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11. イラン | イランって怖くないん?って言うじゃない

読める世界一周 in Iran
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• 期間:2017/2/21 – 2017/3/6(14 days)
• 旅程:ドバイ → テヘラン → シーラーズ → エスファハーン → ヤズド → テヘラン → タブリーズ
• 費用:49,760 JPY(※為替差で少し抑えめで済んでいる。VISA含む滞在費)
• 特記事項:数多の心優しいイラン人は特に英語はできないけれど「Welcome to Iran」だけは知っていて、耳にタコが出来るほど浴びせられた
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2/21(Tue) イスラムの洗礼

• 驚きました。今までの旅でTop3に入るビックリかもしれない。イスラムの洗礼である。
クレジットカードによるキャッシングがイラン全土で利用不可と来ましたか。(1)
• 空港内をふらふらしてたら、日本人らしき出で立ちの人がある。ベンチの彼は、今から帰るタカヒロ君。イランには日本人がいるんやな。
• 彼から譲り受けた、地球の歩き方はとても役に立った。

(注記)
1. 人に聞くたび、駄目だの無理だの言われて、ATMの故障かなとか勘違いを繰り返していたが、経済制裁でしたか。Sanctionにより、イラン国内では、国際クレジットカード(VISA, Master, American Express, etc.)全部使えません。JCBも無理。いつものプラクティス「とりあえず空港で200~300$程度をキャッシングする」が使えない。この一本槍でやってきたのに。。。
 Money exchangeに行って、日本円はあるでって言うたものの、空港では日本円の換金はやってないと言われる。市内に行けと。その市内に行くための現金がないやないか!現金が。。。100ドル弱ほどあったのは、ちょうど入国のビザ代と保険代(?)に消えたし。。。ふと目にとまるディルハム。

2/22(Wed) 正気を取り戻す

• 起きて、日本円を全額リアルに両替する。レートが良くてお金が増えた気になる。(1)
• 水とパンが安く10,000リアルぐらい(35円)これだけでやっていけたら食費はかなり絞れるだろう。
• お金がないことが、頭にこびりついて、あまり何をするでもない。
• とりあえず夜行バスでShiraz(シーラーズ)を目指す

(注記)
1. 昨日は、手持ちのUAEディルハムを、イラニアンレアル(IRR)に替えて、市内の宿まで移動できた。翌日の今日、両替屋が並ぶスポットに繰り出し、手持ちの28,000円を全額替えて、これが命のお金。

2/23(Thu) ダイビング旅行法を導入

• いつまでもお金を気にして萎え目に過ごすのも興がない
• ダイビング旅行法を導入し、「緊急浮上ライン」を決めるとともに、「別途Buffer」も用意することにした
ダイビング旅行法とは
 ✔ Divingは、タンク約200 barからスタートして50 barが来た時点で浮上を開始する
 ✔ 同様に、現在のお金からスタートして、ある閾(しきい)値を設けて、そこに到達したら緊急出国を試みるというもの(今回は、残金が2,000,000リアル(約7,000円)になったら、その時点で国境を目指すことに)
 ✔ 別途Bufferは、手持ちの酸素ボンベ的なものと思って頂ければ差し支えない(ちなみにインドルピーとシンガポールドルとタイバーツがちょこちょこあった)(1)

• Shiraz(シーラーズ)はよいところ
• 昼過ぎからは雨が降り、観光もそっちのけ。冷たい夜に辿り着いたカフェ・フェルドウシ。あの忘れがたいムード。けぶるような温かなイスラムの空気

(注記)
1. 1,200(INR) ≒ 2,000(JPY), 24(SGD) ≒ 2,000JPY, 420(Baht)≒1,200(JPY)ぐらい残っていた。

2/24(Fri) Persepolis(ペルセポリス)

• いつも通り、朝はそれほど早く起きれないけれど、インド以来ずっと高水準を維持している(9時とか)、中国時代の僕はもういない
• Taxiとミニバス乗り継いで目指せPersepolis!ミニバスで1時間ほど乗客が集まらなかったけれども、焦りもなく、ゆるりとPersepolis、順調に到着。
• 広い!でかい!とかは、わかりやすいなぁと思う。ある人間に力があるということを証明するためには、こういう一般市民的に、めっちゃ凄い、と思うものを、実際に見せることなのかと思った
• Café Ferdowsiに再訪する。昨日の情緒はもうないけれど、よいところ。お会計をお願いしたら「Just 9,000 Toman」と。Justつけんな!(1)

(注記)
イランには、 2種類の貨幣の呼び名があり、公式通過のIranian rial(リアル)と、現地呼称のToman(トーマン)がある。1トマン=10リアル。特にどちらと明確にされずに言われるので、みんないっぺんわけがわからなりながら慣れていく。値段を言われたら、Toman? Toman? と聞くこと請け合い。

2/25(Sat) Shiraz(シーラーズ)最終日

• 昨日の夜、ちゃまと話したことが少し尾を引く。切ないが仕方ないこと。自分でコントロールできないことは気にしても仕方がない。(1)
• 今日はゆるりと街中を観光、Mosque of Nasir-or MolkとShah Cheragh Shrineを巡る。観光地の名前が難しい。MosqueとShrineの違いがわからない。(2)
• 宿に戻り、身の回りのことをして、午後はHafez Mausoleumとやらに。ここはいまいち良さがわからず。コスパが悪いと、うっと思う。金欠ゆえ。
• バザールへお買い物。なんとなくいい感じのズボンを探すも見つからず、それでもいい感じ。イランはいい感じにさせてくれる。
• 最後にもう一度、Café Ferdowsi。お会計。Justとは言われず、あのおっさんだけの言い回しであることを知りホッ。

(注記)
1. 何のことやったかな、、、
2. 多分、対象と目的が違う。モスクはあくまで神に祈るための礼拝堂。特徴としてそこは「何もない」必要がある。というのも、イスラム教は唯一神で、その唯一性を損なう「偶像」崇拝を禁止しているから「神にまつわる何もかも」が存在できない。ただ建物の形状から祈るべきメッカの方角だけわかる、という奥ゆかしさ。一方、祭壇やらがあったら、そっちは「神ではないもの」をやいやかする廟(ビョウ)(重要な人を祀る宗教施設)とかなんだと思う。

2/26(Sun) Welcome to Esfahan

• エスファハーンかイスファハーンかに到着。
• 世界の半分と言われるエマーム広場に到着(1)。朝の眩しい日差しの中で、一生懸命ひまわりの種を食べた。これで来世はリスでも大丈夫。
• 宿に着くと日本人がいた。久しぶりの日本人である。イランには日本人が多いのではなかろうか、そして集まる宿が決まっているのではなかろうか。
• お昼過ぎからまた広場へ行く。ちびっことサッカーに興じる。金魚のフンサッカーよりは少し洗練されていた。
• 主にガキンチョの中国人差別の誤爆が酷い。人を見てはチャイナチャイナ、チン・チャン・チョンの嵐。(2)
• 日が落ちたぐらいから素敵な時間を過ごせる、旅中の気分はふとした拍子に変わりもする、不思議であります。

(注記)
1. エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン(エスファハーンは世界の半分)という、当時の栄華の褒め言葉で有名らしい。
2. 中国人というよりは、黄色人種一般への嘲りの可能性が高い。

2/27(Mon) Esfahan2日目

• 1日目はゆるやかに過ぎ、2日目起きて朝ごはん
• インドでの物乞いの話がウケる。日本語は楽でいいなぁ。
• 何かを損なっているんじゃないか、と思うことから自由になれれば、変わる気がした。加点方式で考えたいと思う。
• この記録も、日常に起きたことを、ただ経時的に精確に供述するよりも、よかったことや気付いた揺れに集中して生み出していきたいと思う。少なくたって構わない。(1)

(注記)
1. なるほど。。。

2/28(Tue) Esfahan3日目

• 昼過ぎに出発。「これを食べないと世界の半分を損している」と言われるBeryaniを。うん、言いたいだけやな。そこそこ美味しかったけど。(1)
• 1 Beryani keeps doctors away.とのこと。それアロエと違う?医者いらずは国によって違うんやな。
• やや遠い方のMosqueを見て、散々悩んだズボンは買わずに我慢して、Mainの広場でMosqueを見たら丁度17時になりました。

• 英語教師をしているというおじちゃん(少しアホっぽいがバカではない)とお話をしてるうちにイラン女性2人が近寄ってきて、お茶でもしますか、という流れになり、カフェに着いたところでおじちゃんと一緒に逃げた(2)
• 「柔らかい◯◯◯◯を下さい」と、どこで覚えたのかハレンチな日本語を連呼するおじちゃんに、それは駄目だと。もしSoftを言いたいのであれば、つるつるである、と教えてあげた。
• 彼は5つぐらいのペルシャ語を僕に授けて、明日はお茶をしようと別れた。僕はこの日にエスファハーンを出た。
• 彼を含め、イラン人のウェルカムさ、というか人懐っこさには、少年を見るような時がある。
• 夜、どういう発作なのか、喋ってる最中にも唐突に馬のいななきをするおじいさんを訝しげに眺めて、北バスターミナルまで歩いた。本当に馬のいななきそのものだった。

(注記)
1. Beryani. ビリヤーニではなくベルヤーニ。
2. おじちゃん曰く、あの二人はいつも旅行客を目当てにたかる妖艶な女連中である、とのこと。

3/1(Wed) Yazdなう

• 深夜1:30出発の遅いバスを取ったにも関わらず到着は早朝6時であった。そのままターミナルで9時ぐらいまで寝る。
• ベンチに足を上げて寝ていたら、おっさんに小突かれて「Stand up!」と言われた。小学校やんけ。しぶしぶ起きる。
• 駅にいたTaxiのおっさんとの値段交渉が決裂し、8kmぐらい歩いたらー!と思っていた矢先に、7,000 tomanで良いと言う兄ちゃんが現れた。これに乗って彼のオススメの宿に着く。
• チェックイン。朝ごはんも食べていいよ、と優しい対応。
• 昼過ぎに出掛けて、オーストラリア人の友人グループと一緒に散策して、夕方は地元の子供たちと近くの公園でFutsalをした。途中からプレーの精度が落ちたのは反省材料。「最後の1ゴール」はきっちり収めておいた。

3/2(Thu) 目覚めて翌朝Yazdなう

• 起きて飯をたくさん食べる。それがある種の自分らしさに根ざしたロールプレイ
• 洗濯をしてゆっくり出掛ける。Friendly houseに到着。ここに昨日の友人が泊まってるとのこと。遊び行こー!と呼びに行く。小学生のような動き
• もっちーと、沢山歩いて歩いて、カフェにてダラダラ、この日はそれだけ
• この男は、どうやらちょっとした変態であるようだ

3/3(Fri) Yazd→Tehran→Tabriz

• 出だしが少し遅れるのはいつものことながら、この日も遅れた
• Now is the Time to Travelというブログをやってるぜ!と言ってた同じ宿のカップルに、もっちーはかっこいいー!と称賛を浴びせた。僕にはなんだか目線が近いんじゃないかと思ったけれど(1)
 ✔ Tom的な男はおどけて見せるが頭がきれる印象、女性の方は人付き合い達者な印象。実力派オランダ人カップル。
• 色々算段つけて、上手にYazdが終焉を迎えた。阪大のペルシャ語専攻の皆さん、さようならー!(2)

世界の車窓から(Yazd → Teheran)
• 砂漠を走る6時間半ほどの鉄道の旅はゆるやかに、半分ぐらい寝て過ごす。23歳の娘、26歳の息子、そしてその母という3人に、ボックス席で1人アジア人という格好になった。
• その母が色々と質問をくれる「兄妹は?」「家族の写真は?」等
• 「隠されると価値が出る」ことを知った。娘の髪の毛が時折露出した隙に見て、少しドキドキする。たかが髪の毛なのに!(3)
日本人はUndersexedだからこれを食べると良い、と何やら砂糖的なものをオススメしてくれて、不思議な気持ちになった。僕の性欲は足りてる方だと思います。(4)
• Tehran到着。バス乗り場まで移動したかったが、メトロは途中までしか行かず、そこからは乗合Taxiで移動を試みる。1人のしょうもないイラン人がぼろうとして、1人の優しいイラン人が運賃を奢ってくれた。
• バスは特に何のサービスもなく、ただただ西進、Tabrizを目指した。

(注記)
1. 彼らのイラン編の記事(8 tips for a stress free visit to Iran)を見てみる。なるほど、これはためになる。なおコチラの記事(イラン旅行の際に知っておくべき11のコト 「まだ行ける未知の国:イラン」)もよいまとめ。
2. 鳥葬で有名な沈黙の塔にて、ゼミで来た、という10人弱の日本人グループと会った。阪大にはいいゼミがあるんやな。
3. イランでは女性は髪の毛を隠さねばならない、体のラインが出る服装もしてはいけない、という決まりがある
4. 日本人のSex事情に何故明るいのか

3/4(Sat) イランの西端、Tabriz(タブリーズ)

• あれ、思ったほどじゃないな、という感じ。もっと荒涼としたムードを勝手にイメージしてた。
• 到着から2日後のバスを抑えて、宿を探しに市内へ。Taxiの運ちゃんはいつも信用できない。
• 思いの外いい宿見つかりました。30,000 IRR。懐に優しいお宿です。
• 昼過ぎ出掛けて、ブルーモスク訪問失敗。営業時間は夏と冬で異なる模様。隣の店でコーヒーすする。この喫茶店にはバーのようなムードがある。
• イラン人の親切は凄いもんで。この日はデーツをプレゼントされる。売りもんやのに。宿に帰ってすやすや。

3/5(Sun) Tabriz2日目は、イランのハイライトなりえるんちゃうやろか

• 昼飯うまし、ふらふら歩いてたところを捕まる。イラン人のカップルのような人達が、何をしてるんだ、と。今俺たちも市内散策をしているんだけど一緒に行くか?と言う。
• ついていくことにする、、、と、行きたかったところを巡れることになった。なんたる幸運。
• 途中で寄った喫茶店での、けぶるような雰囲気は、イラン特有のものなのだろうか。タバコの煙が、女性の被った黒い服によく似合う。(1)
• 夜はミニカッパドキアと言われる場所へ。イランの若者含む7人でバンで移動する。低音響く音楽をかけ、ギターを持ち込み、移動時間も楽しむ。イランの若者の遊び。
• 夜街へ帰りしなに、ある一人にうちに来るか?と聞かれて、行きたかったけれど、なんか断った感じになった。
• 適宜解散して、また別の人からお誘いを受けて、一旦受けてみたものの、転じて断る。何だかごちゃっとしてしまったけれど、一人目断ってるから、と思って。これが忠義か。正しかったかはよくわからない。(2)

(注記)
1. マガジンの写真参照
2. 非常に難しいのだけれど、イランの人には、「本気にとったらいけない」オファーがある、と聞いていた。物凄く優しい彼らは、そういうオファーをするけれど、何回か断って、断って、それでもって言うならYes.が正しいみたい。

3/6(Mon) 別れの朝

• 最終日は6,700 IRR(235円)で迎える。シャワー代にて5,000 IRR(175円)を使用。お金もうぎりぎりよ。(1)
• 手持ちのSGDをちょこちょこ変えて、いい着地。
• アーティストの集まるカフェにて水タバコを一服する。伝統的なTea Houseはこういうものらしい。
• これにて14日間のイランの旅もお終い。いざ最寄りのATMことトルコへ!

(注記)
1. テヘラン空港でディルハム替えてから、以下のように推移した。ビザ関連で必要だった81USD(約9,000円)を除くと、約41,000円(1日あたり3,000円≒1,000,000 IRR)ぐらいでしたよ、と。なお、公的レート(銀行)より実勢レート(街の両替屋)の方が(だいぶ)良いので要注意。

(以上)

よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。