グラフィッカーとしてしくじった話

ゲームグラフィッカー・デザイナー・アーティスト・CGクリエイターとか色々呼ばれていますが、要はゲーム制作で絵や演出を作る人たちの事。

ゲーム制作における自分の始まりはこの職種だったのですが、非常にしくじっています。それは何故か、どう対応したのかという自分語りです。

▼グラフィッカーになるための浅すぎる取り組み

高校3年の夏に「大学行ってもやりたいことなんて特に無くね?」という疑問が沸きました。大学に行くべきだと漠然と思っていたのですが、そこで何を学びたいのかは深く考えていませんでした。そんな中とあるゲームに出会い「自分もこんな楽しいゲームが作りたい。ゲーム作り屋さんになろう」と突然思い立ったのを覚えています。
※それまでもゲームは5歳位位からやってない日は無いくらい遊んでいたゲーム狂いです

漠然とゲーム業界に行きたいとだけ考え、何をしたいのか。何を目指すのか。等を深く考えませんでした。とはいえやりたいことも無い大学にいくより楽しそうだし良いよね。みたいな感じでゲーム系専門学校に入りました。

入学後はサボり入れつつ、好きな授業(3D授業全般)はちゃんと出席。
位の取り組みしかしていません。
高校・専門学校で共通しているのは将来の事をきちんと考え、取り組んでいないということですね。
これらの浅く・温い取り組みがまず大きなしくじりを産むトリガーになったと思います。今になってみればそりゃ当然だよね。って感じですが。

▼グラフィッカーになってから知る自分の弱さ

こんな自分ですが19歳で3Dグラフィッカーとして最初の会社に奇跡的に入ります。
人数も少なく、デザインの出来映えについてもそこまで求められませんでした。その後色々あって次の会社に中途入社しました。結構大手です。そこで現実を知ります。
周りのグラフィッカーのレベルが恐ろしく高いんです。
尺度は人それぞれだと思うのですが、自分には全員天井人に見えました。当時22歳位で、美大卒の新入社員と同年齢なわけですが、天地の差と言える位の「素地力」の差があると感じました。
素地力とは例えば立体感・構図・空間認識・色彩力とかでしょうか。よくわからんけど。「デッサン力」みたいな言い方で統一されていたりします。美術に対しての基礎の力ですね。これらの項目に対して
こういう表現をすると良いとされている」という定義みたいなものをそれぞれ訓練して・理解している。っていうのが一番大きいと思いました。
美大等を目指す方は勿論試験があるのでこういったことを何年も何年も訓練し続けています。これをやったか・やらなかったか。は本当に大きい。

グラフィッカーや絵描きさん達の中で良く、「デッサン力は大事だ」という言葉が出てくるんですが、これは本当です。
これらの能力の体得有無が作業スピード・理解力・デザインの引き出しに活きてきて、そこに趣味から通じるものや、他作品の長所をアイデアとして引き出しから持ってきて上手く組み合わせると段違いの差としてあらゆる成果物に反映されるわけです。

それからは本当に自己嫌悪の日々を過ごしたのを覚えています。
20代後半でもっと辛い事が起きるのですが、当時の事は記憶にかなり強く刷り込まれています。
こいつ中途なのに使えねえな」と思われたくない一心で遅くまで残業し、先輩にこまめに確認を取り、生活のほぼ全てを捧げる勢いで足掻いたのを覚えています。
ただ、何をやっても先輩・同期には追いつけない。
素地がしっかりしている人は1教えて10伸びる。みたいな印象で当然今よりも上を目指す自己研磨をするので結局一生追いつけないんです。

この自分がやってきた事の浅さ・現実を社会に入ってから知る→悔しくて足掻いてみるが結局追いつけない→全てに自信が持てなくなる。という負のループに入ったのが大きなしくじりです。学生時代の浅い考えだったトリガーがこの時発動したわけですね。自業自得ですが。

▼グラフィッカーとして絶望、その後どうしたか

2~3年グラフィッカーとして続けましたが、とうとう限界を感じました。
腹の中にストンと、綺麗に限界が落ちたのを覚えています。

そこから自分の今後をよく考えるようになりました。

・このままだと業界を辞めることになるな。
・でもゲームは好きだし途中で辞めるのは嫌だな。
・自分はどうしたらここで生きていけるのかな。

という思考プロセスを経て、

・とりあえず業界を去らない・生き残る事を最優先にしよう。
・ゲームが出来るまでのプロセスをもっと勉強してみよう。
・他のグラフィッカー達がより輝けるような場造りに注力してみよう。
・それで最終的には自分の思うゲームみたいなものを作れたらいいな

他のグラフィッカーとは同じ土俵に立たず、より彼らが活きてゲームの品質を高められたら誰も損はしないんじゃないか。
みたいな感じの内容に考え方をシフトしました。

それからは、プログラマとグラフィッカーの間に立ち、お互いがやりたい事をまとめて書類化する事を進んでやったり、グラフィッカー用仕様書・指示書の作成。同僚のスケジュール管理。ゲームバランスとグラフィックの齟齬みたいな場所を見つけてそこをディレクターに進言して改善したりとか。そういうことに力を入れました。
※後に企画職に転向する際の訓練はこの取り組みがもとになっています

結果、割と分かりやすく周りからの印象が良くなりました。
グラフィック一本を極めたいと思っている人は上記のような書類事、仕様の決め事、プログラマとの共有周りを進んでやるかといえばそうではない人が多かったので、その辺をまとめる自分がいると単純に便利だったんだと思います。
※ゲーム的にこれは良いのか悪いのか。もある程度語れたのも大きいかもしれませんね

たまに自分が出来そうな案件は引き受けつつデザインの作業をしながら「他のグラフィッカーを活かす」「そしていつか自分の考えるゲームを出す」を目標に変えたことで気持ちと成果が安定し、20代後半までは忙しくもやりがいがある仕事をして行けたのではと思います。
管理職としての意味合いが強いですが、プロジェクトのデザインリーダーとかも任せてもらえるようにはなりました。

▼グラフィッカーとして自分は結局良かったのか

こんな感じである程度自分の今後の事も考え、存在意義もそれなりに示すことが出来るようになったわけですが、これは果たして良いのか悪いのか。という意味だと

まあやっぱり良くはない

になるんじゃないかなと思います。何故か。については
・グラフィッカーとしての大志がない
・目標が何かを成したい。ではなく生存戦略になっている
この2つが大きいです。

・グラフィッカーとしての大志がない
これを目指すのであれば事前の準備・訓練・ビジョンが必須。
自分はこれが何1つなかった。流行の絵や3Dっぽいものが作れたらいいかなくらいの温度感。これじゃだめですね。
業界に入る前に自分はこの剣を磨き続けて、それで勝負して強くなっていくんだ。くらいの意気込みや熱意がないと話になりません。
ただ、ゲーム業界に入るための手段としてグラフィックを選んだので、他者を活かすことを進んでやれたのは自分のデザインに執着が無いから出来たことなのかもしれません。

・目標が何かを成したい。ではなく生存戦略になっている
防御優先で自分の先を決めざる負えないようになってしまった。これが一番大きい。攻めを基準に冷静に大胆に自分を研磨・表現している人が大抵メインステージに立つわけですので、考え方が真逆。急に消える確率は減りますが浮上する機会も相当減るんじゃないかなと。後は性格なのかもしれませんが、この考えだと基本的に自分に自信が持てなくなる気がします。損する確率は増えちゃいますね。

じゃあ結局何がいけなかったのか。となるわけですが、
学生時代にしっかりと・真摯に・本気で自分の将来の事を考えなかったからですね。最初に戻るわけです。
グラフィッカーが厳しいということが分かり考え方を変えて多少は上手くいきましたが、だったら最初からそれを目標にして何かできないか。ってのを考えていた方がもっとやれたと思う。
結局、物心ついた時から全部繋がっているということです。

こういう時間失った系のやらかしは、当然過去を改善することはできない・取り返しの付かないやらかしです。
悲しいですが今回の人生では業界への取り組み方として、大事な選択肢を1つ捨ててしまったんだな。と、諦めるしかないです。
絶望しているわけではないけど、やっちまったな。とは思う。
でも悔やんでも仕方ないので次似たような事が択として出てきそうなときは気を付けようと思うくらいかな。
まあ来世に活かします(つっても来世とか求めないし、生き物として生きるのは是非今回を最後にしたいけども)

以上が自分のデザイナーとしてのしくじりです。
・本当に自分がやりたいことは何か
・今やっていることは自分の今後やりたい事に繋がっているのか
・それを何年か続けてこうなっていこう。という予定を組んでいるか
・そのために今週はここまで業務を進めて、空いた時間を~の練習に使おう

といった感じで1つの目標に連立させ、予定をデザインして生活すればそこまで悪いようにはならないんじゃないかと思います。
・自分の本当にやりたいこと 
これを見つけるのが物凄く大変で、子供の頃は勿論20手前でも出すのは難しい。けどこれが見つかっている人は本当に強いと思います。
半面教師として是非

次は何を残そうかしら。プランナー・ディレクターの時のはなし
とかにしましょうか。

かなりの長文になってしまいました。
ここまで読んでいただきありがとうございました。

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