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静岡に琉球王国の摂政の墓がある

ウィキペディアンVTuberの宇喜多・W・要出です。タイトルのこと、皆さんご存じでしたか?わたしは

川田

なかなか知られざる歴史のようです。ウィキペディアにお墓の画像がないくらいです。もう、思わず撮りに行きました。具体的には、静岡市清水区の清見寺に、大具志頭王子朝盛のお墓があります。


歴史の話

具志頭朝盛(ぐしちゃん ちょうせい)は琉球王国の摂政で、尚寧王の弟です。尚寧は琉球王国の王様で、花の慶次の漫画版にも出てきますね。彼の在位中、琉球王国は薩摩藩の侵攻を受け敗北しました。尚寧は敗戦国の王として薩摩へ連れていかれ(1609)、さらにそのまま駿府および江戸へ(1610)、大御所および将軍にごあいさつしに行く羽目になります。

摂政で弟の具志頭王子も同道したのですが、駿府で家康に面会した後になんと病死してしまいます。家康はなじみの寺である清見寺に葬ることにしました。それで琉球王国の摂政の墓が静岡にあるのです。

琉球が見えるよう、なるべく高いところに……

実地

「琉球国(國)」で表記が統一されている
石段はお墓の前まで整備されている
鬱蒼!

つまり……山奥です。

清見寺は山を背に建つお寺さんです。その敷地の中でなるべく標高が高いところとなると、端っこの山の中になるしかないのです。画像がないわけがなんとなくわかりました。単に大変なのです。ただ、石段はお墓の前まで整備されていました。

その日たまたま晴れていたことも手伝って、汗をかきながら登る羽目になりました。10月なのに。

ついた!
英語とハングルが書かれているのも興味深い

そのあと琉球王国は、将軍の代替わりや国王の代替わりの度に慶賀使と謝恩使を将軍の元へつかわす羽目になるのは教科書の通りです。そして江戸のぼりの度に、一団はこの墓をお参りしたとのことです。みんなこの坂を登ったのでしょう。

上に載せた墓石の背後に、同じデザインかつより古い墓石があった。本来の墓石はこっち……なの?

清見寺では現代でも具志頭王子の法要をしています。

名にし負う清見潟のすぐ近くなので風景は良い。ただし、三保の松原があるので外洋は望めない。
ちなみに高いヤグラのある船はちきゅう

合掌。

ウィキペディアの話(少し)

このままではウィキペディアンらしい話を何にもしていないので、ちょっとだけしておきます。清見寺は、他にも見どころがたくさんあります。先に挙げたグーグルマップを見ればわかる通り、お寺と山門との間に東海道本線が走っているのです。

これを画像で説明するとき、どんな構図がいいでしょうか。どんな構図が百科事典に向いているでしょうか。

鉄道写真として多いのはこの構図。山門が写っていない。


観光サイトやSNSではこの構図も見られる。
「寺の境内を鉄道が貫いている」とは、一目ではわかりづらい。

実際に日本語版ウィキペディアで15年以上使われている画像はこの画像です。少し想像してから、リンクをクリックして見てみましょう。

おまけ

灯篭にシーサーが入っている


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