ワーママを辞めてはいけないの?
1.私の夢
私の小さいころからの夢は
素敵な人と結婚をし、子供を育て、専業主婦として家庭を築くことでした。
素敵な人がどこにいるかわからなかったので、
ひとまずは素敵な人がいそうな集団に自身が所属すべく、
私は努力をしました。
私は真面目に勉強をし、
進学校に進み、難関大学に合格しました。
そこでまた頑張って、世で一流といわれる大企業に就職しました。
私はそこでもまた頑張って、
意思を持って社内結婚をし、
意思を持って不妊治療をし、子供を産みました。
私は努力をしました。
20年越しの夢をかなえた私は仕事を退職しました。
ついに、やっと、夢がかなったのに、
私は大きなものを失ったかのような気持ちでいます。
なぜ私は自分に満足できていないのか?
そのことについてお話ししたいと思います。
2.私たち30代の生きる時代
私は会社員の父と専業主婦の母をもつ家庭で育ちました。
寿退社がまだまだ主流の時代。
子が幼稚園ころまでは専業主婦の母親を持つ家庭が多く、
母親は子供が学校にあがったら、その間に働く、そんな時代でした。
小さい私は、私をめいっぱい甘えさせてくれる
家にいる母のもとで育ったのです。
今の私がおかれた環境はというと、時代は共働き。
夫婦の一方の稼ぎだけでは、
足元の生活も将来の安心も
買えないかのような社会環境に変容していました。
私たち30代は小さなころから教育の中で
男女は平等、女も男も自己実現ができる。と教えられて育ちました。
実際は男女が平等ではなかった社会の中で、です。
実際に大人になったときには、教育で習った通りに、
女も男もみんな揃って社会活動に参画できるようになっていて、
女はさらに子供も産める。子供を育てながら、働くこともできる。
女も男も、頑張れば活躍できる。頑張ればチャンスがある。
この世界戦のパイオニアとなっているのが私たち30代。
ただ、1日24時間は変わらないし、
子供は勝手に大きくはならないけど、
でも男女は必ず平等だし、
活躍のフィールドはどこまでもどこまでも広げられる。
自分の子を自分で育てる時間はなく、
親に会えるのは年に1回で、
息抜きをするにも夫と調整が必要だけど、
活躍のフィールドだけはどこまでも広がって、
自助努力次第で、それをつかめる。
そこの世界戦を生きているのは私たちがはじめてだけど・・・、
そんな時代です。
3.ワーママになりそびれた私
子が生まれ、子育てを経験し、「あぁ楽しい、これだわ」と
自分自身の時間をベットしたいモノが定まりました。
一方で、仕事を続けようと考える自分がいました。
子供を育てるにはお金が必要です。
社会は不透明で、お金はあるに越したことがない、
守りたいものがあるのあればなおさら。
男女はどこまでも平等で、いつでも活躍のチャンスがあります。
結婚や出産で退職をするのは、必ずしも多数派ではなくなりました。
ただ、働くと疲れる。ストレスも生じる。
思い描いたように子供に接することができない。
育休から復職した私は
子供を育てていくために仕事で金銭を得るべきだ
vs
疲れすぎて自身の有限な時間を子育てに満足に費やすことができていない
で悩むことになります。
社会的な安心とやりたいことを天秤にかけ続ける日々を経て、
私は仕事を退職しました。
4.結局、なにが不満なの?
専業主婦になり、子育てにフルベットするわたしは何が不満なのか?
そうか、どうやら私は
苦しい思いをしないという決断をしたことに
しっくりいってないらしいのです。
動機は不順ながらも、猛烈に努力をして、
真面目に、真面目に、自分でここまで歩いてきました。
より過酷で刺激的で、ここまでの人生ならば、
必ず選んできたであろうワーキングマザーという選択肢。
この分岐点で、わたしはいつも選ぶ道とは反対の楽で心地のよい道を選んだのです。
心底愛せるパートナー探しというゴミくそのような不純な動機に対し、
末恐ろしいほど常に努力を続けてきた私ですから、
楽な・近道・・・この手の言葉への懐疑心は人一倍に高い。
やりたいことは子育てであるのにも関わらず、
努力をしてきたことを辞める、
過酷なレースから脱落することに心地が悪くなっているのです。
人生で培った真面目さが、
継続しないことの後ろ髪を掴んでいる状態です。
そしてもちろん、仕事を手放すことで失われた金銭的な優位性は、
心に大打撃を与えています。それを選んだ自分も許せない。
将来が不安で不安で仕方がない。退職なんてもったいないことをした。
もう少し頑張れたのでは?自分ならやり遂げられたのでは?
いつもの思考回路が自分の選択を阻みます。
何をやり遂げたいのかも分からないのにも関わらず、
きつくないの道を選ぶ自分が許せないのです。
1日24時間と時間も有限ですが、
それよりもなによりもワーママ時代に苦しかったのは、
仕事も子育ても頑張りたいと思う私の精神量が限界を超えていたことです。
精神的に自分の心地よい生活が送れなくなっているにも関わらず、
頑張ることを辞められない・辞めたくない状況になっていたのです。
5.思考の癖を理解する
つまるところ私は、
培ってきた人生の思考の癖が邪魔をして、
自分のやりたいことに素直になる決断を肯定できない状況にありました。
今回私は退職の決断をしたわけですが、
自分の選択に自信が持てないとき、
その心地の悪さ・胸のざわつきは
思考の癖からくるものなのではないかと疑ってみることをお勧めします。
ここまで頑張ってきた人であればあるほど、
過酷な道に希望を感じがちです。
そして継続を辞めることに対して拒否感もあり、
大変な道を選んだ成功体験の裏打ちもあるはずです。
ただ、30代や40代を迎えて、
これまで選んできた挑戦的でアグレッシブな思考が、
必ずしも自身の人生に必要であるのかどうか、
私のように立ち止まってみてもまた悪くはないと思います。