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訳なく正しい瓢箪山

行ったことがなくても、そこにいけば、ここに来てよかったと思う場所。
口ずさむ響きで、ああ、よかったんだと思える。

自分で考えたら、果たしてこの答えに到達できたろうか、わからない。
それが瓢箪山(ひょうたんやま)だ。

自分の人生における、意味だとか、何かしらの目的に対して、確信を持てずにいるときに、そんなもんは、考えるようなことではないのだ、感じるものなのだと教えてくれる。

根拠などなく、ただ、これでいいと思わせてくれる。
所詮、意味や理由も後付けかとか、そんな理性的な整理も必要ない。

ただ、全てをそのままに忘れて、受け入れられるようになる。
これでよかったのだと。

ただしこの瓢箪山にも欠点はある。

たとえば物事に対して、少しのよそ見も必要ないくらい、確信があるとか、切羽詰まってるときには、かえって邪魔になる。

口ずさむ響きさえ、酔っ払った親父のダミ声のように、不快に響く。

また、他人と共有する時にも、注意が必要だ。

あなたにとっての瓢箪山が、彼や彼女にとっても瓢箪山であるという確証はないからである。

だから瓢箪山は、自分ひとりになって、ふらっとそのへんを散歩するような時にこそ、見つかるものだと思う。

最後になるが、この瓢箪山は人生において、最大3度しか現れない。

ただ、現れて、去っていく。

それをどう捉えるか、それでもってどうするかは、特に決まっていないが、このカウントが有限であることは、知っておいていいと思う。


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PS. 
杉本しほさんの記事にあった『田丸雅智のショートショート講座』を試してみた。田丸さんの著作は、過去に読んだこともあったので、楽しくできた。

上記リンクの、お話を作るプロセスはざっくり以下の3ステップ。

1. 変なことば(でも意味ありげなもの)を作る
2. いいところを説明する
3. 悪いところ & 特殊事情を説明する

文章的には、1. 題名 2.+3. 本文 という感じで、なんかそれっぽくなる。

素材は自分自身から出てきたし、その面影もあるけれど、調理法が変わると、こんな違った味わいにもなるか、という不思議体験。

お暇があれば、お試し頂きたい。

(以上)

よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。