ニュートラルに違いを愛でる
4月はあっという間に過ぎたれど研修の繁忙期は続いていて、わたしはあちこちの企業研修にちょこちょこ登壇しています。
この時期になると研修続きのなかで「自分はついていけていない気がする」と自信を失いかけている新社会人の声もちらほら聞こえてくるのですが、
講師視点からみると、研修設定なんぞに「100%ついていけてる」受講生なんて一人もいません。ていうか、そもそもそうなる必要はない。
問いに対して必ず正解があって、満点をとったら評価される生徒・学生の世界とは、社会人はその点が大きく違うのです。
世界は広いうえに加速度的に変容しているのだから、常に100%ついていくことなんて事実上不可能です。解せないことは次から次へと湧いてくる、その中で生きていかねばならぬのです、誰もが。
私が新卒社員だった頃、社内のいろんな部署を回る3ヶ月のOJTの最後に「もうだいたい分かった。会社なんてこんなもんかって感じ。」と言った同期がいて、私はといえば「何も分かった気がしない」状態だったので、不思議なことを言う人もいるもんだなあと印象に残りました。
私、時々理解できない相手に出会うと「これは自分とは違う種類の人だ」て考えます(実は割と多い)。
コツっていうか、そこで大事なポイントは、違うからといって相手がダメとも思わないけど、自分がダメと思うわけでもないことです。
ただ、その違いをニュートラルに愛でるのです。
言い方を変えれば、その人と自分とで掴みたいこと(上記の同期で言えば「分かりたいこと」)のゴール設定が違うことを認めるのです。
違う、ていうと、突き放されたみたいに冷たく感じる人もいるようですが、私は子供の時から、友達と何かお揃いのものを買ったり、トイレにまで一緒に行ったり、群れたりすることのほうが、得意じゃないタイプでした。
研修というのは、その掴みたいこと・分かりたいことのゴールを揃える意図で設計されているものですが、万人に通じる原理というのは実はすごくシンプルなんだよなあと、研修講師4年目の私は思います。
登壇の場ではそうは言わないけど、個人的には、皆を金太郎飴のように揃えることが大事とは全く信じていません。
えーっと、何が言いたいかというと、
みごと入社試験を突破して研修の場にいるくらいの方には、私のそういう自己肯定感の部分を真似してもらえるといいかもしれないと思うのです。
周りは納得しているようだが自分にはよくわからないぞということがあった時に、周りと違うからって自信を無くすのではなく、自分の視点を無かったことにするのではなく、むしろ「なんでだろう」って、大事にしてほしい。
でも、わからないまま放置していいということではない。
自分はこう思うんだけどということを示して、相手が違うように考えている理由を知ろうとして、仲間と響きあってほしい。案外聞いてみたら相手もよく分かってなくて話が深くなったりします。それが、組織で働くことの醍醐味の一つだと思います。
もう一つ、種明かしをすると、まきちゃんて話が深くて面白いわ〜と言われることも割とあるんだが、実はそれって、私が深いわけではないのです。ただ相手との視点の違いを愛でてそこを放置しないで紐解いていけば、自然と会話は深くなるのです。