見出し画像

ミャンマーでケマウジーという男に出会った。

ミャンマーのバガン。

ここは、広大な平原に大小3000もの仏塔が建ち並ぶ、仏教遺跡の街。

当時、大学生だった僕は、ゲストハウスで借りた頼りないチャリンコで、バガンの遺跡巡りをしていた。

*****

道は、舗装されておらず、砂の道だった。

日差しは強く、暑かった。

エンジン音を轟かせた自動車が通り過ぎると、砂が舞い上がり、暑くてほこりっぽい風が、僕の髪の毛をバリバリにした。

草木は生えているが点在していて、道に日陰をつくることなく、大地の熱気が、僕の全身を汗まみれにした。

でもなぜか、不思議と気持ちがいい。

とにかく広い。

道がどこまでも続いていた。

見渡す限りの仏塔。彼方には巨大な仏塔も見える。見えるもの全部が遺跡だった。

とんがりコーンを逆さにしたような小さな仏塔もあれば、ピラミッド型の巨大な寺院もあった。

僕は、朝から夢中で仏塔巡りをしていた。

*****

道の途中に移動販売の小さな露店があった。

冷たい飲み物が売っていた。

ちょうど、おやつの時間だったので、チャリを降りて、休憩することにした。

僕は、謎の黄色いドリンク缶を買った。

露店の前に、プラスチック製の小さなイスがあり、僕は1人、リュックを地面に置いて、腰掛けた。

*****

程なくして、チャリに乗った男が店に来た。

度付きサングラスのようなメガネをかけ、白髪交じりの髪は薄く、顔も腕も日焼けで真っ黒だ。

汚れたグレーのシャツに、ロンジーというミャンマーの巻きスカート。

素足にボロボロのサンダル。

見るからに、全身が汗とほこりでベタベタだ。

男は、店で飲み物を買い、僕の近くに座った。

*****

男は僕の方をチラリと見ると、右手の人差し指で、謎の黄色いドリンク缶を指さして、

「それ、うまいか?」

というような表情をした。

僕は、ミャンマー語で

「カウンデー(good!)」

といい、右手の親指を突き上げた。

男はニカッと笑った。

前歯が数本抜けていた。男のしわだらけの顔が、余計にくしゃくしゃになった。

*****

(この男、何者だろう・・)と思った。

観光客相手に商売している感じはない。地元民にしてもなぜこんなところにいるのか合点がいかない。

男は、平泳ぎのように両手を動かし、ミャンマー語で何かを言った。

僕は、たぶん、「バガンはどうだ?」と聞いていると思った。

だから、僕は、右手の親指を突き上げ、

「カウンデー(good!)」

と言った。

すると、男はまたニカッと笑った。

*****

男に英語は通じないし、僕はミャンマー語が話せない。

仕方がないので、スケッチブックを取り出して、今日の午前中に描いた絵を見せた。

ひときわ心に響いた仏塔があった。巨大で厳かで堂々たる雰囲気。下から見上げたその姿があまりにもかっこよかったので、下手くそではあるが、一生懸命に描いたスケッチだった。

僕は、その絵を指さしながら、男に見せて、

「カウンデー」

と言い、親指を突き上げた。

*****

すると、男は笑いもせずに、ミャンマー語で何かを言った。

何を言っているか、全くわからない。

なので、僕は、「Sorry?」と聞き返し、困惑した表情をした。

それでも男は、ミャンマー語で、身振り手振りを交えて、必死に何かを伝えようとした。

何を言っているか、どうしても、わからない。

あきらめない男は、右手の人差し指を空に向けて突き上げたり、僕の絵を指さしたり、ペンで何かを書くような仕草をしたりした。

だから、僕は、男にペンを渡してみたが、どうやらそれも違うらしい。

うーむ、困った。

男は、なおも何かを伝えようとしている。

*****

男の名は「ケマウジー」と言った。

これが、僕とケマウジーの出会いだった。

このとき、僕は、まだ、ケマウジーが本当に伝えたかったことは、わかっていなかった。

*****

結局、僕は、ケマウジーについていくことにした。

砂ぼこりの道をチャリンコでゆっくりと進むケマウジーを、僕は後ろから追いかけた。

いったいどこへ行くのだろう。

少し不安もあったが、いざとなれば、チャリで逃げ切れる自信はあった。

*****

しばらくすると、前方に巨大な仏塔が見えた。

なるほど。

僕は、ケマウジーがどこへ向かっているのかがわかった。

僕がスケッチブックに描いた仏塔・・・。

そこを目指しているのだった。

でも、なぜ?

*****

仏塔の正面入口につくと、ケマウジーはチャリに跨がったまま、僕の方を見て、ニカッと笑った。

僕は、「Yes, yes, my picture, here.」と言って、親指を立てた。

ケマウジーは、チャリを乱雑において、仏塔の中に入ろうと僕を促した。

*****

バガンの仏塔の中は見学できるようになっていた。

その日は、いくつかの仏塔の中に入ったが、どれも様々に違っていた。

美しい仏像や歴史を感じる壁画が残る仏塔もあったが、廃墟同然でコウモリの巣窟となっている仏塔もあった。

ケマウジーは仏塔の中をどんどん奥へ進んでいった。

僕は、(ここは、さっきも来たんだけどな・・・)と思いつつも、ケマウジーと2人だけで、仏塔の中にいるという状況が少し楽しくもあった。

ケマウジーについていくと、暗がりの中に、階段があった。

「えっ、登れるの?」

思わず、日本語が出た。

ケマウジーは、僕の日本語をまるで理解したかのように、振り向いて大きくうなずいた。

*****

僕は、ケマウジーと2人で、仏塔の中の薄暗い階段を登った。

勝手に登っていいのだろうか。

だいぶ登った。もう7~8階くらいは登った感覚だった。

しばらく登ると、鉄格子の扉があって、さすがにこれ以上は、先へ進めなくなった。

「Oh, no~!」と僕が言うと、

ケマウジーは、自らのシャツの首元に手を突っ込んで、首からぶら下げていた鍵を取り出した。

まさかと思った。

ケマウジーがその鍵を鍵穴に通すと、鉄格子の扉が開いた。

ケマウジー、あなたはもしかして・・

この仏塔の・・・

「管理人?!」

ケマウジーは、ニカッと笑った。

*****

階段を登りきって外に出ると、仏搭の上に出た。

「すげー」と叫ばずにはいられなかった。

絶景。

眼下には、バガン遺跡の広大な大地が広がっていた。

地平線の彼方まで、どこまでもどこまでも仏塔が続いている。

さっきまでケマウジーとチャリを漕いできた道が、あんなに小さく見える。

ちょうど、太陽が西に傾きかけていた。

砂の大地があかね色に染まり始めた。

見渡す限りの仏塔が黄金に輝き出した。

ケマウジーは得意げだった。

*****

どこにあったのか知らないが、ケマウジーが何枚かの紙を持ってきた。

そこには、絵が描いてあった。

ケマウジーのスケッチ集だった。

そして、ケマウジーは、ジェスチャーで、

「ここで絵を描こう。紙をくれないか。」

と言った。

僕は、スケッチブックから紙を切り取り、持っていた鉛筆とともに、ケマウジーに渡した。

*****

柵もない。落ちたらやばい。仏塔の屋根のヘリのわずかなスペース。

そこに2人で腰掛けて、僕らはスケッチに熱中した。

仏搭の上から見下ろしたバガンの風景。

描き終わると、お互いに絵を見せ合った。

どちらも、下手くそだった。

2人で声を出して笑った。

それでも「カウンデー」と言い合い、絵を褒め合い、称えあった。

*****

燃える夕日がとてつもなく美しかった。

しばらく、眺めた。

「暗くなる前に帰ろう。」とケマウジーは僕を促した。

「そうだね、帰ろう。」

ケマウジーが鉛筆を返してきたので、

「どうぞ、プレゼントです。」と僕が言うと、

「チェズーティンバーデー(ありがとう)。」

とケマウジーは言い、微笑んだ。

*****

階段を下り、仏塔の正面口に戻ると、ケマウジーは僕に「ちょっと待ってろ。」という仕草をした。

すぐに、ケマウジーは何かを買って戻ってきた。

ケマウジーから渡されたのは、あの謎の黄色いドリンク缶だった。

それは、出会ったときに、僕が、「おいしい!」といったドリンク缶だった。

*****

言葉が話せないのがもどかしかった。

今の僕の気持ちを全力で伝えたかった。

でも、結局、その気持ちは言葉にならないものだった。

それでも、不思議と、自然に、言葉がこぼれた。

「チェズーティンバーデー(ありがとう)」

ケマウジーはニカッと笑った。

*****

ケマウジー、どうしてそんなにやさしくできる?

こんなにやさしくされたのに、自分という人間は、何もできやしない。

紙と鉛筆しか持っていない。

*****

旅をしていると、多くの人のやさしさに触れる。

一方で、それがあたりまえと感じて、人にやさしくされないからと、不満だらけの旅人もいた。

僕は、そういう人間にはなりたくないと思った。

この先、社会に出ても、人のやさしさを感じることができ、ケマウジーのように、人にやさしくできる人間になりたいと思った。

そして、誰かの役に立てるよう、自分にできることを増やしていきたい。

そのためにがんばろうと思った。

*****

「チェズーティンバーデー」

ケマウジーと別れたあと、夕日が沈んだミャンマーの大地で、暗闇に飲み込まれてたまるもんかと、僕は、全力でペダルを漕いだ。




お気持ちは誰かのサポートに使います。