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山を二周した話

おはようございます。こんにちは。皆様、年が明けて幾日か経ちましたが正月太りで堪えてますか?私は二キロ育ちました。まだまだ成長です。ユキヲと申します。

先日投稿した日記の途中で止めた話をしようと思います。
あれは三年程前に晴れて大学生になり、ウキウキで教科書を取りに学校へ向かいました。
私の大学の直ぐ側には、そこまで標高が高くない山がございます。普通に登っても2時間あれば頂上と呼ばれる途中経過地点がありまして、まだ登れそうな本物の頂上が見えました。
そうです。衝動という私の悪癖が出まして、山道から離れて天辺見てやろうと思い、足を動かしました。

二時間程、いや記憶が曖昧なのでどれだけ歩いたが定かではないけれど、大体はそのくらい。
大概の人間は其程歩けば、況してや山道を徘徊しているならば引き返すのが普通であろう。

毎回初期衝動で行動する悪癖は即急に治すべきと思う。

末に辿り着いた先には文字通り何も無い木々が伐採され尽くした天辺だった。正直分かってはいた。分かり尽くしていた。その頂の風景ではなく、何も埋まる筈のない空虚に。

だが性懲りもなく、悪癖は続いた。歩き続けてしまった。はっきりと、明白に、確証を持ってその時の記憶や感情は覚えていないが、自分自身である、この僕だから言える其の時の内情が「この先には何か在るだろう。」だ。

結局ロードマップを無視した経路を歩み呆けた成果は峠道に着いた阿呆が居た。それだけだった。

流石に日も傾き始め、アホの僕でも夜の山に滞在するのは危険なのは分かっていたので、駅までの道程を調べようと思い、Go○gle先生の頼りにしたが圏外。アンテナ一つも見えない。流石に血の気が引いた。春先と言えど太陽が落ち出せば数時間で暗闇。街灯なんて以ての他だ。

辺りを見渡すと、物珍しそうに此方を見ている恐らく筍農家であろう爺さんが居た。そりゃレアケースだと思う。人の気配の無い山で、学生が迷い混んでいるから。

人見知りが激しい僕だが、この際、そんな場合じゃなかった。この時の台詞と相手が放った言葉をしっかり覚えている。

「すみません。○○駅まで行きたいんですけど、この峠下れば近いですか?」

「兄ちゃん、この道進んだら真逆やで。山登らな。」

僕は安堵と落胆が二重螺旋した自分の語彙では形容出来ない感情になった。

帰れる、という胸を撫で下ろす気分と
また登るのか、という疲弊感と自業自得の悔恨

その先の記憶は余り無い。正規ルートから帰れたのは覚えている。あと駅に着いた時間が二十時を過ぎていた事も。


途中で文章のスタンスが変わって仕舞い、申し訳です。このような書き方に対し苛立ちを覚える方もいらっしゃる事でしょう。
執筆途中で敬愛して止まないアニメを見て仕舞ったので、口癖というか、作者の手癖の様な文になりました。

そうです。言い訳です。私は言い訳が嫌いです。

多分次はこんな事しないです。

それではまた。

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