鉄道趣味はどこを目指すのか――長谷川大貴の鉄道写真
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鉄道趣味はどこを目指すのか――長谷川大貴の鉄道写真

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はじめに

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国立京都近代美術館の隣に流れる河川(著者撮影)

 「京都の川」は、もっと透き通っている印象だった。国立京都近代美術館のすぐ隣に流れる川を撮影しながらそう思った私だったが、そもそも鴨川と堀川以外の京都の川をあまり見ていないような気もする。京都に流れるおもな河川といえば、鴨川と堀川、そして桂川だろうか。京都市内の比較的中心に部屋を構えている私にとって、桂川が流れる嵐山区域は若干ながら遠い。遥か昔の平安京のころから住民を支えてきた都市のこれら三河川は、京都にとって昔から重要な水源であり、必要不可欠なものであった。大阪湾に面する「水都」大阪がそうであるように、川は昔から住民や物資の移動ルートとして重要だ。

 高度に現代化された今では、もはや川に船を浮かべて移動しようとする人は皆無だ。アスファルトによってきれいに整備された京都の大通りは京都市営バスが走り、そして古都京都の威厳を主張するかのように、都市規模の一つのスタータスたる地下鉄が、東西と南北に一本ずつ(東西に走るのは「東西線」、南北に走るのは「烏丸線」と名付けられている)が敷かれている。かつては市電も多く走っていたが、他の都市の例に及ばず、モータリゼーションによってバス転換を余儀なくされた。片道三車線ほどもある過剰な車線量を誇る堀川通は、かつて市電がそこに走っていた名残でもある。

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(上画像)最盛期の京都市電の路線図
CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=106942599
(下画像)京都市営地下鉄の路線図
Maztani - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=94499289 による

多くの日本都市では市電は地下鉄へと代替されることが多かったが、京都は市電の規模に反して、地下鉄の本数は非常に少ない。

 かつては無数に走っていた京都市電の規模にも関わらず、京都に地下鉄は未だに二本しかない。かつて大阪の実家から京都の祖母の自宅に向かうとき、京阪電車から地下鉄東西線に乗り換え、烏丸御池で烏丸線に乗り換えていた。幼稚園児ゆえに一人でどこにも行けない私にとって、祖母が朝早くから私を連れて地下鉄に乗せてくれたこと、そして関西のあらゆる鉄道に乗せてくれたことは、私にとってはかけがえのない大きな思い出として、印象に残っている。

烏丸線に乗って

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(上)四条河原町交差点を走る京都市電
Gohachiyasu1214 - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=78503900 による
(下)京都市営地下鉄10系
Tennen-Gas - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1975775による

 私は幼いころから——あるいは後述する理由から「幼いころ『は』」と称すべきかもしれないが——、鉄道が好きだった。3歳から海外で生活していた自分にとって、鉄道そのものに乗ったり、あるいは鉄道を見たりする機会はほとんどなく、インターネットも未発達だった当時の私の関心は消去法的に、鉄道模型へ向かった。そんな私にとって、祖母が私を鉄道に乗せてくれる機会は非常に大きなものになるのは当然だ。最初は地下鉄烏丸線からはじまり、やがて相互直通運転先の近鉄京都線へ。そして四条で阪急電車に乗り換え、桂や高槻、梅田まで——。いろいろなところへ行ったからこそ、私は旅の起点たる地下鉄を走る銀色の車両、京都市営地下鉄烏丸線10系がとても好きだった。

 しかしながら、小学生から中学生へ、そして海外から日本へ生活が変わってくるとともに、私はそのような思い出をどこか抑圧しながら生きることをしてきた。小中学生として生きた2000年代は、私にとってインターネットがインフラ化し、数多くの独創的文化が社会全体に影響を与え始めた時期として記憶されている。あめぞうリンクから2ちゃんねる、そしてフラッシュ動画。当時の文化から生まれた数多くの文化は「悪い場所」として、現実社会の持つ倫理性と対立しながらも、それを乗り越える創造性とともに出現してきた。「電車男」におけるオタクたちの明らかに以上な描かれ方や、フラッシュ動画やその後継コンテンツたちが形成した不謹慎な多くの要素は、そうした「現実ではできないことがネットなら(匿名なら)できる」という姿勢の上で生まれてきている。だからこそ、当時はデジタルなものに対してある種の警戒感や教育的問題が指摘もされてきた。もしかしたら、2000年代前半に流行した「ゲーム脳」という概念も、そうしたものと並べて考えられるべきなのかもしれない。彼らの持ち続けた諸々の独自文化。その中枢たる「オタク」という言葉は、80年代の文脈を踏まえながらも再構成され(「オタク」という言葉自体はインターネット以前から存在する)、2000年代に再度、前景化してきたといえよう。

 オタクが放つ持つ強力な独自性と、従来の倫理観すら覆しかねない危険な「奇異さ」。私が小学生の頃に経験した「オタク」は、そのようなものであった。だからこそ、自ら倫理的判断を下せるはずもない小学生の私は、それがある種の良くないものとして認識され、誰に言われるでもなく、一人暗室に閉じ込めてしまっていたのだ。なぜなら、「電車男」に「鉄道オタク」が登場するように、「オタク」のイメージの中に「鉄道」は包含されていったからだ。

撮り鉄と倫理の問題

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ブルートレイン「富士・はやぶさ」(左)のラストラン撮影に集まる人々
多摩に暇人が撮影 - 投稿者が撮影, CC 表示 3.0, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=2021659による

 話を現代に戻そう。今や「オタク」という言葉が内包した「奇異さ」はそれほど注目されることもなく、それ自体が一文化として、肯定的印象とともに社会に溶け込んでいった。かつて中学生のころ、両親に悟られないようにこっそり深夜二時放送の「輪るピングドラム」を見ていたのだが、今だったらそんなことはしないだろう。昔は深夜アニメも奇異なものとして見られていたはずが、今では『鬼滅の刃』が深夜9時台に参入してくる。当時のオタク文化の心臓部であったアニメはかつて2ちゃんねるでこっそり共有し合っていたはずなのに、今では誰もがTwitter上でアニメの感想が滝のように流れている(その反面、かつての「悪い場所」の拠点であった秋葉原はかつての勢いを失っているように思えるのだが、どうだろうか)。

 鉄道趣味はそうしたかつてのオタク文化の紛れもない一面であった。だが、アニメのそれとは大きく異なり、いまだに世間から冷たい目を向けられている。いわゆる「撮り鉄」が社会問題となったのは2020年ごろだったろうが、写真を撮影しそのクオリティをSNS上で共有する、そうした欲望に支配されるあまり、倫理性を無視して器物損壊や暴言、あるいは住居侵入などを繰り返しているというニュースを、ここ最近でもよく耳にする。そうした「撮り鉄」の横暴に対し、同じ「撮り鉄」が「あんなのは撮り鉄ではない」とSNS上で意見するという様相を、類似する事件が発生するたびに繰り返している。観念上で集団を切り離す以上に内部変化が起きない状態を前に、とうとう鉄道会社の側から撮影スポットの立ち入り禁止化や、駅員の配備増加といった管理制御の手法を取り出したというのが、昨今の「撮り鉄」をめぐる状況だろう。

 2000年代から始まるオタク文化の一部として、「電車男」を支える人物としても表象された鉄道オタク。彼らは変容したオタク文化そのものを前にして、いまだに反倫理的な体制を敷き続けている。それはある意味で古き良きオタクを表現しているのかもしれないが、しかし現代の価値観との間にもはや無視できない摩擦熱を生み出しているのは紛れもない事実だろう。摩擦による熱がやがて火を生み、激しく炎上した事例はもはや枚挙にいとまがない。そんな現状を見ながら、鉄道が好きな——あるいは好きだった——私は、この擦り切れるような状況をただ見ているだけだった。

これからの鉄道趣味へ

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長谷川大貴 「稲穂流し Rice panning」
https://kyoto-muse.jp/web-exhibit/140981 より

 2021年の10月28日、私は写真家グループであるSTUDIOSIXによる展覧会「コロナ禍を越えて 普通を究めた美 『Life in Seasonal Delight——光の二十四節気』」を訪れていた。京都写真美術館にて開催された本展覧会を私は事前に知っていたわけではなく、たまたま京都の岡崎公園周辺を散策していた時に発見したのだった。複数人の写真家によるそれぞれの個性的な作品が展示されるなか、ただ鉄道写真のみが展示されたコーナーが私にはとても印象的に残っていた。写真家、長谷川大貴によって撮影された写真たちだった。

 彼には、私が小学生のころに経験した鉄道オタクのある種の呪縛のようなものは、どのように感じられるのだろう。2003年生まれであるらしい彼の生まれ年は、丁度私が「電車男」から感じた強烈なオタクの奇異さと、その中にまぎれもなく鉄道も入り込んでいたことを知った時期と重なっている。そこから時代も変わり、鉄道も世代交代が進み続ける。彼が撮影した写真に写る鉄道たち、それらは私の記憶の中の鉄道と大きく違っていた。私の知っている201系はスカイブルーに塗られ、阪神8000系は旧塗装で——。話すとキリがないが、いわゆる撮り鉄が撮影し、SNS上で大量に公開されていく写真たちをスマホの画面で見るのとは比べものにならない迫力を、プリントアウトされ額装された写真たちは私に見せてくれる。スマホネイティブ世代にあたるだろう彼は、鉄道趣味に対する社会的イメージが悪化する時代をおそらく見てきただろう。そう考えると、私の子ども時代よりもはるかに、鉄道写真を撮ることが難しくなっている気もする。

 だからこそ、私は彼の写真に意識を奪われたのだ。紛れもないスマホネイティブ世代な彼がこうして鉄道写真を一つの美学的な構造の中に取り入れている――「美術館」の展示となる——ことは、鉄道写真そのものが半狂乱的な「撮り鉄」の世界から脱出し、新しい鉄道趣味の可能性も開いてくれるのではないだろうか。撮り鉄はいまだ、世間からすれば誹謗中傷の恰好の的だ。どれだけ撮り鉄内部で対立が形成されようとも、それが外部に納得してもらえない以上は、外部から見て自浄作用は発生していると見なされない。ではどうしたらよいか。彼が撮影する鉄道写真は、いつの間にか私が抑圧してしまい閉じ込めてしまった「鉄道」というもの、世間が大きく変化してしまったなかでも依然として反倫理的な様相を深める趣味の世界をもつ2010年代以後の「鉄道」というものに対し、新しい観点を提供する可能性を内包しているのではないだろうか。それは、これまでの鉄道写真と「撮り鉄」に決別をするための、新しい世代による声明である。

おわりに

 私の愛した地下鉄烏丸線、そこに走る緑帯の車両10系は、次年度以降少しずつ、新型車両20系に置き換えられる。思えば私は鉄道というものに抑圧して以降、数多くの自分が好きだった鉄道の引退をメディアでしか見ていなかった。小学生のころに一番好きだった大阪環状線の103系は、いつの間にか新型車両に代わった。だからこそ、今度は引退する前にこっそり乗ってみようか。彼の写真は私の抑圧を解き放ち、こんなメッセージを提供してくれたような気がしたのだった。

 私のかつての記憶の中にだけある、東海道線の201系や阪神8000系、そして京都市営地下鉄10系のすべてがもう変わってしまったものたちだ。そんな変化を目のあたりにするとともに、私は時代の大きな変化と不可逆的な歴史を感じざるを得なかった。鉄道もここ数年で大きく変わった。そして「オタク」という概念も大きく変わった。であるなら、今まさに問題となる「撮り鉄」的オタクの問題行為も、もはや変わらざるを得ない。これまでの在り方に「さよなら」を告げる方法、その形は、きっと長谷川大貴の写真が提示している。

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