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復刻ー北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」


北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」の復刻を行いました。
今回の原画は山口県立萩美術館・浦上記念館より画像データ(http://www.hum2.pref.yamaguchi.lg.jp/sk2/sku/sku2.aspx)をお借りしてそれを用いました。

今回の制作を紹介するための記事を書こうと思った時、制作のコンセプトも工程も基本的には前回と同じなので、改めて書くことが思いつかず、今回は作業風景の写真だけを以て制作の紹介にしようかと最初は思いました。(又、北斎や図柄についての内容は色んなところでこれまで沢山説明されていると思うので、今さら私が書くことはないと感じました。)

しかしその後、前回並び今回の制作コンセプトについて具体的に掘り下げて説明することを思いました。そういった情報、つまり復刻の概念を説明した情報は少ないと思われたからです。
また、一般的に復刻のプロジェクトで従事者間において概念の検証と整理がなされていないと見られることに対し、私は以前から問題意識を持っていたというのもあります。復刻のプロジェクトで様々な矛盾や不正、欺瞞が生じてしまうのは、現代における材料不足や職人の技術不足の話ではなく、従事者間で概念の整理がなされていないところに根本があるように思われました。

その典型的な例は、「改良された現代の絵具と和紙で、オリジナルよりも高度で洗練された伝統木版技術で、改良的な美しい浮世絵を作る事と、江戸時代当時と同じ浮世絵を再現する事とを混同してる例」や、「江戸時代に作られていた浮世絵と、大正や昭和に作られていた(復刻版)浮世絵とを混同してるような例」だと思います。専門家間での話です。
一流の美術館や研究者や科学者が関わりながら 、そのように論理の最初からおかしなことになるのは、復刻版に対する(第三者による)調査研究が、あまりにもなされて来なかったことによるように思います。
(なぜ彫師は原画と同じ線を彫ると言いながら、結局は線の修正をするのでしょうか、、? 
なぜ摺師は江戸時代の絵具や紙に興味がないのでしょうか、、? 
その背後にある復刻の概念や理論とはどういうものなのでしょうか、、? 
それは本当に江戸時代当時と同じ浮世絵を再現することを目標としてるものなのでしょうか、、? 或いは江戸時代当時と同じ浮世絵に辿り着くものなのでしょうか、、、? 
彫り摺りの技術面、材料面、制作認識面において、「伝統木版画」には明治時代以降に確立されたような事もかなり含まれていると思われますが、それで復刻はその影響を受けていないのでしょうか、、?
彫師であれば誰だって一通りは浮世絵が彫れてるものだし、摺師であれば誰だって一通りは浮世絵が摺れてるものと見られますが、そもそも彫師や摺師の世界で言う「腕の良し悪し」とは何を指してのことなのでしょうか、、? そしてそれは浮世絵の再現性に対しどこまで関係があることなのでしょうか、、?
こういった問題について科学的に検証したり調査した人はいるんでしょうか、、?

一例を挙げれば、ある一流の復刻版の製作者に言われました、「江戸時代の絵具や紙を再現し江戸時代と同じ浮世絵を再現する、そんなことに何の意味があるんですか? 復刻版とは江戸時代から時を隔てた現代人が作るのだから、むしろそこには現代人としての工夫や改良があって然るべきです。又、皆が復刻版に求めているのは美しい木版画であることであり、江戸時代当時の浮世絵と同じであるということではありません。ただ、線というのは絵師の個性や芸術性を直接に表すものだから、そこは正確に彫って再現されるべきだと思います。」
私は思いました、それは江戸時代の浮世絵を再現するという事とは違うことなんだと。しかもそこではあくまで美しい作品を作ることが前提なので、正確に彫ると言ってる線も結局は修正が施されているものと思われました。
最新機器を用いて原画の線を写し取って完璧な版下を作り、それを慎重に彫ってる姿や、その人の経歴を見れば、誰だってこの人は正確に同じ浮世絵を作らんとしている人なのだろうと思うことでしょう。だけどそういうことではないと思います。
江戸時代の浮世絵を蘇らせるみたいなテーマで、一緒に復刻のプロジェクトをやっている美術館や研究者は、そういったことまでわかった上でやってるのでしょうか、、? 
そのような考えや理論のもとでは、そのテーマが達成されないことは最初から決まってるように思われます。)

もっとも私はそういった復刻のプロジェクトにはもはや何の関係もない人間です。
それでもこういう情報を残しておくことは、一つの視点として、将来の誰かにとって意味のあることかもしれないと思いました。
(私は復刻の欺瞞に対し、10年以上に渡って怒りと悔しさを抱き続けて来ました。
ただ今になって思う一番大事なことは、先ず人々の幸せを願うことなんだと思います。それが仮に権威の元に平然と詐欺みたいなことをする人達であってもです。
それがこの仕事で、浮世絵の復刻という専門家でさえ訳わかってないような世界で、私が学んだ最大のものです。)

尚、以下において、前作並び今作の制作コンセプトについて具体的に述べていますが、その他方で前回の記事で書いたように、それらは「いかに早く安く、その中でなるべく良いものを作る」ということを基本的なコンセプトとして持っています。また基本的に卸販売用として業者の人に向けて作っています。
なので以下に述べるコンセプトで作ってはいますが、追求していられない様々な制約も同時に合わせ持っています。
また以下に述べている概念や理論は、どうすればリアルな復刻版浮世絵が作れるかを自分なりに考えて至ったものであり、彫師や摺師のそれとはかなり異なります。

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復刻版とオリジナルを比較してみた時、両者の間には印象の違いがありますが、それは何に由来するのでしょうか? 何が復刻版とオリジナルの印象を違うものならしめているのでしょうか?
その要因を作品の比較上に探してみれば、主に以下の三点が挙げられると思います。

・彫り摺りの木版技術の水準(雑さ〜丁寧さ)の違い。
・絵具や紙といった素材の違い。
・経年による劣化の違い。

復刻版をリアルなものにするためには(オリジナルに近づけるためには)、これらの違いに注意を払う必要があります。その際、先ず大事なことはオリジナルのニュアンスを汲み取るということだと思います。以下、そのことを踏まえ各点について説明しますが、先ず前提として私には次のような考えがあります。

・「基本的には、江戸時代の浮世絵というのは安価に手早く、親方から弟子までが共同で作っていたものであり、現代のように高品質の和紙と絵具を用い、熟練の彫師と摺師が綺麗で美しい美術品を作らんとするが如く丹精に作り込んでいたものではない。」
・「オリジナルを見てみると、デザイン自体は同じながらエディションによって色や線が異なることがある。しかしそれらはどれもオリジナルとしての雰囲気を持っている。それならば即ち、復刻において一つ一つの色や線がどこまで原画と正確に一致しているかというようなことは、その復刻版がオリジナルのようなリアルな雰囲気を持つかどうかとは、直接的な関係はないと言える。」

さてその上で、技術、素材、経年劣化の三点について説明したいと思います。
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まず技術について、江戸時代の浮世絵は安価に手早く、親方から弟子までが皆で作っていたものと思われ、そのため絵の中に何かしら雑な箇所というのが生じます。
いわゆる初摺りと言われるような当時としては上出来のものでも、よく見れは、線が歪んでいたり欠けていたり、見当がずれていたり、ケツが落ちていたり、絵の具が剥げていたり、ぼかしが曲がっていたり、細かい所に絵の具が溜まっていたり、等々、何かしら雑な箇所があるものだと思います。
現代の復刻版にしばし見られるように、ほぼ完璧に隅から隅まで綺麗に彫られ摺られているようなものは、江戸時代には基本的には成立し難いものだったと思われます。
そして技術において、オリジナルとしてのリアルさを求めるならば、そういった雑なニュアンスを汲み取って表現することが大事だと思います。彫りと摺りが綺麗過ぎて不自然な復刻版というのは少なくありません。(それは現代の職人の矜持として否定するものではありませんが。)

.例えばもし復刻版において、「原画に対し一本一本の線が正解に彫られてはいるが、雑な箇所には修正を施し、より綺麗に線を仕立てた彫り」と、「多少線は省かれ正確さには欠けるが、雑な箇所は雑に、綺麗な箇所は綺麗にと、オリジナルのニュアンスを汲み取って線を仕立てた彫り」とがあったとしたら、私は後者の方がリアルな雰囲気を持ったものになると思います。
摺りにおいても万事そのような感じで、大事なことは先ずニュアンスが汲み取れているかどうかであり、一つ一つの線や色がどこまで原画に対し正確に一致しているかというようなことは、その後に来る二次的なことだと思います。もし一致しているならば、それは尚良いことですが、一致していなかったとしても、それは復刻版のリアルさに対し直接に影響するものではないと思います。

その例として、リアルな雰囲気を持った復刻版の制作者として名高い、高見澤遠治氏や立原位貫氏の復刻版というのが、一つ一つの線や色が原画に対して正確なものであったということではない、ということに触れて置きたいです。
高見澤遠治氏の復刻版をまだ私は直接目にしたことがありませんが、文献資料からは、一つ一つの線や色がどこまで原画と正確に一致するかという意味では、それほど正確なものではなかったと考えられます。
高見澤氏の復刻版のリアルさは経年の加工に、立原氏の復刻版のリアルさは絵具や紙といった素材に、その特徴や特質があったと私は思っています。

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次に素材について、江戸時代の浮世絵の多くは、薄手でチリやカスが残ってるような和紙、又、光に透かした際に縦横に漉目がある程度はっきり確認出来るような和紙に摺られています。現代の復刻版でよく見られるような、高級感のあるしっかりとした和紙、一方向にしか漉目が確認し難いような和紙とは違うと思われます。
絵具も現代のように化学的に合成され綺麗に精製されたものとは違うと思います。

現代でも、江戸時代のような和紙、すなわち、
・原材料の楮が薬品ではなく天然灰汁で処理されていること。
・米粉が添加されていること。
・薄手であること。
・繊維のカスやチリがある程度残っていること。
・楮の繊維が細か過ぎないこと。
・光に透かした際に縦横に漉目がある程度はっきりと確認出来ること。
こういった条件を備えた和紙は、市場にはないと思われますが、特注で作って貰うことは出来ます。
しかしコストがかかります。
そのため現在私は、予算内で市販の中からなるべくそれらしいものを選んで使っています。

絵具についても、現在でも江戸時代のような絵具はある程度は調達出来ますが、これも用意するとなるとかなりコストがかかります。そのため私は摺師間で一般的に使われるような現代の化学性顔料を現在は使用しています。これらは調合次第で大体どのような色でも出すことが出来ます。
(もし、江戸時代に使われていた絵具がどういうもので、それが本来どういう色をしているものだったのか、ということを知ってることを前提にするならば、江戸時代当時の色とほとんど同じ色もそれらの化学合成顔料で出すことは出来ると思います。)

ただ植物性絵具の柔らかさみたいなものは、化学合成のものとは、根本的に少し違うように思います。
また結局のところ、それらはどこまでも似たものであって、「本物」とは違うと私は思います。

また江戸時代の絵具は経年と伴に変退色するものも少なくないので、変退色に強い化学合成顔料を使った場合、経年の過程で不自然さが出て来やすいかもしれません。

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最後に経年劣化について、江戸時代の浮世絵は大なり小なり経年劣化の影響を受けているものです。
絵具の変退色、紙の焼け、汚れ、手擦れ、虫穴、マージンの欠損、等々。
こういった経年劣化もオリジナルと復刻版の印象の違いを生み出している主たる要因の一つだと思います。(ただそれはあくまで要因の一つであり、経年の劣化を経ればオリジナルのようになるというものではないというのは、過去の古い復刻版が示しているところです。)

また個人的には浮世絵の美しさは古びた骨董味にもあると思うので、その点からも現在の制作では経年加工を施すようにしています。
前作に比べ、今作は経年加工を少し強めに施してみました。

今回は贋作としての流用防止のため、用紙の表側にサインを入れています。

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