与ふる書」「時代閉塞の現状」「様々なる意匠」「堕落論」は読んだ。

参考書70は、「ポストモダンの条件」「構造と力」「無限と連続」「日本の思想」「物理講義」「芸術と幻影」を読んだ。

あまり読んでないな。

全部読んだ人もいるらしいが。

「カントもフロイトも読んでいないで、何ができるというのか」などと言ってるが、できたのは官邸前デモとセクハラ隠蔽だろう。

世界的な哲学の賞をとったらしいがその金はどこから出てんのか。中国からか。まあ、わけのわからない金は受け取るまいが。

奥泉光だが、渡部直己やすが秀実に尻尾を振った時点で文学者として終わりだろう。

ポストモダン哲学、現代詩、ヌーベルバーグはインチキだが、批判的視点はなく、古典によって箔をつけようと目論んでいる。

もう人文系だけで威張り散らすのは限界なのでは。理科系以外の学部は縮小・消滅するだろうし。

「ボヴァリー夫人」を聖書の代わりに何回も読む、のに意味あるのかい。

ポストモダン文学なら星新一・筒井康隆を尊重しなくていいのかね。松浦寿輝は尊重するようになったらしいが。

まあ、批評空間系は嫌いで悪口しか言ってませんが。

「このリストに太田出版の本が含まれていないことを見てほしい」などと言ってるが、それがどうしたのか。


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