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私が自然育児にハマった日3    夫、鬱病になる。前編

あのXでちょいバズしたためにたくさん見に来てくれてありがとうございます だのにまだ少ししか記事書いてなくてスミマセン…
今回は元夫が鬱病になり私が自然育児にハマってゆくころの心理状態を書いてます 内容的にいっぱいいっぱいだからイラスト差し挟む余裕がほぼなかった~

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自然育児にハマった日々のことを思い返すと、元夫が鬱病になった日々のことを思い出します。私が自然育児とスピリチュアルにハマっていったのは、元夫が鬱病になり悩み苦しみながら子育てをする私を、自然育児そしてスピリチュアル好きの友人達が助けてくれた日々があったからなのです。

ここで、元夫と私のラブストーリーを書いておきます。関係ないだろオイ!いえ関係あると思うんですよ。元夫は私が、実母以上に絶対的に信頼し依存した初めての人で、そして、元夫が鬱病になった時、私は絶対的に信頼していた存在を失ったからです。

てなわけで過去惚気(意味不明。イミフ。)スタートぉ~トゥクトゥ~ン♪

元夫Mは善意100%にひょうきんさを30%足したような人で、大学の時の彼氏でした。福祉を志す若い2人はめっちゃ仲良くてエンジョイ恋愛付きキャンパスライフ。バイクの二人乗りで空港に飛行機見に行ったり、キャンパスの中庭で膝枕したり。夜桜が美しいことも、ジョナサンのごぼうサラダが美味しいことも、みんな彼から教わった…!

私は中学時代にいじめられたことを延々とMに話して癒されたり、Mは集団不安や閉所不安などがあって、不安症状が出た時に私は手を握ってにっこり。私達は仲良く助け合っていたと思います。
ところが、彼の集団不安と閉所不安は悪化してゆき、大学の授業に出られなくなった彼は、3年の時に退学して実家に帰ってしまいます。

この頃私は初海外とか行って世界に向けて興味津々冒険心満載!善意たっぷりだけれど冒険心のないMとは別れてしまいます。

Mは実家のつてでB県にて就職。私は東京にてますます冒険心。という状態で数年に一度くらい会っていたかな。Mの話によると休みの時はほぼ私に会いに来ていた、ということで休みは1年に1回くいしかなかったらしい。私は卒業後、精神障害福祉組織への就職期間をへて2年間ほど海外への1人旅に旅立ちます。

「ヒッピーと平和運動と反原発と自然派とスピリチュアル」で述べましたが、1人旅~帰国後、私はヒッピーカルチャーの人たちと親交を深めてゆき、バンドなどに参加しはじめ、声と呼吸のワークショップを展開します。アースデイに平和のつどい、満月祭にインドフェスティバル。自然派やスピリチュアルが周りに表れ、麻好き、マリファナ好きに囲まれます。私は彼らが好きでしたがマリファナは好きではなくて、渡されると吸ったふりをしていました。

すっかり環境が変わるMと私。ですがMは相変わらず数年に1度会いに来て、まれに私のライブにも来て、私は家族的な安心感でMと細くて長い交流を続けます。

そして30歳を過ぎ、911が過ぎ、私の平和的ライブ活動?も全盛期の頃。私はミュージシャン系恋愛問題のもつれで悩んでぐったりしていてMにメールを送りました。
『なんか元気出る言葉送って~』
『今から行くね』
高速に乗って3時間びゅーん。Mは私に焼肉とビールを奢ってなにも聞かずにまた高速に乗って帰りました。

やっぱりあの焼肉だな~。焼肉でこの人にしようって思ったんだよな~。
その半年後。出会いから15年をへて、私はMの地元B県に嫁ぎました。

さてさて話がやっと自然育児にハマった話①②に追い付いてきましたよ。必要だったのかこの過去惚気は?まあ、いいじゃないか。新婚時代に移りましょう。

結婚しても東京とB県を行き来して、音楽活動とワークショップをしていた私。最初はB県に知り合いがいませんでした。が、徐々にミュージシャン関係の友達の友達などと繋がりを広げ、声と呼吸のワークショップをB県でも展開します。
つまり、私がB県で新しく得た人間関係は、やはり、ヒッピーミュージシャン関係由来、そして声と呼吸のワークショップを好む、ホリスティック医学好みの人達だったのです。

ちなみに旅の途上で覚えたヨガの呼吸や異国のボイスの使い方などに精神保健福祉の知識を交えて行っていた声と呼吸のワークショップは、福祉施設や精神病院などでも仕事として行い、おおむね好評なものでした。しかしこれは、後に私がスピリチュアル好きの人達を相手に仕事をしてゆく礎となりました。

真面目に仕事で大忙しなM。好きなことをしている私。凸凹ながらも仲が良く、Mも私もいつもにこにこしていて、どうでもいい冗談を言い合って、いる時はいつでも私を助けてくれて、訪れた友人たちに理想の夫婦と言われたりしていました。

そして、妊娠、助産院での第一子誕生。
ここから私は東京に行くのをやめ、B県だけの人間関係の中で暮らしてゆくことになります。

相変わらず忙しいM。仲良しだけど子育てはほぼ独りぼっちの私。淋しいな!というわけで私は『自然育児にハマった日①②』にある通り、自然育児が好きな人たちと交流を深めます。みんな親切でひじきごはん持ってきてくれたり焼き芋作って持ってきてくれたり、ってあれ、私は食べ物もらうのに弱いのか?私は赤ちゃんとママのためのボイスヒーリングライブなどをしたりして、交流を広げ、B県に居場所を作ってゆきます。

その頃Mは本当に忙しくて、土日などにたまに休みがあっても仕事のことを考えていて気が休まらないようでした。
「こういう生活している人って鬱病になりやすいんだけれど、Mはならないんだな。よかったな。」
と、私は呑気に思っていました。本当に呑気だった。もっとよく見ているべきだった。危ないって気づかなきゃいけなかった。
私は初めての子育てに夢中で、布おむつ育児や母乳育児に夢中で、ひとりでの子育てに精一杯で、Mの様子を見足りなかったのだと思います。

異変が起きたのは子が2歳の時。Mが職場から電話してきました。
「床に倒れて、身体が動かない。自分で起き上がることも出来なくて、なんとか電話してる。助けて。迎えに来て。」
と、号泣しながら。

それまでも、Mは時々、自分は精神科を受診すべきだと考えていたのだけれど、仕事の休みがなくて、予約が取れなかったのだそうです。
胸がぎゅうっと締め付けられて苦しい。
突然涙が出て止まらない。
そんな症状に危機感を覚え、たまに仕事の隙間に、今なら行ける、と精神科に電話すると、予約して来てくれと言われる。
予約なんて出来るわけない。休みなんて取れなかったんだ!後にMはそう、泣き叫び、怒っていました。

Mはそうなるまで、私には一切心配をかけまいと、その話をまったくしなかった。私の前ではその姿を見せなかったのです。

そして、そこを境に、Mの精神状態は一気に壊れてゆきました。

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今日はここまで・・・次回は一気に幸せが崩れ行くところです・・・
すみません設定を一部変えています。そのまんま書くと知り合いが見れば私が誰か確実すぎるから。まあこれでもわかるだろうけれどね。

あと、当時関係した自然派、ホメオパシーやスピリチュアルなどの内容は、後に述べようと思います。
まずは、夫鬱病になる、中、後編へと続きます。

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