珈琲の足音
なんだかよく分からないネルドリッパーで遂に家ネル。(働いている珈琲屋さんはネルドリップなのですが)
ステンレスの針金で自作したネル金具、金具だけだとなんとなく冷たい感じがしたのでそこら辺の麻紐を巻いてみた。
着想はこちら、いまだにリビングに飾ってある高校の課題で作った手のオブジェ『FOX!!』(アホさ全開である)。立体苦手なので「キーー‼︎」と勢いだけでグルグルやったらなぜか代表として展示された。人生ってよく分からない。
今まで頑なに家でネルをやらなかったのは、以前バリスタだった時にとにかく数こなそうと、良かれと思って他のカフェでも働き始めたら、台の高さやタンパー(珈琲粉を押す器具)の違い…微妙な違いで感覚が狂ってしまい、メインの店で満足のゆくエスプレッソがおとせなくなってしまった事があり
また感覚が狂ったらやだな…ずっと怖気付いていた。弱虫だった。
アナログ人間なのでマシンと対峙するエスプレッソは元々向いていなかったかもしれないけれど、諦めてしまったのは自分の努力不足。
ネルドリップももう5年もやってんで、これでダメなら本当にダメだなーという諦めのような気持ちと気紛れでネルを拵えてみた。
何か『作る』をしていないと落ち着いていられない自分にとって、本体から自作できるのはとってもありがたい。
バリスタの時と違って、今回はどこの感覚がいつもと違うのかちゃんと分かるようになっていた。アナログだからかもしれないけど。
湯が粉と触れ合う時の音、チャっ…チャっ…て。雪が落ちる時や鼠が忍び足するような些細な音をキャッチしたら、あとは対話をするように。
ネルを持つ左手に伝わる湯が落ちる時の微かな振動が心地良い。
「“珈琲の足音”をちゃんと聞き取れる時は、上手に抽出できている時」と後輩にアドバイスしておきながら、ここしばらく(抽出できるようになってから年単位でかもしれない)ちゃんと聞こえていなかったような気がした。
忙しい時も落ち込んでいる時も“珈琲の足音”を聞くようにしたら、前よりも想像通りの珈琲液が落ちてくれるようになった気がする。
蒸らして、じんわり沁みてきて落ちてくる液体の濃度がトロリと濃くなった。
それでもまだまだちょっと悔しいのは、自分が足りていないのと気持ちが急いているせいかもしれない。
教えることは本当に苦手で非常に迷惑な先輩で申し訳ない限りだけど、教えることで気づくことがたくさんあって、教える立場になれたこと、聞いてくれることにもっと感謝しないとな。
あまりアツいタイプの人間でないので血のにじむ努力で我武者羅に頑張る!!とは言いたくないけど、あまり比べず自分のペースでまたじわじわゆるゆると深めていければなと思う。
ネルドリップは手間も時間もかかり時代と逆行していると店主は言うけど、繰り返し使えてゴミも少なく、“その人にしか出せない味”という価値がある。今よりさらに一歩先の未来には逆にとっても合っているのではないかなぁと個人的には思う。
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