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勝手に日本昔ばなし考察~『飯降山』~ある事件の記録

はじめに

どうも皆さん、本のすけの右京です。

この『勝手に昔話考察』では、様々な昔話に隠された真相に対し考察・妄想をしていきます。
ここで書かれている内容は、あくまで妄想。「これが答えだ」とは思わず、「ちょっと変な妄想」と考えて見ていってください。
今回のテーマは『飯降山《いぶりやま》』。福井県に実在する山、『飯降山』で起こった惨劇を考察していきます。

あらすじ

まずはあらすじから。ネタバレがあるのでご注意を。
昔、3人の尼さんが山に入って修行をしていた。修行の間は生き物を殺してはいけないため、草や木の実ぐらいしか食べることができなかった。しかし尼さんたちは、空腹の中でも励ましあって修行に勤めていた。
そんなある日のこと。空から三つのおにぎりが降ってくるという不思議な現象が起こった。尼さんたちは、自分たちの頑張りを神様が認めてくれたのだろうと喜び、感謝して味わった。それから毎日おにぎりは降ってきたが、一人一つだけでは足りなくなってきてしまう。とうとう一番年上の尼さんは、もう一人の尼さんと結託し、一番若い尼さんを殺害してしまうのだった。
しかし、降ってくるおにぎりは二つとなってしまい、取り分が増えることはなかった。もう一人の尼さんは若い尼さんを殺したことを後悔するが、一番年上の尼さんにより殺害されてしまう。一番年上の尼さんはおにぎりを独り占めできると喜んだが、その日からおにぎりは降ってこなくなった。年上の尼さんは狂ってしまい、山を下りるのだった。

極限状態に陥った人間の怖さがよくわかるお話です。最初はみんなで協力していたのに、おにぎり一つで殺し合いに発展。飢えの前では友情や絆なんて無力なのか、と感じてしまいます。これだけでも十分に恐ろしいのですが、実はある恐ろしい考察があることをご存じでしょうか?それはなんと・・・『尼さんたちはカニバリズム(食人)をしていたのではないか』というもの。

今回はMMD動画を製作されているMalugoさんの考察に加え、私の考察も入れてお話します。まずはMalugoさんの考察から。


Malugoさんの考察 カニバリズム

Malugoさんはこのお話が伝わっていること自体に違和感を感じるそうです。このお話を語った人物は、生き残った年上の尼さんしかいません。となると、この尼さんは自分が生き残るために仲間を殺したことを告白していることになります。自分にとって不利になることをわざわざ言うでしょうか?自分に罪悪感を感じている様子も作中で確認されていません。

いくらでも仲間の死をごまかせる立場にいながら、自分の殺人を告白した理由。それは殺人の事実を明かしてでも、隠したかった何かがあったのではないでしょうか?
そのカギとなるのが、天から降ってきたおにぎり。このおにぎりのおかげで尼さんたちは修行を乗り切っていたのですが、このおにぎりが生き残った尼さんの創作だとしたらどうでしょう?

劇中ではある村人が、尼さんたちが食べていた山菜が、手つかずになっていることに違和感を感じています。さらに一番若い尼さんは、山中で鳥が食べられた後を見つけています。この事実から考えると、尼さんたちはすでに肉食に手を染めていたのではないでしょうか?そして冬が近くなると、山菜も動物もとることが難しくなります。肉の味を覚えた尼さんたちが、仲間の肉を食べてしまった、つまり食人を行ったとは考えられませんか?

このことを裏付けるシーンが劇中にあります。詳しくはMalugoさんの動画をいてほしいのですが、尼さんを殺害した後に映される場面で、不自然なほど大きい火の後があります。人間サイズのものを焼くのには十分なサイズに見えます。殺した尼さんを焼き、食したことを間接的に示唆しているのではないでしょうか?

こちらがMalugoさんの考察です。非常に興味深い考察なのですが、一つ疑問が残ります。彼女たちが隠したかった事実とは、本当に食人、カニバリズムだったのかということです。だってこの事実は黙っておけば分からないこと。わざわざ人を殺した、と言わなくても発覚する可能性は薄いでしょう。となると、殺人よりカニバリズムより、隠したかった別の事実があるのではないか?というのがMalugoさんの考察です。その隠したかった事実は分からないそうです。

僕の考察 山で起こった犯罪事件の記録

ではここからは僕の考察を始めていきたいと思います。まずはこの『飯降山』に関する疑問点を整理しましょう。
・なぜこの物語が伝わっているのか
・なぜ尼さんは自分に不都合な事実を伝えたのか

これを踏まえたうえで、僕はこの説を提唱します。それは『「飯降山」の伝説は、山に住んでいた犯罪者による通行人殺害事件、そして犯罪者たちによる凄惨な仲間割れを後世に伝えるために作られた話』というものです。
順を追って説明します。昔話は世界の各地に存在しますが、その意義には「当時起こった事件を物語として後世に伝える」というものがあります。例えば津波の危険性や避難について伝えるために、「導き地蔵」という昔ばなしが生まれたこともあります。『飯降山』も実際に起こった事件を婉曲的に伝えるために語られた話ではないでしょうか?

では『飯降山』は何を伝えるために作られた話なのでしょうか?それが山に住んでいた犯罪者による凄惨な事件なのではないでしょうか。
その根拠を順を追って説明します。

なぜ殺人の事実が伝わっているのか?

まず尼さんによる殺人が伝わっている理由。これは山にいた犯罪者をとらえて聞き出すことで知られたのではないでしょうか?実際作中では、生き残った年上の尼さんだけは下山しています。
そもそも尼さんがなぜ犯罪者になるのか?と思う方もいるかもしれません。ですが犯罪者が罪を償うために出家するケースはあります。菊池寛の『恩讐の彼方に』では、主殺しをした主人公が出家し、罪を償うため人助けの旅をする場面があります。出家したはずの元罪人による犯行だったとすれば、尼さんによる殺害と伝わったとしてもおかしくはないでしょう。もしかしたら事件の犯人は女性だったのかもしれません。

おにぎりが意味するものとは?


天から降ってきたおにぎりとは、山を通った人の金品や食料と考えられます。作中では修行を頑張っている尼さんへの褒美と言われていますが、それなら若い尼さんを殺害している時点でなくなるはずですよね。おにぎりを山を通った人と考えると、単純に山に犯罪者がいると広まったから人が来なくなったと考えられます。冬が近づいてきたことも相まって、通行人が減り、同時に収入もなくなったため、飢えにより仲間割れが起こったのではないでしょうか?

それに村人が一人しか出てこないのもこの説を補強します。「村人」と言われているのなら、この付近にはある程度の人数が住む村があるはず。なのに作中で登場する村人はたった一人だけです。多くの村人がこの山に住む犯罪者によって殺されたとすれば、村人の数が少ない理由となります。

カニバリズムは事実?可能性は高い


カニバリズムを彷彿とされる描写は2種類の答えが考えられます。一つは犯罪者同士による仲間割れを示唆したもの。もう一つは本当に殺した仲間を食べていた可能性です。作中でのにおわせが強いこと、冬が訪れたことで食料がとりづらくなったこと、そしておにぎり(山を通った人)が足りなくなったことを踏まえると、「食べるものがなくなった犯罪者たちの間で仲間割れが起き、死んだ仲間を食って飢えをしのいだ。」可能性はないとは言えないかもしれません。

おにぎりが少なくなる前から、仲間を殺していたからそれは違うんじゃないの?と思われるかもしれませんが、その直前に尼さんたちが鳥を食べていることを示唆する描写があります。おにぎり=殺した通行人の金品とすれば、鳥の肉=殺した通行人の肉を示唆しているのかもしれません。事前に通行人の肉を食べてしまったからこそ、一番年上の尼さんは、仲間を殺してその肉を食うことに躊躇を感じなかったのではないでしょうか?実際鳥を食べた犯人である可能性が高い年上の尼さんは、若い尼さんを殺害後も余裕がありそうなのに対し、別の尼さんは若い尼さんを殺したことを後悔している場面があります。
Malugoさんの考察も踏まえると、仲間や通行人の肉を食べたという事実はあった可能性は高いでしょう。その凄惨な事実を隠すために、『飯降山』という昔話が誕生したのではないでしょうか?

終わりに

いかがだったでしょうか?今回は『飯降山』に関する考察を行いました。結論は『「飯降山」の伝説は、山に住んでいた犯罪者による通行人殺害事件、そして犯罪者たちによる仲間割れを後世に伝えるために作られた話』でした。皆さんはどう思いますか?ぜひ皆さんの考察もお聞かせください。
それでは今日はこの辺で。ではまた。

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