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浮世絵の絵の具ーベロ藍の製法について

はじめに


現在もベロ藍の名を冠した絵の具は市販されており、復刻版浮世絵には一般的にそういったものが使われていますが、(ベロ藍の他、プルシャンブルー、ベレンス、アイレーキなどの市場名称のものが、「ベロ藍」として摺師それぞれによって使われています。)実際の使用に際し、色が美麗過ぎて違和感を生じさせることが多く、例えばベロ藍使用作品として有名な、葛飾北斎の富嶽三十六景のベロ藍色などは、現行のベロ藍単体では、その色が出せないケースが珍しくありません。ベロ藍に関する資料調査からも、現代のベロ藍は、工業技術の発展と共に当然の如く、変更及び改良を加えられて来たと考えられ、江戸時代の浮世絵に使われたものとは、製法及び色や品質の点においても、異なるものと考えられます。一般的に伝統的な摺師の復刻では、いわば現代の改良版ベロ藍で、もし色が出ないのであれば、墨ないし他の現代的な化学合成顔料を、適当に混色したり、代用する方法がとられます。一般的に版元から発信される情報からは、現在も復刻版浮世絵の製作において、江戸時代と同じ品質並び色のベロ藍が、使われているような印象付けがされがちですが、それは復刻版の製作における事実や、その作品の実体というよりも、むしろ商業・営利上の便宜なのだろうと思われます。
素材・技術の両面でよりグレードの高いものを目指した、いわば「改良版浮世絵」とほぼ同義と思われるような、現在のいわゆる「復刻版浮世絵」ではなく、実際的に色の復元にこだわるのであれば、江戸時代におけるベロ藍の製法・品質・色について調査をし、出来るだけ同じ色や品質のベロ藍の絵の具を再現することは、必要なことであると自分は思っています。
またそのように復元的に復刻を行うということは、同時に、オリジナルの絵の具や紙の調査を必然的に伴いますが、江戸時代のオリジナル作品に対する、実体の調査及び解明を行い、そしてそれを作品において再現するところに、現在においてもなお復刻版を作る意義がある、という考えが自分にはあります。(摺師及び伝統木版画の復刻の現場で一般的に見られるように、オリジナルに何の絵の具が使われているのか分からないまま、オリジナルと異なる絵の具を使って、「目的」とする色が出るならそれで良いという考えは、オリジナルの色彩を再現する論理としては、自分にはわからないものがあります。)

これまで江戸時代のベロ藍について調べてきましたが、今回は特に、製法に焦点を当てて紹介します。江戸時代の浮世絵のベロ藍の実体を知る上で、参考になるものがあったら幸いです。
(ベロ藍は様々な品種及び名称がありますが、当記事ではフェロシアン化鉄を主成分とする青色顔料を指して、ベロ藍の名称を使用します。)

江戸時代のベロ藍の様相


江戸時代、ベロ藍は基本的に海外からの輸入に頼っており、その相手国はオランダと中国です。石田千尋「江戸時代の紺青輸入についてーオランダ船舶載品を中心としてー」(2007)や武雄鍋島家資料からは、1826年から中国とのベロ藍取引量が激増し、そのことが国内市場における供給体制を整わせ、やがて(江戸における)浮世絵への使用導入につながること、またオランダからのベロ藍は、中国からの品よりも、高価で高品質のものであったこと、つまり浮世絵に安価で大量に使われたようなものは、基本的には、中国からの品であったのだろうと考えられます。
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当時の中国では欧米諸国との貿易は、広東一港のみに限定されていました。佐々木静一「近世(一八世紀後半以降)のアジアに於けるプルシャンブルーの追跡」(1985)では、広東の貿易関連史料において、イギリスから輸入されていたベロ藍が、1827年からは輸入されなくなり、そしてほぼ同時期から、日本への輸出量が増加することから、少なくともこの頃には、中国国内でベロ藍の工業生産化が、行われていたのであろうことが指摘されています。
長崎貿易を通して輸入されていた、ベロ藍の品種について、武雄鍋島家資料からは、中国からのベロ藍として、「唐口紺青」、「薄口(薄手)紺青」の2種の存在が考えられます。
竹内久兵衛「実業応用絵具染料考」(1887)の「薄ベル 通称唐口ベル」の項によると(「ベル」とは当時のベロ藍の呼称の一つです。)、かつては中国より輸入されていたが、近年は輸入されていないこと、その色はインディゴ色を帯び、唐藍の代用品として用いられること、などに触れられています。(尚、1855年頃に編纂されたと推定される、青葱堂冬圃「真佐喜のかつら」では、ベロ藍に唐藍の名称が使われていますが、「実業応用絵具染料考」の言及からは、唐藍と唐口ベルは別種として、区別して認識されているとみられます。このことについての詳細は、今後の調査が待たれますが、少なくとも両者の色は、代用できるほど近しいものであったのだろう、と考えられます。)
また同書の「ベル」の項では、通常のベロ藍はイギリス及び、ドイツ製であることに触れられていますが、これらのことからは、1887年の段階において、江戸時代の浮世絵に主に使われたような、中国産のベロ藍の輸入は終息しており、またそれらは品質としても、良いものではなかったのだろうと、考えられました。
今回ベロ藍の再現をする上で、このことを念頭にしています。
前回記事:

https://note.com/ukiyoe_shimoi/n/n506cd3cc41fd

製法について

1706年にベロ藍はベルリンで誕生します。発見当初の製法は、煆焼後の炭酸カリウム並び乾血からの浸出溶液を、硫酸第一鉄と明礬を混ぜたコチニール抽出溶液に、加えることによるもののようで、これは神学者であり錬金術師であった、Dippelの研究所で働いていた、元軍人で、顔料と染料の生産者であったDiesbachが、赤い顔料(florentine lake)を作ろうとした際、偶然的に発見されたものです。その後暫くは、その製法はいわば企業秘密として守られ、ベロ藍はその発明関係者らによって、独占的に製造・販売されます。 

やがて1724年になると、イギリスの王立学会誌にて、ベロ藍の製法が公表されます。その製法は、特にコチニールを使わないという点で、オリジナルとは異なる製法であると言われており、またオリジナルの原材料の一つである乾血は、肉でも代用出来ることが記されます。
その翌年の1725年には、フランスの化学者により、血と肉以外にも角、毛、皮などの動物質も、使えることが発表されます。 その頃1720年代後半から、ベロ藍の製造はヨーロッパ中に広まっていったと言われています。前回の記事の最初にベロ藍は1774年にイギリスのWilkinson社によって工業生産化されたことに触れましたが、実際的にはそれ以前から、工業生産化は行われていたのだろうと、前回の記事以来入手した資料からは考えられました。
18世紀前半から19世紀後半までのベロ藍の製法の変遷を、大きく2つに分けると、①動物質と炭酸カリウム(+鉄粉)の熔融物から、黄血塩溶液を作り、それに明礬及び第一鉄(硫酸第一鉄など)の溶液を加える、(更に+α酸化剤が加えられる場合もあり)、その後、②その黄血塩溶液から、一旦黄血塩の結晶を取り出し、その黄血塩結晶を溶かした溶液に、第一鉄(硫酸第一鉄など)溶液を加えて、更に酸化剤を加える、という製法へと変わっていきます。19世紀後半には、動物質を用いない製法が発明され、やがてこういった製法は用いられなくなります。
国内でベロ藍の製法を記した文献資料については、現段階で把握しているのは、大槻玄沢「蘭畹摘芳 次編巻之七」(1810年成立)に、ノエル・ショメールの百科事典から訳出された製法が記され、また同書では本草学者の渋江長伯によって、製造実験が試みられたことに触れられています。(がこの製造実験は結局成功しなかったようです。)また同製法の訳文は大槻玄沢と宇田川玄真が、1815年に若年寄堀田摂津守へ呈出した、「厚生新編 第十二巻」にも収められています。他、蘭学者の牧穆中による、18世紀末のカステレインの物理化学書に記された、製法の抄訳として「別而輪氏勃辣鳥製法」(1845年成立)や、宇田川榕菴「舎密開宗」(1837-47年刊)、飯田広助家文書の内、吉川左右祐が鯖江藩の大庄屋に宛てた手紙(推定1850-58年)などにて確認されます。
これらの内、前回記事の段階で存在を把握していたのは、「蘭畹摘芳 次編巻之七」、「飯田広助家文書」、「別而輪氏勃辣鳥製法」です。「飯田広助家文書」と「舎密開宗」の製法内容は簡略に過ぎ、また、「蘭畹摘芳 次編巻之七」及び「厚生新編 第十二巻」は、製法箇所の閲覧にまだ至っていません。
「別而輪氏勃辣鳥製法」は、ヘンリースミス「浮世絵における「ブルー革命」」(1998)によると、過去の文献資料上でその存在は確認されるが、所在は不明とされていたことから、現存はしていないのだろうと思っていましたが、近年の研究誌でその現存及び、製法の内容を確認することが出来ました。
明治時代になると、ベロ藍の製法についての文献資料は多く見られるようになります。
今回ベロ藍の再現をするにあたり、「別而輪氏勃辣鳥製法」の製法に則ることを、当初は思いましたが、その内容は実際の試験上、及び明治時代の文献に記された製法からは、手を加える必要が感じられました。
江戸時代の浮世絵に主に使われた、ベロ藍の製法、つまり19世紀前半に中国で行われていた製法の詳細については、現在調査中で詳細は得ませんが、基本的には黄血塩溶液と硫酸第一鉄(+明礬)溶液の混液を、酸化させることによるものと理解されます。
今回ベロ藍の再現実験をするにあたって、「別而輪氏勃辣鳥製法」、及び明治時代の文献資料中、とりわけ製法の詳細が記されたものである、高松豊吉, 丹波敬三, 田原良純 編「化學工業全書. 第1卷」(1904)を、特に基本的な参考資料とし、他、古田彩、田中陵二、浅野信二「「若冲の青」を再現する」(2017)、並びに結晶美術館ホームページ、「ブタの肝臓からプルシアンブルーをつくる」(2019)、「動物の血や魚肉からプルシアンブルーを作る」(2019)、も多く参考となりました。
以下、それら資料を中心に理解された製法を、①黄血塩溶液の作り方、②硫酸鉄溶液の作り方、③調合とベロ藍の完成の3工程に分けて、考察を交えながら記します。
①黄血塩溶液の作り方
材料について、「別而輪氏勃辣鳥製法」では、「乾固ナル牛血」並び「植物固性羅倔塩」とあります。「乾固ナル牛血」について、前述したように、1725年の段階で、乾血は他の様々な動物質で代用出来ることが発表されており、「化學工業全書」では、死獣の乾肉、血液、角、爪、蹄、毛、皮、或いは革、毛織、絨毛等の動物性廃棄物とされています。こういったことからは、19世紀前半の段階で、ベロ藍の工業量産の現場においては、乾血ではなく、むしろ動物性廃棄物が利用されていたであろうことが、考えられます。
基本的には動物質であれば、材料として使用出来るわけですが、現在、動物血の入手自体の困難さもあり、今回は膠(革屑などのコラーゲン由来のゼラチン)を使用することにしました。
次に必要となる材料は炭酸カリウムです。「別而輪氏勃辣鳥製法」では「植物固性羅倔塩」とあります。これはオランダ語「planten loogzout」の訳で、「植物の灰汁塩」なるものを意味します。植物の灰汁には、炭酸カリウム成分が多く含まれていますが、当時の炭酸カリウムは、海水の蒸発で塩が出来るみたく、植物の灰汁を蒸発させることで、作られていたであろうことが考えられます
「化學工業全書」では、粗製炭酸カリウムと記され、これを出来るだけ精製して用いるとあります。そして粗製炭酸カリウムに含まれる珪酸及び硫酸カリウムは、黄血塩の製造に困難を及ぼすことに触れられています。現在のように、市場における、精製された炭酸カリウムは、20世紀初めの段階においても、(少なくとも国内では、)まだ一般的なものではなかったのだろうと考えられ、炭酸カリウムの質によって、完成する色にどのような差が出るのかは、色の再現にあたり考慮すべき点とは思われますが、今回は植物灰汁から炭酸カリウムを作るところまでは、手が回らなかったため、現在一般に市販されている、炭酸カリウムを使用しました。(3つ目の材料として、鉄粉がありますが、これは次の作業工程で述べます。)
さてその作業工程ですが、まず動物質の炭化を行います。加熱容器は諸文献における言及から、鉄製と判断されました。

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動物質を炭化させる工程は、明治時代の文献資料に散見されます。「化學工業全書」では、動物質は十分に乾燥させたものを、全く炭化させずに、若しくはその一部分を炭化させて用いるとあり、また炭化した動物質のみを用いるのは良くないとあります。諸文献資料上、炭化させる理由は、(恐らくは、アンモニア製造への利用目的と思われますが、)はっきりとはわかりませんでしたが、実際に試してみて、軽く炭化させることで、粉末状にしやすくなるため、次の工程で炭酸カリウムと調合する際、均一的に調合しやすく、作業上の利点が感じられました。
尚、動物質の加熱の際は、なるべく酸化させないよう、蓋をして行います。

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次にその軽く炭化させた動物質を、炭酸カリウムと乳鉢上ですり潰しながら調合します。加える炭酸カリウムの量は、炭化前の動物質の質量と、凡そ同量です。

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またこの際、炭化前の動物質量の凡そ8%の、鉄粉(酸化鉄も可)を加えます。鉄粉の量は、例えば動物質に血液など鉄分を含むものを使うか、また加熱容器が鉄製か磁製かなど、鉄分を供する他の条件の有無によって、変わると考えられます。(鉄分量と絵の具の色の関係については、後述します。)

調合が済んだら再度加熱容器に入れて、蓋をして加熱します。高温まで加熱する必要があり、黄血塩は900℃で生成すると言われています。

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しばらく加熱すると、容器の隙間から白い蒸気が出てきますが、この蒸気が出なくなるまで(+α)を目安に、十分な加熱を行います。
蒸気はアンモニア、硫化水素、酸化炭素などを含むため、換気を良くして行います。
加熱が終わったら、容器の蓋を開け、中の熔融物を別容器に移して、湯を注ぎます。 

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湯を注ぐと黄血塩の成分が浸出するので、濾紙に通してその溶液だけを回収すれば、黄血塩溶液が出来ます。(この溶液はアルカリ性です。) 

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湯の量は、炭化前の動物質+炭酸カリウムの合計質量1(g)に対して、80ml位が良いと思われましたが、冷水よりも温水の方が、また浸す時間を長くした方が、成分はより多く浸出すると考えられます。「化學工業全書」では、水温を60~80℃に保った状態で、12~24時間浸すとあります。「別而輪氏勃辣鳥製法」では、熔融物に水40分を注ぎ、それが30分に減るまで煮るとありますが、実際にやってみると、同書における材料の分量に対し、その水量は少なすぎると思われました。
今回実際に作業してみて、浸出後の熔融物に、繰り返し水を注いで浸出させたもの、つまり成分濃度が薄くなった黄血塩溶液ほど、完成するベロ藍の色も薄くなると見られました。         武雄鍋島家資料では、当時のベロ藍の一つに、「薄口紺青」という品種の存在が考えられますが、これは浸出後の使い回しの熔融物から、製造されていたであろうことが思われました。
濾紙を通した後の黄血塩溶液の色は黄色です。鉄粉の量が多過ぎた時や、或いは鉄粉の量が少なくても加熱不足の時は、黄血塩溶液は褐色味を帯びるとみられました。このような黄血塩ほど、完成するベロ藍の色は、黒味を帯びるとみられました。

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②硫酸(第一)鉄溶液の作り方
硫酸鉄溶液の原料となる緑礬(硫酸第一鉄)は、江戸時代後期の段階で、硫化鉄鉱ないしその風化物(粗製の天然緑礬)から、人工的に作られていたと考えられますが、自作することは今回は叶わなかったので、現代工業的に生産されているものを、購入して使用しました。
これを水に溶かせば硫酸鉄溶液が出来ます。(後述しますが、この緑礬は新品の状態ではなく、酸化させてから用います。)

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「別而輪氏勃辣鳥製法」では、これに明礬を加えるとあり、「化學工業全書」でも、市場における、通常のベロ藍の製造に用いる硫酸鉄溶液には、明礬が加えられていることに、触れられています。今回は明礬を加えることにしましたが、明治時代の文献資料からは、明礬を添加しない製法も見られ、ベロ藍の発見当初、及び1724年に製法が公表された段階では、明礬は用いられていたと考えられますが、中国国内において19世紀前半の段階で、明礬を用いない製法が既に存在し、実施されていたのかは不詳です。
緑礬に混ぜる明礬の量は、緑礬:明礬=1:2です。この溶液は濾紙で一旦濾して、phが3~4になるように作ります。「別而輪氏勃辣鳥製法」における、緑礬と明礬の比率は1:1~2であり、明礬の量が多い場合、ベロ藍の青味は、「尖ナリ」と記されていますが、「工務局月報」(明治時代中期頃)では、明礬の量の多さは、完成するベロ藍の體容及び重量を増量させるが、余りに入れ過ぎると、色が悪くなることに触れられています。
③調合とベロ藍の生成
以上で用意した、黄血塩溶液に、硫酸鉄(+明礬)溶液を注ぐと、黄血塩と硫酸鉄が反応し、ベルリンホワイトの結晶が発生します。注ぐにつれ(溶液の酸性度が上がるにつれ)、その結晶の色は青白、淀んだ青緑、青へと変わり(ベルリンホワイトの酸化したものがベロ藍です。)、アルカリ性であった黄血塩溶液のphが、4~5位になるまで注ぎます。酸性度が強くなるほど、結晶の青味は増すとみられますが、硫酸鉄溶液の入れ過ぎは良くないと見られました。詳細は後述します。この工程で、硫酸鉄溶液の効きが弱く、黄血塩溶液の中和が不十分だった場合、時間の経過と共に、結晶は褐色化するとみられました。

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文献資料上、この工程において、硫酸などの酸化剤を添加するという記述が、多く見受けられますが、「化學工業全書」によると、市場における通常のベロ藍は、明礬を加えた硫酸鉄溶液のみを用い、それ以上の酸化は、酸化剤の添加によってではなく、放置しての自然酸化によることが言及されています。また硫酸鉄溶液に使う緑礬は、久しく空気に晒しておき、あらかじめ酸化させておくとあります。そして同時代の文献資料からは、このような自然酸化に頼る製法のものは、低コストだが、色は悪いということがわかりますが、前述のように、江戸時代の浮世絵に使われた中国産のベロ藍は、安価に大量に作られていたもので、また品質的にも、良いものではなかったであろうことを踏まえると、むしろこの自然酸化に頼る製法を、採用するべきと判断しました。 

黄血塩溶液に硫酸鉄(+明礬)溶液を入れ終わった後、しばらくすると、ベロ藍色素が底に沈殿します。上澄みを捨てたら、また水を注ぎ、上澄みを交換する濯ぎの作業を繰り返します。それが終わったら、濾紙に注いで乾燥させます。しばらく放置し、自然酸化を経て完成です。放置期間は、今後の検証が必要ですが、渡辺遂 編「製法新書」(1885年)では、凡そ3週間とされています。

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前述したように、文献資料上では、黄血塩溶液に硫酸鉄溶液を入れた後、更に硫酸などを加えるという記述がみられますが、これも試してみました。田中義廉 編「天然人造道理図解」(1875)に、緑礬から硫酸を得る方法が載っていたので、これを参考にして、以下のように緑礬を原料に硫酸を作りました。
出来た硫酸のphを測定すると凡そ2であり、これを上澄みを去って沈殿したベロ藍に点滴すると、酸化が進み更に青味が出ます。ただし、自然酸化による製法と比べ、どれほど完成の色に違いが出るのか、その十分な検証にまでは、今回は至りませんでした。

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緑礬を加熱すると黄色味を帯びてきます。そこから更に白味を帯びるまで加熱します。この間非常にこびり付き易いので、こまめにかき混ぜながら加熱します。この白くなった緑礬を、下の写真のように、磁製容器に入れて加熱すると、やがて硫酸分は蒸発し、その蒸気はガラス管を通り、もう一方の容器内で冷却され水滴となり、硫酸液が得られます。

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さて今回実際に作ってみて、最も大きな問題となったのは、完成した色に黒味や黄色味(緑味)が出過ぎるということでした。
検討と試験の結果、黄色味については、緑礬は酸化によって黄色くなることから、硫酸鉄量が黄血塩量に対して過多になった場合、黄血塩と反応出来なかった余剰の硫酸鉄によって、黄色味を帯びるのだろうと思われました。前述、硫酸鉄の入れ過ぎは良くないと書いたのは、その為です。また明礬の量が多目なのも、酸性度を上げる上で、硫酸鉄の酸性に頼るのを抑えるためです。
黒味については、黄血塩溶液を作る際の、鉄分量が多すぎて(或いは加熱の不足によって)、黄血塩溶液中に黄血塩の形成にまで、十分至ることが出来なかった、鉄分が余剰に含有された場合や、或いは硫酸鉄溶液を加える量が少な過ぎて、ベルリンホワイトに成れなかった黄血塩が残留した状態で、酸化が行われ場合(黄血塩は結晶構造は2価の鉄Fe2+を中心としており、酸化によって褐色化するのだろうと考えられます)、それらの場合において、特に黒味が引き起こされるのだろうと考えました。 鉄粉の分量に関して、「化學工業全書」には「動物質ト炭酸カリウムトノ外、熔融物ノ原料ニ加フベキハ鉄ノ若干量(熔融物全重量ノ八乃至十プロセント)ナリ」とあることから、当初は動物質と炭酸カリウムの全重量に対し10%位で、実験していましたが、結果的に、ベロ藍の黒味を減らす為には(自分が出したい黒味の程度にするには)、炭化前の動物質に対して8%位が良いと、実験を繰り返す中で判断されました。(ただしこの添加量の少なさは、粒子の細かい酸化鉄粉末を用いたことや、実験一回あたりの作る量が少なかったことなどが、関係しているのかもしれません。)黄血塩溶液中の鉄分量が少ないほど、完成するベロ藍の色は黄色味を帯びた色になり、逆に多いほど黒味を帯びた色になるとみられました。
また、黄色味と黒味を軽減するための他の対応策として、黄血塩溶液も硫酸鉄溶液も、使用前に一旦濾紙に通されていることから、工程の最終で、ベロ藍色素が生成された溶液を濾紙に注いだ後、ある程度水が切れたタイミングで、繰り返し水を注ぐことで、黒味や黄色味の原因と思われる、余剰の酸化鉄分や硫酸鉄分を流し去れるのではと考え、実際にやってみたところ、その効果が確認されました。ただし、黒味や黄色味が強すぎる場合、それらを綺麗に取り去るのは困難で、洗浄の効果には限度があるとみられました。 
このような感じで、実際にやってみると、文献資料からはわからない問題が生じ、かなりの実験の繰り返しを要しましたが、黒味と黄色味の要因については推測の域は出ず、その化学的原理については未だ不詳です。

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実際に塗ってみると、、、

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一番上が、自分がここ数年来使用して来た市販のベロ藍で、金ベロの名で売られているものです。自分は摺師時代に何人かの摺師から、一昔前までは金ベロというものが使われ、それは現在のベロ藍よりも、くすみがあったと聞いたことがあったことから、その後、現在でも金ベロが売られている所はないかと、販売店を探して見つけ、実際に使ってみましたが、確かにそれ以前に使っていた、ベレンスやアイレーキの名のものと比べると、くすみは感じられたものの、それでもやはり美麗に過ぎ、昔のものとは違うのだろうと思われました。
一番上以外は、今回作ったものです。鉄量・加熱加減・硫酸鉄量などの条件の違いで、黒味や黄色味を帯びます。これら条件のバランスは、結構微妙なものであると思われました。
科学的分析調査において、ベロ藍の使用が確認されている作品を比較すると、そこには様々なベロ藍の色(特に大きな特徴としては黒味の程度差)がみられます。
このことは、江戸時代の浮世絵に使われたベロ藍において、製法の変化や品質の違いがあったことを思わせる一方、今回の実験からは、黄血塩を作る際の鉄分量の違いや加熱の程度などが、完成する色の黒味や黄色味に影響し、そしてそれらは調節に微妙さを伴う作業ゆえに(特に鉄分量については、加熱する鉄器は、使用の繰り返しのかなり早い段階で、内部表面が腐蝕(鉄粉化)を起こすため、容器から供される毎鉄分量は計算し難いと思われました。)、毎回一定の色のベロ藍を作ることは困難であったであろうこと、つまり色の違いは、根本的な製法や品質の変化・違いではなく、作る毎ごとの微妙な条件の変化によって、意図せず引き起こっていたのではないか、ということが思料されました。

おわりに


江戸時代の浮世絵に使われたベロ藍の色には、摺師の色の調合や経年劣化によるものではなく、絵の具の品質(品種)の違いによると考えられる、色の違いがあることは、以前から認識していましたが、ベロ藍の製法を調査し、実際に作ってみたことで、その色の違いは、当時のベロ藍の製法と大きく結びついていることが実感されました。
特にそれら色の違いの特徴である、黒味や黄色味といったことを引き起こす、製法上の要因が推測されたことは、大きな収穫でした。 又、色としても悪くないものが作れたと思うその一方で、それは何か偶発的に出来た感もあります。

引き続き江戸時代のベロ藍の製法・色・品質について調査し、当時のベロ藍の詳細を深めていけたらと思います。

参考文献

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https://www.jstor.org/stable/103734?seq=2#metadata_info_tab_contents

田中義廉編「天然人造道理図解. 初編巻之三」(誠之堂、1875)

渡辺遂 編「製法新書」(二神寛治、1885)

「工務局月報. (7)」(農商務省工務局、明治時代中期頃)

竹内久兵衛「実業応用絵具染料考」(竹内久兵衛、1887)

高松豊吉, 丹波敬三, 田原良純 編「化學工業全書. 第1卷」(丸善書店、1904)

矢野道也「絵の具製造法」(博文館、1904)

佐々木静一「近世(一八世紀後半以降)のアジアに於けるプルシャンブルーの追跡」(多摩美術大学研究紀要(2)、多摩美術大学、1985)

宮下三郎「人工紺青(プルシアンブルー)の模造と輸入」(有坂隆道、浅井充晶編「論集日本の洋学Ⅲ」、清文堂出発、1995)

ヘンリースミス「「浮世絵における「ブルー革命」」(浮世絵芸術128号、日本浮世絵協会、1998)

福井県文書館ホームページ
https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/08/2005lec/2005lec08.html

石田千尋「江戸時代の紺青輸入についてーオランダ船舶載品を中心としてー」(神戸市立博物館研究紀要 24、神戸市立博物館、2008)

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武雄市図書館・歴史資料館ホームページ

http://www.city.takeo.lg.jp/rekisi/kikaku/2012/ao/ao.html

古田彩、田中陵二、浅野信二「「若冲の青」を再現する」(日経サイエンス第47巻第10号、日本経済新聞出版社、2017)

野村正雄「牧穆中の訳述「ベルリン青製法」と蘭書原本ー宇田川榕菴「舎密開宗」との関連などー」(一滴第25号、津山洋学資料館、2018)

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https://www.researchgate.net/publication/328431687_What_a_chemistry_student_should_know_about_the_history_of_Prussian_blue

結晶美術館ホームページ「ブタの肝臓からプルシアンブルーをつくる」(2019)

https://sites.google.com/site/fluordoublet/home/colors_and_light/prussian_synthesis
「動物の血や魚肉からプルシアンブルーを作る」(2019)

https://sites.google.com/site/fluordoublet/home/colors_and_light/prussian_synthesis2


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