見出し画像

信頼財と名前——「ゆっくり茶番劇」騒動について

(約6,900字)

この記事は自由に価格を付けられます。
https://paypal.me/ukiyojingu/1000JPY

はじめに

「こんにちは、以前スマ電の契約で代理店を務めさせていただきました、物でございます」

昨日午前6時までいろいろと作業をしていた私は、昼頃にかかってきた電気会社からの電話で起こされた。昨日も電話がかかってきたこと、そしてそのとき私は図書館にいたから翌日に掛けなおしを希望したことを、声を聴いて即座にに思い出す。明日昼頃にかけなおしてくれといったのは、まぎれもなく私自身なので、起こされるのは仕方のないことだ。そう思いながら、私は電機会社からのモバイルルーターに関する宣伝販売の話、右から左に受け流していった。

 昨日は12時半に目が覚め、14時半には大学図書館の仕事があった私は早々に朝食(!?)を食べ、着替えて出勤した。当然のこと、出勤中は基本的にスマホやSNSには触れない。そんな私がTwitter上で発生していた大事件に気付くのには、だいぶ時間がかかってしまっていた。2022年5月15日の夕方ごろ、「ゆっくり茶番劇」に関する商標登録がなされた旨がインターネット上で公開され、多くのゆっくり動画投稿者たちを巻きこんだ炎上騒ぎが起きていることに気付いたのは、退勤した後の22時くらいだった気がする。

 YouTubeにて投稿された動画とともに、コメントを見ながら状況を理解していくことにした。事件の顛末については私がここで説明するよりも実際に動画自体と、それに付随するコメントたちを見てもらった方がおそらく早い。一晩が明け、なんだかただの炎上騒ぎのような気もして一抹のつまらなさも感じてきたところだったが、コメントの中では面白い指摘もいくつか見られた。2005年に発生した「のまネコ騒動」についての言及だ。2022年の今から数えると実に17年もの昔の事件と今回の事件を安直に比較するのは億劫な気もするが、とはいえ、確かに両者には共通点も多くあるだろう。

 今起きているこの騒動と、17年前に国内のネット文化で発生した騒動とを全く同じ水準で比較することはいささか大きな問題も内包しているだろう。しかしながら、過去に起こった出来事を踏まえて歴史を再確認する方法を身につけなければ、私たちは過去から何も学習していなかったことを表明することになってしまう。だからこそ、17年前の「のまネコ騒動」を再確認するとともに、現在進行形で進む騒動とのその共通点と違いを観察し、そこから私たちが何に意識を向けるべきであるかを考える必要があると思う。

 では、17年前に起こった「のまネコ騒動」とは何だったのだろうか。

のまネコ騒動とは何だったのか

 2004年ごろ、モルドバ出身の3人組アーティストであるO-Zoneがリリースしたアルバム「Dragostea Din Tei(ドラゴスタ・ディン・デイ)」は、そのダンス調なリズムやMVからヨーロッパを起点に人気を集め、2004年から2005年にかけて世界中で流されるほどの大注目を集めることになった楽曲だ。そうした楽曲人気は、2005年にアメリカで注目された「numa numa dance」という一種のインターネットミームと化し、世界的に需要もされていっている。だが、2005年に発生した「numa numa dance」の世界的人気のきっかけは、実は日本のネット文化上で作成された短いフラッシュ動画(HTMLで動作可能なリッチコンテンツ。YouTubeやニコニコ動画以前の動画コンテンツの中心にあったものたち)にあった。2004年から2005年ごろに続々と作成され始めた動画たちは、O-Zoneの楽曲の空耳歌詞とともに2ちゃんねるのキャラクターである「モナー」が歌ったり、踊ったり、リアクションをとったりすることによって構成されている。楽曲中で「マイヤヒ」と聞こえることから国内で「恋のマイヤヒ」という名前で受容された楽曲とフラッシュ動画はやがて2ちゃんねるを代表するコンテンツの一角にもなり、当時のマスメディア上でもおおいに取り上げられていた。私を含め、当時の2ちゃんねるを十分に知らなくともこの動画は知っているという人は、少なくないのではないだろうか。

 しかしながら、これらのコンテンツは2005年以降、一気に衰退することになる。2000年代前半を代表する人気コンテンツとなった「恋のマイヤヒ」をはじめとした動画コンテンツ群たちは、主に2ちゃんねるユーザーの間で非営利に受容され続けたコンテンツであった。そんななか、2005年に「恋のマイヤヒ」の人気に目を付け、コンテンツを商標登録するとともに営利化しようとする動きが発生してきた。行動を起こしたのは「恋のマイヤヒ」の日本語版のレコード複製権を持つ、株式会社エイベックスの子会社である。彼らはモナーが歌って踊るフラッシュ動画が世界的注目を集めたこと好機ととらえ、今まで「モナー」と見なされていた楽曲中に踊るネコを「のまネコ」を表記、それを商標登録することによって利益を得ようとした。しかし、それが内包するリスクには、商標登録を試みた側は気づいていなかったのかもしれない。2ちゃんねるユーザーたちはこの行為に激怒し、株式会社エイベックスをはじめとした関係者について大規模な攻撃を開始し、ひいては殺害予告までが出される騒動になってしまった。こうした顛末は、2022年の今まさに「ゆっくり」を中心に巻き起こっているそれとも近いだろう。騒動は最終的に商標登録が断念されることによって「モナー」というキャラクターの独立性が担保されることになったが、一方でこの問題は国内ネット文化がはらんでいる凶暴性の一面として、歴史の中にも刻まれている。これがいわゆる「のまネコ騒動」といわれているものだ。

 その後、モナーは各種マスメディア上では肯定的に扱うことは難しくなり、「のまネコ騒動」の中心となった楽曲であるO-zoneの「恋のマイアヒ」も楽曲は注目されるものの、マスメディア上ではモナーは取りあげない(むしろ取り上げにくい)空気を持ってしまっている。

信頼材を巡る連帯

 この騒動の最も中心にあたるのは楽曲そのものではなく、2ちゃんねるのユーザーが作り上げられてきた「モナー」というものが、「のまネコ」という名前によって蹂躙されてしまうことである。彼らはいわば「のまネコ」から「モナー」を守ったのだが、ではどうしてそのような行為をしたのだろうか。もはや私の書いた文章では手垢のついたパターンのような気もするが、こうした国内のネット文化と2ちゃんねるを分析する際に最も有用なのは、情報社会学者の濱野智史による「フロー」と「コピペ」だろう。

 いわゆるゼロ年代批評の中でも代表的著作と名高い『アーキテクチャの生態系』は、2000年代前半の国内ネット文化の様相を空気感をまるでそのまま著作の中に押し込めたような内容になっている。彼はその中で、2ちゃんねるを「フロー」と「コピペ」という2つの概念によって論じている。前者はいわば「常連」を決してつくらないようにするという、ウェブの設計思想の側面に大きく関係する。2ちゃんねるの各掲示板は書き込みが断続的に続くことで、トップページのより目に着きやすい箇所に直接リンクが表示される設計になっている。多くのユーザーが注目している話題が最も表示されやすく、一方で注目が集まらない情報が淘汰されていくという設計は、今日だと人気ツイートが常に目につきやすいという点でTwitterのタイムラインのようなものを想像すると理解しやすいかもしれない。しかしながら、もっぱらテキスト主体で構成される2ちゃんねるは、Twitterが画像や映像をアップロード可能である点と比較して「個人」を表明する手段にも乏しい——言わずもがな、テキストサイトとして登場した2ちゃんねるは画像を掲載する際には外部リンクを経由させる必要性があるなど、今日の各種SNSと比べると表現の幅が狭かった。そうした匿名性は本来、2ちゃんねる以前に存在したブログ文化における「常連」の排除——常連がずっとコメントをし続けることによって新規参入者が参入しにくくなる問題へ対処するため、全員を匿名とすることで「常連」を作れなくした——を目的に作成されたのだが、一方で、掲示板上で(今日の発展したSNSと比べると)「個人」を消失させてもいる。隠して、掲示板のユーザー全員を平等に扱うためのシステムを構成してきた。

 しかしながら、ユーザーたちは個人の消失というメカニズムを逆説的に利用することで、独自文化を形成した。これを支えるのが濱野が指摘するもう一つの特徴たる「コピペ」だ。2ちゃんねるには「モナー」という独自のAA(アスキー・アート)で作成されたキャラクターや、「kwsk(「詳しく」の略語表現)」や「イッテヨシ(「死ね」の間接的表現)」といった、ユーザーがコミュニティ内で限定的に使用した言語がある。それらは先述の設計思想を巧妙に利用し、ユーザーたちが「2ちゃんねらー」という巨大なキャラクターとして協働するための「信頼財(社会関係資本)」として作用した。この信頼材はいわば、情報環境上で失われてしまったユーザー個人のステータスを補完するように作用している。フローによって「常連」になれなくなってしまった——まさに匿名性によって名前を奪われてしまった私たちは、名前を奪われたことによって生じた余白に対し、モナーをはじめとしたコンテンツを埋めていった。こうして、モナーは2ちゃんねらーの信頼材となったのだ。言い換えれば、コピペは匿名で議論を行う2ちゃんねらー全員の「名前」なのだ。

 こうして考えると、「のまネコ騒動」とは2ちゃんねらー全員の「名前」を剥奪する行為であったともいえる。だからこそ、彼らは怒り、ある意味で過剰なまでの行為に出たのかもしれない。では、ここまで見てきた視点をもとにしたら、今起こっている騒動はどう考えられるのだろうか。時間を、17年後に戻したい。

「ゆっくり茶番劇」の騒動は、のまネコ騒動と何が違うのか?

 17年前に巻き起こったネット文化上での大事件を経て、私たちは今何を見ているのだろう。今、ゆっくり実況は同じことを繰り返しているのかといえばおそらく部分的にはそうだ。だがしかし、異なる点も無数にあるように思える。その違いの一つに、相手が「企業」か「個人」かという点があるだろう。はやり「法人」相手であった17年前の騒動と比べ、今回の騒動は個人が対象になっている。もちろん、今回の騒動の背景に株式会社があることは少なからず見ることができる。本人のTwitterアカウントを除くと、どうやら個人で展開しているものではなく、組織単位での動きがあるようにも思えて仕方がない。とはいえ、YouTuber個人名の方が前景化しているのは明らかであり、この点はあくまで「エイベックス」という法人に対しユーザーが攻撃していた17年前と比べ、大きな違いであるだろう。

 しかしながら、現在進行形で進んでいるネットコミュニティの攻撃的姿勢はあるいは、17年前と比較して大きく変化もしていないようにも見える。当時、2ちゃんねるユーザーは株式会社エイベックスに対し、サーバー攻撃や匿名掲示板上での誹謗中傷を繰り返し、あるいは爆破予告や殺害予告にまで問題は及んでいった。その様相は今日、同じように展開されつつあるのかもしれない。むろん、だからと言って私が今回の騒動において商標登録をした側の人間を擁護することもしなければ、信頼材への冒涜というこれまでのネット文化史から見て明らかに許されないことをしていると考えている。だが、今回の相手は法人か個人かのどちらであるかを判断しなければならないのであれば、おそらく「法人」というよりも「個人」であると判断している人の方が多いのではないだろうか。

 17年前、2ちゃんねるをはじめとして国内ネット文化はまだまだアンダーグラウンドな文化であり、ユーザーたちはそれが社会的な地位も得ていないからこそ、自由な発言も許されていた。しかしながら、スマートフォンが登場してから多くのユーザーがネット文化に参画することを可能にし、それは決してアンダーグラウンドなものではなくなってしまった。そうした中で、ネット上でのある種の攻撃はかつてと比べて、格段と繊細な問題と化しているはずだ。そうしたなか、17年前に社会的問題と化してしまいながらも抵抗したかつての2ちゃんねるの様相がTwitterをはじめとしたSNS上で実現可能なのか、あるいはそれを「本当にしてもよいのか」という倫理的問題がおそらく問われているのではないだろうか。繰り返すが、今回の問題は前回と比べ、格段と繊細になった情報空間上で、法人よりも格段に繊細な対応をとる必要性があるだろう個人を相手にしている——実際に、特許関係のデータを調査することによって、個人名さえも表面化している現状がすでにできている。

 私たちはSNS上で、誹謗中傷を苦とした著名人の自殺という悲劇を何度も見てきた。それを踏まえ、私たちが17年前から何を学習したのかという再確認を、まさに今問われているのではないだろうか。ドイツの宰相オットー・フォン・ビスマルクの名言に「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ(=愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。 私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む)」というのがあるが、私たちはかつて起こった経験と時代の変化から、しっかりと学習し深化していく必要があるのかもしれない。

おわりに

  時刻は22時。出勤が終わり、状況を一日ほど静観したのちに、私はこの文章をスマホのテザリング機能を利用しながら、noteに入力する。思えば17年前、果たして「デザリング」なんて言葉は私たちの身の周りにあっただろうか。小学生だった私は何も覚えていないが、少なくとも、当時の私は国内ネット文化に対し、ずっと憧れを持っていた。2005年に起きたのまネコ騒動でさえ、私は国内のネットの力が大きな権力を打ち壊すんだ!などと思いながら、これから先に何かが変わるぞという謎な期待を抱えていたーー上に掲載したデジモンの映画の一場面なんて、まさにそうである。それから17年後、私は電気代についての電話を受けながら、日々のパソコンを動かすための電気代をオンライン上で支払っている。ある意味で当時のあこがれだったネット社会に参画はしているのだが、もはやネット社会への参画はいまや、当たり前のことになってしまった。そんな時代の変化と、それによって生じた様々な軋轢が、今回の騒動に反映されている気もする。

 2000年代から2010年代を経て、時代は変わっただろう。変化はさまざまにあったと思うが、今回の騒動を踏まえて「ゆっくり」はどのように変わっていくのかは、本稿の最後に指摘しておきたい点である。私は今回の騒動を踏まえて、ある意味で一抹の疑問も抱えていた。そもそも「信頼材」をめぐる17年前の事件を反省しながら、ゆっくりの関係者が権利問題にどう向き合ったのだろうか。インターネット上の信頼材を巡る問題は2005年ののまネコ騒動以降、コンテンツの権利問題をクリアしてきた。2007年以後のボカロ文化、ひいてはピアプロの文化はまさにその代表例だ。VOCALOIDとそれに関するライセンスは特別な許可を得ることによって文化的に花開き、今日に至っている。一方、東方プロジェクトは歴史も長く、のまネコ騒動以前からずっとネット文化上に居続けたからこそ、文化の持っている空気感も昔からのものをずっと持ち続けてきた。東方プロジェクトは、元をたどれば1990年代中頃生まれである。そんな存在であったからこそ、ゆっくりにまつわるコンテンツはかつてのまネコ騒動以後にあったネット文化に対しても、制度的な更新の必要性にかられることなく静観をしていたのかもしれない。そうした良くも悪くも「保守的」な姿勢の結果が、今回の騒動に帰結しているのかもしれない。

 だからこそ、これから先に新しい制度と共同体のによって、文化が長く息をし続けられるような環境ができればと思う。自分は世代感覚として2010年代の人間ではあるが、2000年代的なネット文化を好んでいる世代だ。だからこそ、こうして信頼材が蹂躙され、文化が破壊されていく様子を見ているのはとても複雑な気分にもなる。一方で、この騒動を乗り越えた先で、界隈が見せてくれる連帯と新しいネット文化の地平がもし見えるのであれば、ぜひ見たく思う。いずれにしても、私はゆっくり界隈の関係者でもないからこそ、事態を静観するしかない。すべての可能性は、これから先のゆっくり実況者と東方プロジェクト関係の創作を続けるものたちによって作られるべきだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?