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me in we

少し前、巷で話題の(?)シェアードオフィス、Weworkを見学してきました。

立地が便利だし、この春からのオフィスの設置場所を考えていたこともあって。他にももっと手軽な価格設定のシェアードオフィスはいろいろあるけれど、何が違うのか見ておこうと思って。

結論からいうと、Weworkでは、個別スペースのパーテーションは確信犯的に上から下までスケスケ透明のもので、通路やお隣さんから丸見えなので、顧客のデータ扱う仕事をするわたしには向いてませんでした。

とはいえ、あれを不透明にしたら、固有スペースのユニットは狭いので、とたんにカイコ棚か漫画喫茶か!みたいになってしまいそう。自分にとってはナイなという結論は早々に出たのですが、逆にどんな人が入居するのかが気になってしまいました。

データセキュリティを気にしなくてよい種類のノマドワーカーが、節税対策エクスクラーフェンとしてホットデスク借りるみたいな感じなのかな?パントリーの構えや会議室の構えはシリコンバレー系ベンチャーっぽいかんじなので、そういう雰囲気が好きな人向け?

個人的には、時に気分を切り替えて仕事をしたいだけなら、Academy Hillsのライブラリー利用契約のほうがいい。にぎやかさがほしいなら、最近、雨後の竹の子のように増殖しつつあるオサレカフェに行ってカプチーノ代を払って仕事をするので十分。Yahoo LODGEなどのちょっとした打合せもできる基本無料のコワーキングスペースもあるし。いい時代に生まれたものですな。

で、改めてホームページを見ると、Weworkはそのミッションを次のように掲げていました: 「me」という個人として参加しながらも、より大きな「we」の仲間になれる場所。そういえば案内してくれた方も「コミュニティの提供に力を入れています」て強調されていました。

それで思ったのですが、

本来そもそも。

働くということって、そもそもが、meがweの中に場所を得ることだと思うのです。仕事においてそれを手っ取り早く手に入れたいならば、それは方向性に共感できる企業に所属するということになるんじゃないのかしら。

法人の目的が株主利益の最大化にあるとしても、それはそれ、会社とそこで働く個人とは、文字通り「別人格」のおつきあいであるはず。

そこをうまく切り分けられないあたりから社畜とか過労死とかいう悲惨な言葉が出てきたりもするけれど、本来の定義に光を当ててみれば、社員である「me」は同僚の「we」と時間空間を分かち合い、大きいところで同じ目的に向かって協力し合っていく、まぎれもない仲間・同志であるはずなのです。

それは、Googleという、ある意味浮世離れした企業に数年間在籍した経験からくる発想なのかもしれませんが。

Googleは「大きな組織に所属するのはここが最後」と思えるくらい好きな会社で、まさに「me」という個人として参加しながらも、より大きな「we」の仲間になれる場所でしたが、ライフ・ステージの変化に伴い、自分が仕事に求めるものが変わったのが、辞め時でした。

だから、わたしのような一人操業というのは、もっとずっと広く社会という「we」の一員である「me」を再定義するということだと感じていました。

日々、何か他者に喜んでもらえることを考え、提供して、対価をいただく。真面目に働こうとすると自然といろんな人に会い続けるもので、孤独になってる暇はないなあというのが、ここまで1年半ほどやってきた所感です。

でも、起業するひとのなかには、自分が共感できる既存の組織がないから、じゃあそれを作っちゃろうみたいな感じの人も多いのかもしれません。人を巻き込みながら「me」にあわせて「we」を集めていく。(あまり考えてなかったけど、もうちょっと余裕が出てきたらそれも楽しいかもしれない。)

うーん、Weworkがいうコミュニティというのは、we→meの途上あるいはme→weの途上にあって、互いに探しあっている人たちが集まるイメージなのか。あの透明カイコ棚が(恋愛ではなく仕事の)マッチング・リアル・ディスプレイだと言われれば、なるほどと思う。自分ははまらないけど。

と、後半は感想というより、そのキャッチをこねまわした放談になってしまいましたが、自分の立ち位置を考え直すいい機会をいただきました。ありがとう、Wework。ありがとう、いろんなオサレカフェ。

さーて、今日もお仕事、頑張ろう。

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