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ピピピッピとカラオケ行ってきた(※行っていません)カラオケパセリ新宿東西南北店

最後のデートになるかもしれないな。(※まず行っていません)

ナムナムは幸福を求める人間だし、快・不快がはっきりしている。思考や行動の起点もそこなんだろうなと思う。

わしゃ違う。わしゃ幸福を感じる人間や。言い換えると、幸福になり得る状況を求める人間だ。私は幸福になり得る状況であれば感謝するし幸福だ。でもナムナムは、どんな環境であろうと幸福であれば幸福であるし、幸福でなければ幸福ではないのだろう。

以上を象徴する楽曲を早速デンモクに入力してみよう。

「マツケンサンバ」は盛り上がる曲として知られているが、実際カラオケなどで入れるとこの曲、そうでもない。本曲は意外と前奏や間奏が長く、また曲自体も長くローテンポで、結構踊り狂い続けたり周囲を巻き込んだり小道具を出したり?などしないと、なんというか、”冗長”な感じになってしまう上級者向けの曲なのである。

それでも状況を求める私のような人間どもは、踊るだろう。一心不乱に乱れてみせるだろう。そして、踊るものを支援するだろう。共に踊るだろう。我々は兄弟だ。兄弟同士は互いの最適な状況を作るべきだ。曲が入った時点で、その状況というものは楽しいのである。実際楽しく、幸福だと思う。

しかしナムナムはどうだろうか?
ナムナムは幸福を求める。ナムナムは多分、本か何かを読んでいるんじゃないか?確かに寛容であるだろうが、それは楽しいの範疇にサンバを入れようとするのではなく、つまらないものに対しても寛容であるという話だ。楽しもうと思ったら、演奏停止を押してジンギスカンを入れ直す。これは楽しいからな。動機はこうだ。「みんなが楽しくないのであれば楽しくした方がふつう良くない?・・・状況空気読めてない?・・・あっそう。本当にそれでいいならいいんじゃない。水差して悪かったよ。」

私は踊るよ。踊るさ。そういう人間だ。

だから結婚しようと言ってるんじゃあないか。
交際には不信感があり、幸福を感じられない。
私はナムナムと舞いたいと思ったよ。サンバ。

最初からそう言ってくれればよかったじゃないか。
わからないなんてことはないだろ。いや、まあ、自分が気づくべきというか言語化と主張が必要だったよな。最初は婚外出産がベストではみたいな話になっていたし。いや普通にそんな必要もない。なんかもうどうにも、なっていないわけだしな。弁明をしたとて、それがすっきりとした文章であってすら、何も解決にならないというか、まず問題ですらないというか。

ナムナムは鼻筋が全然なくておもちゃみたいなかわいい鼻(雑な閑話休題)

なあもう話すこともないよな。そろそろ出るか。これ歌ってもう出よう。俺は失恋するとき大体これ歌うから。

状況を意識するからさ、あと電話が苦手なタイプだから、10分前コールをさせるのが店員と私のお互いのためにならないと思って15分前とか、なんなら30分前とかにさっさと出てしまうタイプなんだよな私は。

ナムナムはそんなことない気がする。状況を考えるから、そういう形質の違いというのも私は面白いと思うが、ナムナムはそれもまたないと思う。私が何分前に出ようと、はあ、そうですか。という感じだろう。

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