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こころの居場所


幸せは、どこに住むかではなく

こころの居場所によって決まる

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田舎で生まれ育って、いまは東京に住んでいる。毎月地元に戻り、一週間くらい滞在する二拠点生活を送っている。


田舎で暮らす私
都会で暮らす私


どっちの方が幸せなのだろうと考えたとき、「どっちも幸せだなぁ」というのが正直なところだ。


田舎には、家族がいる。ばぁちゃんがいて、甥っ子に姪っ子、犬もいる。夕焼けを眺めながら、ばぁちゃんと弟(無職)と犬の散歩に行くのが日課だ。草木や土、風のにおいを感じる。いきなり兄が庭でBBQをはじめる。ゾロゾロと家族や友人が集まる。夕食にはいろんな人からのお裾分けが並ぶ。お月さまと星がきれいだ。ばぁちゃんと夜空を眺めながらよく会話をしたっけ。食堂に行けば「あら!あんたでっかいねー。どこの人だい?」と声をかけられる。「大浪です」と言えば、「大浪さんのじーちゃんにはお世話になったんだ」などと言われるので、「そうでしたか。いつもすみません」と謝る(大浪の人間がろくなことをするわけがないので、身元がバレたら謝るというのが処世術)。だいたいのお店は商売っ気がない。今日も山が、空がきれいだ。車で20分もあれば温泉街とスキー場がある。海は遠いけれど、水の綺麗な湖がある。海水浴ならぬ湖水浴。冬は長くて雪が降る。雪景色は、私の一番好きな風景。どこに行っても混んでいることはない。


都会には、好きな本屋さんがある。本屋さんは私にとってのパワースポット。本の品揃えが自分のあたまの中のようで、思わず店主と握手をしたくなる。好きなカフェがある。いつも来ているカフェには大きな窓があって、木々を眺めながら、文章を書いたり読書をしたりしている。人の目があることでシャキッとできて、自分のことを好きになれる時間。好きなハンバーグ屋さんがある。学生のころから通っている。家族でも同僚でも友人でもない、ほどよい距離感の人間関係がある。大きな美術館がある。李禹煥の作品が見れる。あたまのなかで考えていたことが立体的になる瞬間。小さな映画館がある。ハリウッド映画が身体に合わない私も映画を楽しめる。友人がいる。ここに出てきたらから出会えた大切な人たちがいる。いつも私の視野を広めてくれて、視座を高めてくれる。ばかにみたいに笑い合える。なにより、大好きなパートナーがいて、二人で暮らす家がある。なによりも誰よりもエネルギーを受け取っている。

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田舎と都会で、どちらか良いとか悪いとかはなくて、でも私が感じるエネルギーの質は異なっていて、そのどちらも、私には必要なもの。どちらに住む「わたし」も、とっても幸せだ。

物理的なものは十分条件でしかなくて、必要条件はなにかというと、精神的なもの。

自分の居場所というよりも、こころの居場所なのだ。


うき|片づけ思想家
片づけ、心理学、脳科学、宗教学、哲学、コーチングなどを独自に研究し、”本来性に還る”片づけのコーチングを行なう。 思想家。随筆家。月6日しか働かない「余白のある暮らし」を実践。真理のための集まり「小さき家」主催。詳しくはこちら

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