浮世絵の絵の具ー青花紙③ー「浮世絵における青花紙の使用について」(講演報告)
2022年初春、草津青花紙製造技術保存会主催の「あおばな紙担い手セミナー」の一環として、浮世絵における青花紙の使用について講演をさせて貰いました。
この記事を以て報告します。
(以下、当時の講演内容。)
「今回は浮世絵版画における青花紙の使用について、時系列的にその歴史に沿う形で話をします。
基本的に江戸時代の浮世絵には肉筆と木版画があるんですけど、今回お話しするのは、元々は版本の挿絵から始まり、やがてその挿絵だけが独立して一枚の絵の形態になった木版画のものです。その一枚絵としての独立が大体17世紀の末ごろです。初期の段階ではそれらは墨の輪郭線を版木で摺って、彩色は筆で、手彩色で行われていましたが、1740年代前半頃から多色刷りの版画で作られるようになります。これは浮世絵版画のカテゴリーで紅摺絵と呼ばれ、輪郭線を墨で摺り、そこに紅と藍や緑などを使った、4、5色位の多色刷り版画です。
この紅摺絵時代における青色の絵の具は、基本的に植物の藍に由来する本藍です、が1760年頃の紅摺絵作品からは青花紙の使用が科学的な分析調査において確認されています。なので1760年頃というのが、実証的に確認されている限りでは、青花紙の一番早い使用導入時期と見られます。
ただ自分の確認した限りでは、あくまで推測になるんですけど、最も早い例としては、紅摺絵が発明される前の1730年頃の段階で、もう使われていたようにも見られます。これはあくまで画集上での肉眼での判定なので、今後特に絵の具の分析調査をしたいところです。
その後少し経った1764年ごろ、輪郭線に墨を使わないで青花紙の青を使った、これも少ない色数の多色刷り版画、水絵というものが一時的に流行し、そこでは青花紙が多用されます。恐らくですが、この頃から江戸において、青花紙がある程度安価に供給される市場体制が整ったのではないかと思われます。
江戸時代の膳所藩の関連史料からは、浮世絵に青花紙が使われ出す18世紀後半において、草津周辺で青花紙の生産は拡大傾向にあったと見られ、このことが浮世絵における青花紙導入と関係しているのかと考えらます。
只、江戸時代以前、古くから全国に自生していた通常の露草は、その名称や使用目的において、青花と特に区別はされていなかったと見られます。例えばこれは18世紀末の文献資料になるのですが、青花紙の別称である花田紙の製法として、その原料はうつしきの花とされています。うつしきの花とは露草の九州での方言の一つのようです。つまりその頃には青花紙の製法はある程度広い範囲で知られていたのかと思われます。
だから18世紀後半には青花紙が関東方面でも作られていて、そのことが浮世絵への導入に関わっている可能性も、低いとは思われますがあるかもしれません。あと長野の方では露草の方言として「かみそめばな」というのがあったりして、そこからは紙を染める為の花つまり青花紙が連想されたりもします。
自分の知る限りでは、文献上、近江以外で青花紙が生産されていたとされる地域は、伊勢と大和です。これは江戸時代の文献で見られます。浮世絵における青花紙導入の背景や要因については、今後の調査がまだ必要と思われます。
浮世絵の歴史に話を戻します。水絵の誕生したすぐ後の1765年頃に錦絵が誕生します。これはそれ以前に比べて格段に色数を増やした多色刷り版画です。以後はこの錦絵の表現形式が普及していき、今皆さんが浮世絵と聞いて一般的に思い浮かべるような、北斎や広重の代表作はこの錦絵のカテゴリーに該当します。
錦絵の時代になって以降、青花紙は作品の青色の箇所を着色をする絵の具として一般的に用いられます。ただしこれは、青色の箇所に着目した場合です。
浮世絵の緑色は通常、青と黄色の絵の具の混色によって作られますが、緑色の箇所に着目した場合、青の絵の具として本藍の使用が多く見受けらるように思います。この理由というのは現段階では、はっきりとはしません。ただ自分の仮説として、青花紙の方が値段が安く、また使用上、版木での絵の具の伸びも良いので、そういった利点から青花紙は使われたが、ただしある程度濃い緑色を出す為には、濃い色の出しすい本藍を使った方が、むしろ経済的で色の調節もしやすかったのではないだろうか、などと考えています。これも今後の課題として解明出来たらと思っています。
1810年代後半頃から、それまで青色の箇所を着色するために使われていた青花紙の使用頻度は減少していき、代わりに本藍の使用頻度が高まっていきます。それで1820年代前半には青色の箇所に一般的に使われる青の絵の具は、青花紙から本藍へとその移行が完了すると言われています。そしてそれ以降、次に導入される青の絵の具である、ベロ藍という絵の具が普及するまでは、作品上の青色箇所の着色には基本的には本藍が使われます。この青花紙から本藍へと移行した背景には、本藍の新しい製法が開発され、それまでよりも安価な供給が可能になったことが推測されます。
青花紙が青色の箇所を着色するために、一般的に使われていた時代の有名な絵師としては、鈴木春信や鳥居清長、歌麿や写楽などで、時代的に北斎の前半期頃の作品でも、画面上の青の箇所には青花紙が使われています。
ただし青花紙はその性質もあって、現在では作品上においてその色は確認できないものが普通です。
青花紙は経年によって、灰色、黄褐色、ないし無色化すると言われています。これがどういう条件下で、それぞれどういう色に変退色するかは、まだわからないんですけど、自分が数年前に制作した作品は光の当たらない所にしまってましたが、もう青花紙の箇所は灰色になりつつあることから、基本的には灰色から無色化していき、その過程で光の作用が加わると、黄褐色化するのではないだろうかと思っています。この変退色のパターンとその要因については、また今後調査したいなと思っているところです。
19世紀始めの青花紙の取引に関する史料が残っているんですけど、そこからは市場の青花紙には、少なくとも3つの品質のランクが存在していたことが確認されます。また加えて、当時青花紙が盛んに作られていた現草津地域で、特に生産の中心地であったとみられる山田村で作られていたものは、同じ頃(1800年頃)の段階には特に一つのブランドとして知られていたと思われます。
つまり、浮世絵にも様々な品質の青花紙が使われていた可能性が考えられます。
これも今後、もっと詳細ははっきりさせれたらと思っています。
次に浮世絵の紫色に関して話します。浮世絵の錦絵時代ですね、1765年頃から始まる、少なくともその当初から紫色は紅と青花紙の混色で基本的には作られていて、青花紙が1820年代前半以降、青色単体色としては作品上で使われなくなってからも、一方で紫色を出すための絵の具としては、青花紙は江戸時代の終わり頃まで使われ続けます。それでこの理由、つまりなぜ青花紙は青色単体色としては使われなくなった後も、紫色においては使われ続けたのか。
近年みられるその一説としては、当時の人々の色への美意識、つまり浮世絵の紫を表現するには青花紙の青が必要である、という意識が当時の人々にあったのではないか、というような説明などが見られるんですけど、江戸時代含め現代まで浮世絵の絵の具の変遷というのは、基本的にその時代ごとにおける絵の具の価格とか、木版技法上の扱いやすさに強く関連していると思われので、もっと根本的な理由があるようには思われます。
これらは現段階でいくつか仮説を持っているので、今後確認して行けたらなと思っています。
明治時代になると紫色は化学染料が使われ出して、青花紙はそれ以降の浮世絵において使われなくなります。
復刻版の浮世絵の製作は1890年頃から本格的にその歴史が始まると見られます。復刻版というのは、歴史上、色んな制作方針があるんですけど、基本的には後世に新たに版木を彫り起こして、それを使って新たに摺った模造版画です。
只、青花紙然り他の絵の具然り、江戸時代のオリジナルの絵の具にこだわり、それを使おうという姿勢や考えというのは、復刻版の歴史において基本的には無いと見られ、伝統木版の世界で青花紙というのはかなり以前に途絶えたものと思われます。
あったとしても例外的で、知る限りでは20世紀始めに活躍された高見澤遠治さんという人、この人は元々は傷んだ浮世絵の修復などをされていて、そこから復刻をやり出した人なんですけど、この人の作品には青花紙が使われているものがあると言われています。或いは2015年に亡くなった立原位貫さんという人、この人は独学で復刻をされていた木版画家の方です、この人の復刻版においても青花紙が使われています。
だから復刻版の歴史において、青花紙の使用に拘った人達っていうのは、復刻版の主たる制作従事者である版元や彫師や摺師といった人達とは違うと思います。
基本的に現代の復刻版では青花紙は他の多くの絵の具同様、化学性の絵の具の使用に代わっています。公式見解上は江戸時代の摺り上がりの色彩の再現というようなことを謳っていても、青花紙が退色したような色で摺られている復刻版のケースは一般的にみられ、そもそも本来の青花紙の色を再現しようという意識自体が、復刻版の世界では無いようなところがあります。
歴史上形成されてきた復刻版の概念だとか制作方針、或いは版元・彫師・摺師の職業的な本質の観点からは、青花紙含めオリジナルの絵の具の使用とか復元は、基本的には重視にすることではなかったのだろうと思われます。
現代の復刻版の製作において、原画より美しいものを目指し改良や変更を加えるというのは一般的な傾向です。そういう認識や概念ではなくて、もっと復元ということに焦点を当て、復元的に取り組むことで、復刻というのは現代において江戸時代の浮世絵の当初の姿を再現出来る有効な手段となる、そしてそういうことに取り組むことは同時に、江戸時代の浮世絵に使用された紙や絵の具の調査が当然必要になりますから、それらに関連する様々な謎を解明することにもつながるだろうと思っています。青花紙であれば、浮世絵にはいつ頃から導入されたのかとか、使用普及の背景、名称や品質の種類、変退色の条件等々にまつわることでしょうか。
復刻版の製作者間でも、また世間的にも、復刻版における青花紙の色は全然別の現代の化学性の絵の具を使って、しかも退色したような黄褐色や灰色で摺られていても、全く問題にされてないような感があります。
一般的には、浮世絵の復刻において青花紙の色の再現や使用は必要とされていない感じなのですが、自分の思いとしては、仮に化学性の絵の具で全く同じ色が出せたとしても、青花紙の使用にはこだわりたいです。
それは江戸時代と同じ絵の具を求めて、作品に使って行くということは、復元する上で重要なことだと思っていますし、あと何十年かに一人位は、江戸時代の浮世絵はどういう絵の具や紙といった材料、また道具や技法で成り立っていたのかという、その事実の部分を知りたい、そしてそれを実際に見たり触ったり出来る、作品として形にしたいと思うような人が現れると思うので、そういう人が現れた時にその人の手引になるように、江戸時代の浮世絵における青花紙、他の絵の具にしてもそうですけど、そういった絵の具に関する知識、製法や扱い方など、そういったことを後世に資料として残したいという思いがあります。自分の仕事の本質的な意味は、そこにしかないかなという感があります。」
前回分記事「浮世絵の絵の具ー青花紙②ー製法について」→https://note.com/ukiyoe_shimoi/n/neeba94bd1618