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森の食事

急に雨が激しくなって足を早めようとしたとき、雨宿りによさそうな屋久杉のウロが目に飛び込んできた。

「おじゃまします」と挨拶をして入ると、私一人が腰掛けるのにちょうどよいスペースがあった。しかも、更新木(切り株の上に生えている次の世代の杉)が屋根になっていて、明かりは差すが雨はふり込まないというお誂え向き!

ここでお弁当にしてしまおう。雨の音を聞きながら、森の匂いに包まれながら、塩鯖と唐揚げのお弁当を広げた。自然の中で食べるごはんは数割増においしい。屋久島ともなれば、また格別。

お弁当を平らげて一息つき、私は改めてその場所に満足した。

目の前の隙間がちょうど窓のようになっていて、緑の窪地か見下ろせる。

それを覗いて、雨脚が弱くなってきたなと思ったとき、ふいに、全身でブワッと感じた。

うわあ、吸い上げてる!


自分を囲む木と輪郭を同じくして、見えない壁がサーッと立ち上がる感じ。大地から上へ、上へ。これは水の壁、木が水を吸い上げているんだ!

それはその瞬間に始まった動きなのか、自分が落ち着いたからもともとあった流れに気がついたものなのかはわからないけれど、見えないけれど、音もないけれど、気づいてしまった。結界の中にいる自分まで持ち上げられそうな、不思議な感覚。

やさしいけど、こわくないけど、どこかに連れて行かれそうになって、一瞬、腰が浮いた。

この大木は1000年か2000年かの時間を生きた上で、何百年も前に切り倒されたのだ。でも今も腐らず、森の一部として生きている。その上に更新木が根を張り、無数の若木が着生し、苔が付き、みんなで上へ上へと水を吸い上げ、食事をしている。

わたしは少しだけその不思議な感じに漂い、味わった。

気がつけばまたその感覚は消えていたので、木に「ありがとうございました」とお礼を言って外に出た。

身支度をしていると、下から数人のグループが追いついてきた。

そういえばそれなりに人通りの多いコースだったのだが、私が木の中に入ってる間は誰も通らなかった。みんなそれぞれの場所で雨宿りしていたのかな。森の食事に気づいた人、他に誰かいただろうか?

その後小雨の中太鼓岩まで登った。奇跡的にその瞬間、展望が開けもしたけれど、その日の体験としては、木の胎内で休んだほんの数分の感覚が強烈で、忘れられないものになった。

昔は、縄文杉の根本にキャンプして何日も瞑想する巨木信仰の人たちがいたらしい。巨木に魅せられてしまう人ののぞみが少しわかる。よわい千年を超える木からは、不思議な力がもらえる。だけどこれはきっと、欲張って求め続けると大地から足が離れてしまうやつだ。

わたしは自分の命の時間を生ききるため、偉大な木の根から歩き去り、都会の家族のもとに帰らねばならない。

午前10時に空港について直行した白谷雲水峡での出来事だった。平日の登山客の8割は外国人だった。雨足が思ったより強くて、下山してカフェで本を読むか、このまま登り続けるか迷った直後の出来事だった。ちなみに、食事中は心の片隅で山ビルを警戒していたのだが、そういうことさえ完全に忘れた数分間だった。後で聞いたところ、白谷雲水峡にもヒルはいるが、普段訪れる人が多い(ヒルにとっては食事のターゲットが多い)ため、確率的にかまれにくいらしい。前に島を訪れたときは、西部林道で夫がやられ、屋久杉ランドではヨーヨーに登りかけていたやつを潰した。屋久島の森では全般的にヒル注意。

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