見出し画像

R.I.P. 2019夏~今年の君は暑かった~

8月19日の今日は、夏のお葬式であった。

実際の死亡時刻は、昨日の夕方から夜にかけたぐらいで、「まあこんなもんかな」とでも言うような、気の抜けた熱を放っているのをもって、僕の中で、夏の死が認定された。

そう、季節はカレンダーに合わせて変わるわけではない。自然の中にしかるべきタイミングがあって移り変わるのだ。

例えば、道端でアリと出くわせば春であるし、夜の暑さに手心が見えたら、それはもう秋が懐に忍び込んだ証拠である。

2019年の夏は、暑かった。弔辞はこの一文で事足りる。それ以上の言葉はいらない。赤ちゃんはかわいい、旅行は楽しい、夏は暑い。これが一番の褒め言葉である。強いてもう一つ足すのなら、野菜は甘い、とか。

僕は夏が好きなので、何かしらの弔いをしたいと思った。
それが冒頭の、夏のお葬式である。

さて、一日一恥。まさまさのターンです。

夏の終わりの雨と氷

今日の午後3時ぐらいから、4-5時間ほど、やや激しい雨が降った。自然側も一応念押しで、夏への感謝と別れの涙であった。

アスファルトにぶつかって、わいわいと跳ねあがる雨を見ながら、僕は電動自転車にまたがった。お葬式に出掛けるのだ。左手にハンドルを握り、右手に傘を差した。器用なものである。

■ 出だし不調にて
電動自転車のスイッチをONにして、上り坂の斜面を漕ごうとした途端、思うようにペダルが回らず、全身が前につんのめった。傘を差してた右手が、銃で撃たれた野鳥のようにハンドルに落下し、そこにある鈴をチリンチリンと2回鳴らした。誰もいないのに。

スイッチをONにしてから、前回設定の重さ「3」に対して、電動アシストするまでの間が持たんかったんやな、と一人で納得する。

さて、気を取り直して。スイスイいくかと思ったら、ぱたこん、ぱたこん、ぱたこん、と後ろのタイヤに空気があんまり入ってない。電池も残り7%と少ない。なんや調子悪いな。

でも大丈夫。道中には(失礼な話だが)空気を入れて貰う時だけ入る自転車屋さんがあるから、そこで対応が出来る。

空気はタダでスグに入り、さっきより地面に対する反発が生まれて、随分と推進力が増した。これで大丈夫、と思ったら、電池残量が4%になっていた。電池は解決しないのを忘れていた。

なんかちょっと今日抜けとるなー、と思いつつ、段速「1」かつecoモード。節約しながら上り坂を登る。

雨の中とは言え、電動自転車は楽チンである。

■ 続きも微妙にて
電動自転車が我が家に来た時、最初に乗った姉が「めっちゃすごいで。後ろから2~3人が思っきり走って押してくれてる感じ」と語ったが、これは言い得て妙やったなーと、ふと思い出し、そうして自分でも最初に乗ってみた時のワクワクを脳内で再現しているあたりで、前輪がスリップした。

歩道の左端、少し手前に溝があり、その溝は鉄格子状の蓋で塞がれている。ここは滑りそうやなと察知した僕は、その鉄格子状の蓋から逃れるべく、歩道の真ん中側へと、右にハンドルを切ったが、哀れ、タイヤはまっすぐに流れた。

ぬおおお。ハンドルは左手の片手操作なので、巻き込んで倒れそうになるのを、グッと堪える。右側のバランスは?右足を踏み込んでバランスを保つ。これしかない!とっさの対応であった。

すると、どうだろう。右バッターのアウトコースに放ったはずの直球が、突如シュート回転をして真ん中へ!の状況になった。その甘くなったボールはよく痛打されるやつである。

ただし今回の曲がりは鋭く、真ん中に甘く入るにとどまらない。右足で力強く踏み込んだペダルは、電力のアシストを受けて、倍の力でぐん、と勢いを増し、そのまま車道へと飛び出ようとする。あ、そっちはデッドボール…。後ろから、車が接近しているのが目に入る。

これはあかん。

左手のブレーキ、ムギューー!右足もペダルを離れ、地面を踏んで、力技に。あったっとっ!とっ!たっ!と!と変な声をあげつつ、右足をアスファルトにダンダンと、ケンケンの格好で打ち付ける。

ふう…止まった。電動自転車恐るべし。最終的には、車道に1メートルぐらい飛び出して止まった。さっきの車は通り過ぎた後で、右手の傘は、虚空を突き刺していた。僕は何をしているのだろうか。

っていうか、最後の4%で、なんちゅう大仕事をやってのけるつもりなのか。お前のアシストは自殺幇助かい。明日はワシの葬式かい!

ひとしきり、電動自転車を叱りつけた後、残りの長い下り坂は、ブレーキを十分に効かせて走った。

■ いざ到着
目的地を言ってなかった。「かき氷屋」である。夏と言えばかき氷。あとは花火とビアガーデンである。まだ今年、きちんと楽しめてなかったかき氷。この大雨の降りしきる中でも、3組待ちの盛況であった。

40代ぐらいの夫婦に、もう少し歳の若いカップルと、そして3人娘の1人がまだ小学生前といった5人家族が待っていた。小学校高学年ぐらいの長女が、中学年ぐらいの次女の髪をいらって「これかわいい」とか言っていた。

この「かき氷屋」は立派な建物で、江戸時代の豪商の住まいを模した町家建築とか何かであるらしく、要するに、日本っぽいイケてるデカい家である。お茶と甘味が頂ける。いい感じの雰囲気を武器に、甘味を高値で売りつける作戦に、まんまと喜んでハマってしまう。そういうお店である。

せっかくなので、日本庭園風の何かしらを眺めて趣に浸ろうかと思ったが、特に何も思うところがないので、5人家族の会話などを盗み聞いて過ごしているうちに呼ばれた。

合計7つになりますが、よろしいでしょうか

あてがわれた席は2階の端っこの窓際の、屏風みたいなもんの手前で、屏風には、ありがたそうな漢字がびっしり書いてあった。一文字も読まずに席に座り、案内されたその場で注文をする。

「マンゴー氷に、トッピングで白玉を+4個でお願いします」

告白しよう。僕は白玉がとても好きであると。これまでの人生において、これには驚いた、ほっぺた落ちた、という「食との邂逅シリーズ」の記念すべき1つ目は、小学校の家庭科の時に習った白玉であった。

その後、ナタデココや、パイシューなども追加されていくが、ここでは深く触れない。

好きなものには、ジャブジャブと。「+2個で50円」の良心価格が、僕を鷹揚にさせ、江戸時代の豪商にさせ、「+4個で100円」という大変気持ちのよい着地へと誘った。

店員さんは答える「もともと3個ありますので、合計7個になりますが、よろしかったでしょうか?」

なるほど、わかりました。えっと、うーん。はい、多分大丈夫です!

しばし待っているうち、氷が届く。

画像1

「白玉は、冷えると固くなるので、お早めにどうぞ」

注文を取ってくれた人とは異なる、氷を運んできた人は、机に領収書を置くのではなく、若干の高さから放ったのには、一瞬、うっと思ったが(しかも表向きかい。900円て見えてるよ!)そんなことを気にしている場合ではない。白玉が固くなるのだ。

はい、おいしい。とても、おいしい。

スプーンを差し込めば、新雪のような氷がシャワっと音を立てる。

はい、すごくおいしい。

黙々と食べる。よく考えたら、夏のお葬式でしたな。夏っぽいことをして、あー、今年の夏は暑かったなー!と想いを馳せる。そういう趣旨であった。

白玉は固くならなかった

傘を差して自転車で走ると、ズボンがよく濡れる。到着までの下り坂のスピードで、はっきり言うて、僕はちょっと重たくなったぐらい濡れていた。

お座敷に上がり、クーラーの効いた快適な室内は、そんな下半身を少しづつ冷やした。上からかき氷、下からクーラーである。何の恨みぞ。うう、寒い。

おいしい、さむい。
しゃわっ、おいしい。しかし、さむい。
でも白玉、固くなーい。

そうこうしているうちに食べ終えた。うう、おいしかった。

達成感でぼーっとしていると、周りから、他愛のない会話が聞こえてくる。「かわいいなー、ななちゃん。唯一無二の顔してるわー」顔ってそういうもんやでー。ぼんやりと過ごす。

そろそろ帰ろかなと思った頃、注文を取りに来た人が、器を下げに来た。

「白玉、多くなかったですか?」

ああ、なんていい人。さっきの領収書投げたヤツの印象が、きれいに溶けて生まれ変わった。君だ。僕は、君だけを覚えて帰る。

「はい。まだ、いけました!」

元気に答えて、後にする。

-----------------

帰り道、雨の中をまた自転車で帰る。アスファルトは雨に濡れて、そこに仰向けにひっくり返ってセミが死んでいた。右側の羽根が少し広がって、地面に張り付いていた。

それは、全てをやりきったような、もう悔いはない、というような、さながら、シャバーサナ(屍)のポーズであった。ポーズではないけれど。

夏の遣いを見たような気がした。
どうもお疲れさまでした。

さて、残るは花火とビアガーデンにも行って、もう少しだけ、この暑かった夏を惜しみたいと思う。

(以上)

よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。