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配慮されて生きている

あなたは毎日
自分の力で生きてますか?

わたしたちは普段、
自分の思う通りに
自分の意思で自分の力で
動いていると思ってますよね。

自分の足で歩いて、
自分の判断で信号を見て渡って
自分で行き先を選んで電車に乗って
自分の目で看板を見て店に入って
自分で商品を見比べて
自分でお金を払って...

でも、
信号の色が違って見えたら
電車がなかったら
看板がなかったら
商品パッケージに中身の説明がなかったら
はたして
目的のものを手に入れられるでしょうか?

わたしたちは
暮らしやすいように「配慮された」世界に
生きていると言えるんですね。

ですから、目が見えない方たちの方が、よほど
自分の力で」生きているとも言えます。

なぜなら
見える情報に依存しない分、
周りの人に聞いたり調べたり
側まで行って匂いを嗅いだり
手で触って確かめたり
五感を駆使するから。

このことに気づかせてくれたのは
堀越喜晴さんの「世界を手で見る、耳で見る」
という本です。


実はこの堀越さん、先日ご紹介した
「第三者返答」の動画の中で
先生役で出演なさっています。


私たちは、自分の見えている範囲のものを
知っている「つもり」
わかっている「つもり」になっているけど、

見えているからって
本当にわかっているのか?

堀越先生いわく
「さわってもいないくせに
遠くの物がわかる」なんて
「テレパシーか念力」だと。

どう思いましたか?
私は
まさに目から鱗が落ちる思いでした。


たまたま、この世界は
「目が見える人々」=多数派が
暮らしやすいように「配慮」されているから
わたしたちは「ふつうの人」になり得ていますが

例えば「空が飛べる人」=多数派
という世界に投げ込まれたら
私はたちまち マイノリティ(少数派)になり
「障害者」になるのですよね🥲

「別に飛べなくても何の不都合もないし、
そんなの障害でも何でもないよ」
と思うかもしれません。

そうなんです、堀越先生は「目が見える」ことを
「あれば便利だけど、
無ければ無いでどうにかなる」
とおっしゃっています。
障害でも何でもないんですね。


そうは言っても
見えることに慣れてしまっている私たちは
やはり見えることに甘えてしまう...


気づいたときだけでも
せっかく与えられた
五感をはたらかせ
本当の意味で
視野を広く持ちたいと思います。


少なくとも
心の障害者にならないように。


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