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現代社会に蔓延る耐えろという魔法について。

「耐えろ、ここは耐えろ」
突然の辞令、納得のいかない異動。
そんなとき、かつての教育トレーナーが僕にかけた魔法だ。

期待でもなければ、優しさでもない。
ただ、息をさせるために、この魔法は存在する。
逃げること、戦うこと、そんな自発的な行動はやめにして、ひたすらに耐えぬく。
何もしなくても、太陽は毎日沈み、顔を出す。
それと同時に、月日も経って、いつのまにか歳を重ねる。

一体、どれだけの日本人が、この耐えろという魔法によって救われてきただろうか。
今日が終われば、明日が終われば、今週が終われば、今月が終われば、今年が終われば、今この瞬間が終われば、耐えろという魔法が少しずつ効果を発揮する。

辛さも痛みも、少しずつ鈍くなる。
きっとこれは病気なのかもしれない、なんて、思って、調べたうつ病の症状も、昼休みに食い入るようにみた転職サイトも、耐えろという、魔法が少しずつ癒やしてくれる。

色んなことが、どうでもよくなっていく。
休日に、部屋に掃除機を当てることが、この世でもっとも難しいことに思える。
洗濯物は夜にしか干せなくなった。
2年前にもらった新米は、もう新米じゃなくなったけど、炊飯器に入る日々を夢見て、耐えている。


「僕、来月で辞めるんです」

同期の彼が、帰り道のバスの中で笑いながら言った。

「あいつは、ダメなんだ」

同期の上司が、帰り道のバスの中で笑いながら言った。

彼には「もう楽になれ」とそんな、思いついたように出た言葉をかけることしかできなかった。昼飯も食わずに必死に耐えぬく同期の姿を後ろや、前で見ていたから、それしか言えなかった。

結局、彼は、1ヶ月では、辞めさせてもらえず、繁忙期を終えるまで、半年間、働き抜いた。
そんなとき、上司が放った言葉は
「辞めるから、どうでもいいんだろ」だった。

優しくない、世の中だ。
彼は、耐えろという、魔法が解けて、退職した翌日に飲んだときには、耳にはピアス、指にはリングが、2つも3つもはめていた。それは、仕事の内容的に僕らの就業規則に禁止されていたことの1つだった。
自由への片道切符は霞んだ未来と、今しかないこの瞬間を得ることができる。
嬉しそうに、ビールを飲みながら、千鳥脚になっている彼との関係は、これから先もずっと続く。そんな夜だった。

よくよく考えたら、社会に出て5年間。
パワハラ上司と対決してきた。
当社のトップ3と言われたパワハラ管理職のありがたい言葉を耐えぬくうちに、いつのまにか、気に入られるようになった。
前任者が、パワハラで、退職して、その後任に、異動させられたときもあった。
納得もいかず、転職を考えながらも、ズタボロの現状を改善し、後任が、少しでも、働きやすくなるような環境作りを目指した。
結局、繁忙期を前に自分は、その場所を後にした。
耐えろという魔法が、初級魔法から、中級魔法、そして、上級魔法へと、変化していく過程で、突然、売り上げトップ3へのエリアへと、異動となった。

「耐えろ、ここは耐えろ」
あの人の言葉には続きがある。

「ここを耐えれば、次はもっといいところに行けるから」

あの人がかけた魔法は、思った以上に効き目があったのかもしれない。

僕の後任は、耐えることができなかった、歳上の先輩がやってきた。

「気をつけてね、大変だから」

見ず知らずの後輩に、そんな言葉をかけてくれた、その人が、耐えられなかった上司の下で、自分は今、働いている。

またか、そんなふうに、思いながら、誰かに教わったわけでもないのに、いつのまにか、あの魔法を習得していた。

耐えろ。

耐えろ。

耐えろ。

少し前まで、かけてもらうことしかできなかった。
我が国、日本に存在する上級バフ魔法の耐えろ。が技一覧の中に存在していた。

これで、戦える。
これからも、この魔法だけで、自分は強くなれる。
どれだけ、強い、攻撃も、自分自身を最大強化する、この最強の魔法で。

狂ったように、使い続けて、いつのまにか、自分のMPが底をついたとき、職場の近くの喫茶店で飲む、250円のアイスコーヒー。
何本吸っても、味の変わらない、加熱式タバコはコーヒーとの相性が最悪だった。

ふと、気づく。

きっと、この魔法は、呪いではないかということに。
自分自身にかけた、呪いは、他者へと伝染する。そうすることでしか、この呪いからの逃げ道はないから。
きっと、5年後、10年後、このまま、ここで働き続ければ、この魔法を誰かにかける、そんな未来が見えてきた。

たえろ  たえろ
たえろ  にげる

自分の選択はいつもこの魔法だ。

「耐えろ」

そんな、大人に近づくのは、嫌だと、心のどこかで思っている。

もし、まだ、自分の行動選択の欄に逃げるが残っているなら、カーソルを合わせてもいいのかもしれない。

この魔法が、呪いに変わる前に。









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