東大や難関校を受験する価値はどこにあるのか

先日、知り合いの男性からこのようなことを言われました。
その方はコーチングの先生をしている方です。

「自分は大学に行かなかったことがずっとコンプレックスだった。だけど、コーチングの仕事をするようになって、東大のような一流大学を卒業しているような人が何人も自分のコーチングを受けに来る。一流と言われる大学を卒業してもこんなに生きづらいなら自分の方が幸せだと長年のコンプレックスが消えた」と。

それを聞いて、私は思いました。大学に行った方が幸せなのかは、その人その人の価値観や感じ方によるので、どちらの方が良いとは一概には言えません。ただひとつ言えることは、東大や難関大に合格するために、彼らは自分自身とものすごく戦ってきた、ということです。そして、その戦いに勝ったから合格できたのです。

たまには遊びたい気持ち、友達からの誘い、周りからの目、もっと寝ていたい気持ち、自分には無理かもという恐怖、偏差値が下がってしまった絶望、そんな自分の感情を自分でなんとかコントロールして、自分を信じて孤独に戦ってきた結果なのです。
その戦い中で見た景色や得られたもの、戦いの後でしか得られない感情、自分に対する感動の涙などは、その戦いに参加すらしなかった人には到底理解できるものではないのです。
彼らが戦いの過程で得たあらゆるものは、戦いに参加しなかった人には絶対に手に入れることはできないものなのです。
東大を卒業しようと難関校を卒業しようと、医師になったとしても、人間なので生きづらいことにぶつかることはあります。いろいろ考えたり理由を探す癖がついている人は、さらに生きづらく感じることもあるのかもしれません。
でも、彼らが自分との戦いに挑戦して、今の自分が、過去に自分を信じ続けた結果であること、その強さはやはり尊敬に値することだと思います。

東大や難関校ではなくても、自分の志望校に合格するということは、その学歴を手に入れることだけに価値があるのではなくて、そこに挑戦しようと自分と戦う、その過程にも十分価値があるのだと思います。

親が子供に自分の価値観で志望校を押し付けたり、親の世間体のために受験させたり、このままでは合格できないと怒ったり。
そんな動機づけでは、到底最初から勝てる戦いではありません。
もしそれで勝てたとしても、そのあと崩れてしまう可能性は高いです。
私の知り合いでも、難関校に合格はしたが2年生で自死してしまった子、親が住んでいる家に放火して家族を殺してしまった子もいます。
そんなことになったら取り返しもつきません。
だからと言って、ただやみくもに褒めているだけでは、自己認識が歪んでしまう場合もあります。

親が、適切な伝え方で親の希望を伝えながら、上手にその子の希望が叶えられるように導いてあげるテクニックを持つことが、受験という戦いを勝ち抜いて、親子共にとってベストな結果を引き寄せる大きな力になるのだと思います。
そのために、まずは親自身が世間体や周りの情報に振り回されず、しっかり自立した自己を持つことが必要であると思います。



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