見出し画像

21. メキシコ&キューバ(中) | 小っ恥ずかしい旅日記

読める世界一周 in Mexico & Cuba
------------------------------------------------------
• 期間:2017/6/14 – 6/23(10 days)
• 旅程:サンチャゴ・デ・クーバ → バラコア → トリニダー → ハバナ
• 費用: 40,316 JPY
------------------------------------------------------

6/14 (Wed) Santiago de Cuba

• キューバ第二の街こと、サンティアゴ・デ・クーバに到着!おまたせ!と言うても、実際にはもう出るとこなんやけど。
• 日記っちゅうのは不思議なもんで、気がつけば2~3日引き離されている。この感じ、何かと似ているような気がするけれど、何やろか。
• カミオンでの移動は思ったよりも時間がかかった。(1)
• サンチャゴデクーバには情報があったのでZulemaのおうちに行ってみる。と少し話が違うじゃない。まぁよしとする。(2)
• 晩飯は8時である。おーちょ、おーちょ、言うて家を出たっけな。(3)

(注記)
1. 庶民の足ことCamion(カミオン)は、ざっくり言うと乗り合いトラック。座席の質は距離による感じ。長距離やとバスっぽく短距離やと鉄板になる。鉄板の場合、衝撃はダイレクトに腰に来るので注意。お尻の下に色々敷いて耐えました。このサイトがわかりやすそう。(参考:キューバ旅行のルートとカミオン移動情報まとめ
2. 言い忘れていたが、キューバでは、カーサ(Casa)と呼ばれる一見普通のおうちチックな家が、ホテル業を営んでいる。許認可を得ているカーサは、青色だったかの印を道に出しているのでひと目でそれとわかる。
次の街に行く時やタクシーを呼ぶ時は、ひとことオーナーに尋ねれば、知り合いのネットワークが強烈に発揮される。街から街へ、人から人を紹介される格好でカーサをめぐる旅になる。もちろん自分で尋ねることも出来る。僕はハバナのシオマラの家を起点に、山盛りの情報ノートを参考に東進した。
3. 晩ごはんの時間を聞いて遊びに行く、小学生の気分。僕のスペイン語はガラクタレベルやけど、それでも英語よりは役に立った。おーちょは8。

6/15 (Thu) 2度目の再会 in Santiago de Cuba

• 朝飯を食べた。商売する側として、ちょうど3 CUCぐらい取れたらいいな、というような顔をした朝飯であった。
• ここがメッカと聞いています、と近くの広場に行けばNanamiを見つけた。あらBeatlesのグラサンを掛けてるじゃないの。(1)
• 色々と声を掛けられうざったらしかったとこを、コーラ飲んで、日陰のベンチで涼みつつ、癒やしていたところだったらしい。(2)
• 一緒に動くことにする、許可も得ずに。この子にはもしかして迷惑かな、と考えてしまうのは何故だろう。恐らく「お前とおったらおもろいわ」的なサインが少ないんじゃないかと思う。
• チョコラテ屋さんに寄ってから、7/26博物館に行く。
• 武装蜂起に失敗し鎮圧された彼らを、革命軍は英雄と讃え、この日を腕章に刻んだのはとてもしっくりくるなと思った。(3)
「音楽とモヒート」は探したけれど上手に見つけられず、結局夜までもうひとつの広場で話をする。少し距離が縮んだ気がするよな時もあったけど、この日の僕はとても臭かった。縮まるかい。
• 晩飯を食べに帰ったらもう外出するのも面倒で、そのまま終了。
• 今後の構想を練ろかいなと頭ひねったら、夢中になって夜が更けた。

(注記)
1. メキシコはカンクンの宿で会った若き旅人Nanami。時間差でキューバ入りし、似たような旅程で各地を巡ったので断続的に会えた。連絡もなしに。
2. 国交の絡みで、キューバにアメリカ産のコカ・コーラはない。そのかわりキューバ国産のコーラがある。味はちょっと違うけど、普通にうまい。
3. このサンチャゴ・デ・クーバの地で起こった革命軍初の武装蜂起は失敗に終わるものの、その後キューバ内各地での内戦の勝利を経て、チェ・ゲバラやカストロ擁する革命軍が政権を打倒する。この博物館の階段の入り口には銃痕がまだ残り、内部の展示品や写真もあわせて、生々しく当時の様子を伝える。犠牲になったJose(ホセ)の目線はかっこよく拷問は恐ろしかった。今は小学校とその建物を共有している。

6/16 (Fri) Santiago de Cuba 捗る

• 朝8時、今日も3CUCの朝ごはんを食べる頃、NanamiはバスでBaracoaへ。
• その後、昨日の夜に考えてたものを少しReviseしフェージングもしてみた。なるほど、ちょうど2020年に7人体制になるのか。理想的には。(1)
• 12時にガンガン扉を叩かれた時、ちょうどええとこでうがー!となるも、言葉が通用しないのでやむなく中座し扉を開けたら、あらいい笑顔。
• この日の夜行で出発するという名案を採用した。なんでこんな簡単なことに気が付かなかったのだろう。

• 昨日の広場あたりでおじいちゃんっぽい人が唐突に喋り話しかけてくる。Don't forget to tell your friends that Castro is alive. Communism is alive.
• モロ要塞はバスで簡単に行けた。行って、戻って、それで十分。
• 金曜の夜ながら街は静かだった。華金、華金と騒ぐのは資本主義の発想ちゃうやろか。(2)
• 夜行バスを求めてViasulの駅に行くが全然来ない。蚊が多い。

(注記)
1. 今後のおぼろげな計画をねりねりしてた。2019年現在まだ1名。
2. おじいちゃんの言う通り、そもそもキューバは社会主義国で配給がある。要は働かなくても食っていける。だから「月金で働いて土日はお休み」というリズムでも何でもないんやろな。毎日土曜日的な感じか。あれ、曜日感覚あるんやろか。むしろ毎日夏休み感覚か?もし働かないでもいいとしたら、何をするんやろか、など色々考えが巡ってキューバはオススメ。

6/17 (Sat) Baracoa素敵

• 肩か何かを叩かれて起きる。OK。ようやくBaracoa到着です。
• バスを降りたら客引きがすごい。4つぐらい宿の紙を突きつけられ、日本語で「この宿、最高です」から始まるピンクの宿が気になったけど、ちょっと待てと振り払ってるうちにいなくなっていた。
• 気がつけば、魅力の薄いなんとなく面倒な15CUCの兄ちゃんと姉ちゃんだけが残り、結局のところそいつらも振り払って、僕は一人になりました。
• 計画と偶然の間を揺蕩(たゆた)うのが醍醐味なのではなかろうか。
• 酷暑に汗滴る中、せっせと遠めの宿を目指して歩いてみたら(1)、あらあなた宿はあるの、的な感じで道端でインターセプトされたおばちゃんの宿に、都合3泊させて貰うことになった。
• 初日は、もしかしたら全ての魅力が凝集したような日であったのだろう。夜、少しの寝過ごしと準備不足のためLa Serenaを逃したのが悔やまれる。滞在期間中、ついぞ2度目のチャンスは訪れなかった。(2)

(注記)
1. 事前にダウンロード済のMaps.me(オフラインマップ)には、宿施設なども印で出ているので、なんとなくここ行ってみるか、等は可能。
2. La Serenaって何やったっけ。誰か教えて。

6/18 (Sun) 3度目の再会 in Baracoa

• Nanamiはまたしても広場にいた。今回は音楽を聞いていた。(1)
• 今日はNanamiを探すDay(探すでー)と思ってたのが、一瞬にして叶ってしもた。大願成就。ちょっと探してたんやけどなどと言い放ちつつも、未だサインは受け取れず。
• 二人して、遠くの美しいBeachを志して、せっせと歩いたけれど、途中のBeachで手を打った。きっとこの子は手前でもよかったんだろう。全然人気(ひとけ)のないBeachであった。
• 疲れた我らはチャリタクを乗ることに。兄ちゃんは4 CUCで大喜びしていた。きっとあげすぎなんだろう。最終的にNanamiは5 CUCを支払った。
• ふむ、さてはこの子はイケメンに弱いのではないか。そしてそれが理由で好かれないのではないか。

• 「うち寄ってく?」などとCasa遊び。Airb風の我が家を紹介する。互いのおうちを見せあって、何やら比較をする彼女に「カーサにミスチョイスというものはない」など適当なことを言う。世間擦れした回答かもしれぬ。(2)
• 家路、不運にもいつもの店は閉まっていて、踵を返したとき、Nanamiは「Cola飲みたいよぉーーー!!!」とちょっとビックリするぐらい大きな声で叫んで、それは僕をひどく喜ばせた。これが最初のサインと思った。
• Nanamiは「じゃぁまた」と言い、僕は「ありがとう」と返し、互いの家に帰る。初めて言えたような気がする。(3)

(注記)
1. バラエティに富んだ登場シーンが印象的。
2. Casa = 家、だけれど、本当に自分の「家」感が強く感じられる。ど短期のホームステイ感覚。
3. その後、Nanamiとは会わなかった。思えば連絡先も交換してなかった。

6/19 (Mon) 惰性で生きてちゃ駄目ですよ

• 確かによかった。だからこそ迷った。その場に佇むことは、出発を明日に延ばすに等しかった。未来のどこかの1日を削るに等しかった。佇むことの甘美なる誘惑よ!
• 結論は、ステイ。もう1泊しよう、と決めた。
• 決めたら決めたでほっと安心、しばしダラダラ。さて外行くかー。
• 事前に何がどう転ぶかはわからないが、結果的にやったこととと言えば、幾ばくかのお金を使って情報を得た、に過ぎない。嫌な情報だった。(1)
• 状況は、情報ひとつで変容する。空は変わらず、海は変わらず、青くとも

(注記)
1. 宿のおデブのお手伝いさんに「ご飯を食べに行こう」的な誘いを受けたので乗ってみたら、海沿いのええレストランに案内された。えらいええレストランやな(勘定は大丈夫か)と思っていたら、最終的にお金は持ってないと言う。詐欺やがなこのデブ!と思ったがそこはジェントルに苛立ちを抑え、不本意に得た勢いで、それまで手を出してなかったwifiカードを買った。(※ここでは一部の主要な公園にwifiエリアがあり、そのへんのおっさんが売ってるカードを使ってデータ通信が出来る)メキシコを出てから音信不通の日々を享受していたが、10日ぶりぐらいにオンラインになってみれば、家から凶報が届いていた。

6/20 (Tue) これからの1歩は、家路の1歩

• 最後の1泊がくれた喜びは、それまでの2泊に比べるといささか少なかった
• 朝ご飯を食べてCorrectivoに乗り、目指すは海岸線の町Moa。道中にあるはずのビーチはちらりとも見えなかった。
• 着いた町で乗り換える。一人のおっさんが助けてくれる。向かうは、Holguin。おデブオススメの町です。到着。
• バスターミナルへ移動。Torinida(トリニダー)へは夜行バスがあるそう。26CUC。最早だんだんいい加減。よかろう。一泊もせずにいざ出発。

6/21 (Wed) 夕飯はロブスター

• トリニダー到着は朝。通称レオヤミ(レオとヤミの家)で有名なお家を目指す。途中華麗なターンで客引きをかわした。微笑みも交わした。
• 到着すると日本人が沢山。どうもどうも、そうなんです。僕もなんです。
「Theバックパッカー」なる評価を得る。初めて言われた気がする。
• 一人の女の子(と言っても年上やけど)Namiと行動を共にする。
• 夜はこの宿の看板料理でもあるロブスター。ごっつうまかった。

6/22 (Thu) 最後の夜

• 朝起きて、宿主のレオに率いられて釣りに出かける。呼んだTaxiが全然こなかったけれど、来たTaxiはとてもよかった。(1)
• 1匹釣れた。全くの不漁である。
• 昼過ぎてから、Habanaへ。日程が同じだったNamiとクラシックカーで優雅に帰る。安定性と寝心地を考慮して、肩を抱いてるうちに親密度が増した。
• 再びシオマラの家に戻ると、2人分ベッドがないと言う。どうしたもんかと思っていたら、宿主はボディーランゲージでダブルベッドの真ん中に線を引き、半々に使えと指示をした。なんと強烈なパス。ありがとうAndy!
• 目前の1対1を制するのは、もはや時間の問題かと思われたが、思われただけであった。(2)

(注記)
1. レオは釣りが得意で、一緒に釣った魚を料理してくれるのが売りの一つ。クラシックカーでわいわいがちゃがちゃと。
2. この根性なしが!あほー!

6/23 (Fri) La Habana~時間ないで~

• タクシーは走った。元気に走った。
• 空港窓口の担当者はなんとかねじ込んでくれた。45分ばかししかなかったように思う。
• 短い時間で、色々詰め込まれた、キューバお別れの朝でした。(1)

(注記)
1. これまた大事なことを言い忘れていたが、キューバ入国のビザ発給(空港で手続き出来る)には、出国用の航空券を事前に抑えてある必要がある(多分)ため、入国前に滞在期間を決めとかんとあかんという難問に直面する。バラコアでもう1泊を迷ったのは、お尻が決まってたから。今回はカンクンの宿で他の旅人にも聞きつつ、えいや!と2週間に決めたけど、いくつか行けなかった場所もあった。ビニャーレスとか。やり残したことがあるぐらいがいい、ともまあ思うけど。

(中 以上)

よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。