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海のファンタジー

電車とバスばかりが好きなヨーヨー(3歳8か月)に違う世界にも興味を持ってもらいたくて「ファインディング・ニモ」のDVDを見せたら喜んだので、週末はその勢いで、水族館へ連れて行った。

私自身は昔から水族館が好きで、都内の施設には軒並み足を運んだことがあるけれど、今回行ったのは、すみだ水族館

点数は限られているけれどもツボをおさえた展示の隅々までがよく手入れされている。スカイツリーという観光名所の片隅にあって、食べるところ買い物するところも多い。導線が広々していて閉塞感がないのが、小さい子連れにはありがたい。

ヨーヨーはクマノミやナンヨウハギを眺め、大水槽のエイやサメにも「大きいね!(ニモの映画に)出てきたね!!」と興奮していた。しめしめ。

わたしは、ヨーヨーを放牧しながら妄想スイッチをオンにする。

イソギンチャクに出入りするクマノミ、白い砂地にゆらゆら揺れるチンアナゴ。魚たちは、同じ海に生きながらも多様性に富んでいる。何を習慣にしているか、何に反応するか、何が幸せか、多分、それぞれの種で全く違う。

潮を渡る魚は、潮を渡る魚の言葉、珊瑚礁の魚は、珊瑚礁の魚の喜び、群舞する魚は、群舞する魚の幸せを、同じ種類の仲間と分かち合っている。

クマノミが「イソギンチャクに出たり入ったりする安心感サイコー」と言っても、マグロにしてみれば「あぁ、”イソギンチャクの中のクマノミ大海を知らず”ってやつだね」と鼻で笑いそう。

マグロが「黒潮に乗って飛ぶように泳ぐ快感ったらさ!」と言ったら、チンアナゴは「うわっ、そんな大変な生き方が宿命だなんて!かわいそう〜」って思うかも。

で、チンアナゴが「寄せ潮にフワーっと身を任せて藻屑をキャッチした時に感じるゾーン」を語っても、アジは「え?みんなでグルグル流れを起こしてこその命だぜ?ノー・グルーヴ、ノー・ライフ!」って感じだよね。

人の世界も。国籍とか宗旨とか性別とか世代とか、いろんな要素でプロトコルがちがう。「小さな子を持つ現代日本人の母ちゃん」と範囲を特定しても、専業主婦の世界と、ワーママの世界は違う。その先でも、企業戦士と独立自営で見ている世界はまた違う。

・・・というようなことを妄想しながら改めて「ファインディング・ニモ」について思うと、クマノミの身ながら、いろんな生き物に出会い力を借りて大海を横切るマリン(ニモのお父さん)のお話は、その種のレイヤーを超えるファンタジーなのだ。彼が出会う「お魚は友達、エサじゃない!」と宣誓努力するサメの三匹組とか、滑稽なんだけど、現実世界にもその手の涙ぐましい努力をする人、いるいる、いるよねって感じで、実によくできているなと思った。

だれでも、本来、異質な者と擦れ合うことをおそれず、自分は自分と腹をくくって、好きなように生きていいのだ。他者とは違うのが基本なんだから、分かり合えたら奇跡くらいに思っていれば擦れ違いを嘆くこともない。所詮最後に死ぬ時はひとり。

ヨーヨーが一人で30分以上ペンギン水槽に張り付いていてくれたので、好きなだけそんな妄想の時間が取れた。

水族館ていうのは、あの暗さと非日常具合が、わたしの妄想スイッチになっている。海は地球の生き物の起源だからかな?

つい、2回行ったら元がとれる年間パスを買ってしまった。

個人的に東京界隈で一番好きな水族館は葛西臨海水族園なんだけどね、ちょっと遠いから。すみだ水族館もいいんだけど、ちょっとオシャレ系すぎて、水族館と言えば定番のぐるぐる回るイワシ or アジの円筒水槽がないのは残念。私だけかもしれないけれど、トランス状態で延々と回り続ける小魚の群れを見ていると、なんかヒンドゥー・ミュージックをきいているみたいな気分になる。ならない?

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