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挫けた心で

今年の4月に、人生初のカウンセリングを受けた。

このように書くと「精神科に通っているのか?」と思われそうだが、私が受けたカウンセリングは医療機関で行われるものより気楽な、薬の処方を伴わないものだ。
臨床心理士と公認心理師の資格を持っていて実務経験もあるカウンセラーが個人でオンラインカウンセリングをやっていると知り、インスタグラム経由で予約を取った。


カウンセリングを受けたいと思ったのは、亡くなった父との関係がずっと私の中でわだかまっているからだ。

従業員10人規模の会社を経営していた父は、アルコールやギャンブルなどへの依存は特になく、暴力を振るうこともなかった。私が私立大学に通うための学費や塾代も渋らず出してくれた。
つまり、傍目には、それほど問題のある人間ではなかった。

しかし、父が私に向ける眼差しは、私を一個人として尊重・肯定するようなものではなく、一方的に減点方式でジャッジするようなものだった。
「○○ができないお前は無価値だ」と言われるような分かりやすい出来事があったわけではないが、ちょっとした発言や仕草の奥に上から値踏みするような態度があることを、子供なりに感じ取っていた。
成長するにつれて、違和感は確信に変わっていった。

例えば、父は私の服装を事あるごとにジャッジした。
私が黒やグレーやカーキの服を着ていると「色が悪いよ。もっと明るい色を着ろ」と言う。花柄の服を着ていると「おお、いいじゃねえか。そういう女っぽい服着ないと駄目だよ」と言う。
人間、控えめな色を着たい時もあれば、華やかに装いたい時もある。着ていく場所に応じてテイストを切り替えたりもする。どの服を着ている私も、自分なりに考えてその服を選んでいる。
しかし、父にとってそんなことはどうでもいい。大事なのは自分の基準に合うかどうかで、合わなければ基準に適合するよう矯正すべきだと思っている。
父にしてみれば、ファッションセンスのない娘にましな格好をするよう教えてやった、あいつは物分かりが悪いから、ぐらいの感覚だったのだろう。

服装の件に限らず、こういう言動は無数にあった。
「そんなの無視していい、自分らしく生きるのが大事だよ!」とメッセージを送ってくれる人や作品は沢山あるし、私も原則そうした。それでも、ちょっと興味を持った派手髪やゴシック系のファッションなどは、父の反応を考えると手を出せなかった。実家を出てからも、帰省する時は、父に文句を言われないような服装にしておこう……と自発的に忖度する癖が身に付いてしまった。
何より、父から何か言われる度に悔しい気持ちになり、それを頑張って撥ねのけることに、かなりの精神を消耗してきた。

服装や様々な選択について特に口出しされない親のもとで、何を着ても何を選んでも肯定・尊重される環境で育って来た人は、私のように精神を消耗させられることもなく、自分が自分であることをすんなり誇れるように育つのだ。
そういう人たちが払わなくていいコストを払わされてきたことを思うと、何とも言えないやるせなさに襲われる。

しかし、暴力や叱責、無視、学費の不払いといった分かりやすい虐待が起きていない以上、誰に相談することもできない。
父に対して素直に感謝の気持ちを持てない自分が間違っているのではないかと、自分を責める思考に陥ったりもした。

父に嫌われないよう、父の機嫌を損ねないよう行動することが染みついた結果、やりたいことと父の期待を擦り合わせて妥協点を見つけるような選択をするのが癖になり、自分の人生を主体的に生きているという実感が持てなくなってしまった。

父の死後しばらくして、異様に心が軽くなり、父からの抑圧が思った以上に大きかったことを否応なく認識させられた。
カウンセリングを受け、心の専門家と一緒に過去を整理できれば、父に削られた自信を取り戻し、堂々と自分の人生を生きられるようになる気がした。

カウンセリングの予約が確定した後、カウンセラーからメールが届いた。
そこには、当日の流れの説明とともに、話したい内容を整理しておいてほしいと書かれていた。

覚悟していたことではあったが、父の私との向き合い方を思い出して文字に起こす作業は苦痛だった。
父の言動を紙に書き出しながら、当時の私が感じた無力感、劣等感、「私が好きに生きたらみんな私から離れていくんだろうな」「必要とされたければ父や世間の規範から逸れないようにしないとな」という鬱々とした思いが蘇り、それ以上続ける気力がなくなった。
気分転換しようと、数駅先のカフェに向かった。
外は小雨が降っていて、4月にしては肌寒かった。

カフェのカウンターでホットコーヒーとプリンを注文し、虚無感を引きずりながら席に座って待った。
しばらくして運ばれてきたのは、アイスコーヒーとプリンだった。

あれ、ホット頼んだのに……と思ったが、もしかして私が間違えてアイスコーヒーと言ってしまったのか、という気持ちが湧いてきた。こんな精神状態だし、頭で考えたことを正確に言葉にできなかったのかもしれない。
念のため「私ホットコーヒー頼んだんですけど」と聞いてみようかと思ったが、私が注文を間違えていただけだったら、店員さんにとって私は単なるクレーマーだ。
無論、あなたを責めているのではなく、あくまで確認ですよと伝わるような穏やかな口調で言えば、それほど嫌な印象を与えることにはならない。しかし、その時の私には、穏やかさを演出するための声のトーンや表情の微調整をやり切るエネルギーが残っていなかった。

もういいや。

私は澱んだ気持ちでグラスを掴み、ストローから酸味の強いアイスコーヒーを啜った。
こんな精神状態だからこそ、身体を冷やしたくなかったのに。

プリンを半分ほど食べた頃、不意に店員さんがやって来た。
「すみません、ご注文いただいてたの、ホットコーヒーでしたよね」
店員さんはそう言って、ホットコーヒーの入ったカップをテーブルに置き、中身の減ったアイスコーヒーのグラスを下げてくれた。私は、あ、はい、すみません、と弱々しく言い、無駄のない動きでカウンターに戻ってゆく店員さんの背中をぼんやりと眺めた。
どっと罪悪感が襲ってきた。アイスコーヒーのグラスが運ばれてきた時点で「ホットコーヒー頼んだんですけど」と確認しておけば、アイスコーヒー一杯分が無駄になることもなかったのに。
ごめんなさい。私が、こんな状態で来てしまったばっかりに。

振り返ってみると、この日の私は、父に個として尊重されず自信を挫かれた経験が自分にもたらした変化を追体験していたように思う。
自分に落ち度はないのに、「私が間違っていたのではないか」と過剰に恐れる。
違和感を覚えても、波風を立ててはいけないと、自分を抑え込む。
納得のいかない状況が発生しても、その原因を作った相手ではなく、自分を責める。「こんな精神状態にもかかわらず店に来て、違うものが運ばれてきたタイミングでこれじゃないと言えなかった自分にも問題があったんだ」といったように。

周囲の人間、特に我の強い人間にしてみれば、声を上げずに黙って従ってくれる存在は、扱いやすくて好都合だろう。
自分が相手を抑え込んでいるという罪悪感を持つことなく、自分だけが得をするよう状況を操作できるのだから。

カウンセリングでは、その道でキャリアを積んだカウンセラーが、私が父から受けた抑圧について真剣に耳を傾けてくれた。
この体験を経て、私のしんどさは軽減された。

私が抱えていたしんどさの半分は、「こんな話をしたところで『もっと辛い目に遭ってきた人なんていくらでもいる』『私大に通わせてもらったあなたは恵まれているのだから贅沢を言うんじゃない』と言われるに決まっている」「どうせ誰も分かってくれない」という孤独感だったのだと思う。
カウンセラーが私の発言を遮ったり否定したりせず「そうだったんですね」と頷きながら受け止め、「そういうお気持ちを抱えていらっしゃる方は本当に多いです。親と縁を切りたいとおっしゃる方も沢山いますよ」と言葉をかけてくれたことで、かなり心が軽くなった。

この後、アダルトチルドレンに関する情報をネットで集めるようになり、私が受けていたのは「情緒的ネグレクト」に該当するのかもしれないと感じた。
情緒的ネグレクトは、暴力や暴言と違って傍目からは見えづらく、よっぽどのことがない限り犯罪として扱われることもないないため、ネグレクトされた子供は「ちゃんと育ててもらったのに親に感謝できない自分に問題があるのでは」と感じ、苦しみを一人で抱えがちになるという。

(参照先:「情緒的ネグレクトを受けていた人とその影響」
『イキヤスノート』https://www.instagram.com/kiitanuma/

今の私だったら、カフェやレストランで私が頼んでいないものが運ばれてきても、「違うんですけど」と冷静に言えるだろう。
染みついた思考パターンや行動はすぐには変わらないかもしれないが、少しずつでも、必要以上に自分を抑え込んだり自罰的になってしまったりする癖をなくしていきたい。
この癖を意識して直すことを地道に繰り返したら、人生の中で譲れないことは譲らず、違和感をスルーせず、理不尽なことがあればきちんと正面から立ち向かう自分に羽化できる日が来るだろうか。どうか、そうであってほしい。


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