自然豊かな島で1年暮らした私に起きた変化6つ
小笠原諸島の父島に来て、そろそろ1年が経とうとしています。おかしいな?最初は1年もいるつもりなかったのにな?
ふらっと来て、ゆるっと居着いちゃったこの島で起きた、自分の変化や気づいたことを振り返ってみようと思います。
自然派の石けんや洗剤を使うようになった
小笠原の父島は、横幅2.5kmの間に、海抜0mから標高約300mがギュッと詰まっています。目と鼻の先に海と山があるのです。
ほぼ毎日海で泳いで、時には共に泳いだ彼らの命を頂戴する。山に足を踏み入れると、鳥のさえずりやカエルの足音が耳に触れる。自然のものすべてが、自分のからだとこころ、血肉になる。
そんな感覚から、自然にも自分にも優しいものを使いたいという想いが湧いてきます。
きっと、今までのコンクリートジャングルの中だったら「わたし一人が環境を気遣ったって何も変わらない。」とか思っちゃいそう。
ありのままの自然が身近に感じられるから、取り入れるもの、出すもの、自然と共にあろうと思うんだろうな。
どこに住んでも、自然を身近に感じていたいと思う。
お金を使わずとも楽しめるようになった
とにかくお金を使う場所がない。
娯楽といえば、飲食か海のレジャーくらい。たまに、ディズニーランドとかショッピングとか無性に恋しくなる。
けど、無ければ無いで、今度は自分たちで楽しいことを作り出そうと思うんです。
お金がなくても楽しめる、楽しい事は自分たちで作り出す、そして大切なのは、どんなことでも楽しむ気持ち。(自戒を込めて)
ものをいただくようになった
「家で採れたバナナぜひ食べて!」「内地から梨が届いたから持ってきたよ」
誰かに優しくしてもらったぶん、今度は自分も優しくなれる。そんな循環が根付いているのか、周りの方からものを頂くことが多いです。
都心に住んでいたときは、近所の繋がりも薄かったし、仕事は忙しくておすそ分けどころじゃなかった。
余裕の分だけ幸せをおすそわけする。わたしも、ゆっくりと恩を返していきたいなと思います。
人とのつながりを過剰に求めなくなった
右を見れば実績を重ねていく同世代、左を見ればキラキラ(ギラギラ)輝く(燃えさかる)尊敬する人たち。
色んな人が色んなことをやっている、知りたい学びたい!そうやって得た繋がりや学びは、私の財産であり現在の地盤となっているもの。
それがあるから今度は、周りと比較せずに自分と向き合って「私が心地よく続けられること」を育んでいこうと思うようになってきました。
仕事がメインでなく、生活ありきの仕事と思うようになった
仕事量の多い都心から距離を置いてみたこと、実家を出たこと、通勤時間がほぼ無いこと、色々な要因が影響して「仕事以外の時間」を過ごすことが増えました。
その生活の中に、大切にしたい日常がたくさん。
海で泳ぐことが気持ちいい。ご飯が美味しい。夕日が綺麗。船の上から広い海を眺めていると、「ああ、自分は地球の一部なんだ」ということを感じる。
仕事はあくまでそれを支えるためのもの。もちろん、その仕事が日常に潤いを与えてくれるなら、もっといい。
自分を縛る使命感のようなものがなくなった
これ、地味に大きな変化だと思う。
今までは自分が作り出せる価値って何なんだろう、実現したいことってなんだろう、それを模索するのに必死になってた。
それは、「まるごとの自分自身」じゃなくて「実現したいことに向かう自分」が認められると思っていたから、なのかもしれないです。
もちろん、それで出会った人も、学んだこともたくさんある。
だけど、生きる意味を探すのに必死になりすぎたかな。
今日のご飯が美味しい、誰かと話すのが楽しい、そしたらありがとうって言ってもらえた、そんなんで充分じゃない。
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