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ニンゲン狭間に迷い込む

ウルトラマンの世界では怪獣、宇宙人は悪だ。

町を破壊し、世界を追い込み、自分たちの衝動に素直に従う者たち。

それを破壊光線で粉砕する銀色のヒーロー。
ほかの仮面ライダーやスーパー戦隊とは何か違う。
どこか神秘的なヒーロー。

ニンゲンの正義の象徴。

これはまっとうな意見。

そして、23歳にもなってウルトラマンが好きな僕は、

「もっとしっかりしなさいよ。」といわれても仕方ない。

これはまっとうな意見。

なに一つ間違っていないし、むしろこれに反論はしてはいけないのではないかとすら思うほどの自然の摂理に近いかもしれない。

宇宙空間には酸素は存在せず、宇宙線や有害な放射線が飛び交い、命のかけらも見当たらず、ニンゲンは住むべきではない場所である。

でもこれが間違っているとしたら。

まっとうがまっとうではないとしたら。

1.母猿断腸

まっとうな意見は絶対にこの人間の社会の中でまかり通るべきだ。
誰が何と言おうと正しいことは正しくて、間違っていることは間違っている。白は黒に非ず、黒は白に非ず。

いけとしいけるもの。紀貫之も言っている。(日本最古の引用)

いけとしいけるすべてのものは見ている方向を一にする。

上とは絶対に空を指し、下は絶対に地面を指す。

水に潜れば苦しいし、顔を殴られれば腹が立つ。

鳥の群れの一群が同じ方向に進んでいくように、イワシの大群が逃げまどいながらも一糸乱れぬ動きをするように、人間も正しいといわれる方向に一斉に歩くのが動物としての本望なのかもしれない。

例えば、僕がここで頭を90度傾けて、

「世界の向きはこれが正しい!」と主張を始めたら。

世界でオンリー1の主張を聞くものは誰もいない。

それはまっとうじゃないから。

では、人間の縦と横を決めたのはいったい誰か。

最初のまっとうを決めたのは誰か。

2.苦しい狸 ーうその寓話1ー

例えば冬の北海道の動物園。

ライオンはコンクリートの冷たい床に寝転がりながら、人間のエゴのもとで毎日新鮮な飯と水を得る。

満腹の彼はのそのそ歩きながらあくびをかみ殺す。
サバンナであればシマウマをかみ殺すところだが。

膨らんだ腹を撫でて、彼は一言。

「ああ、退屈。」

狸は広い広い冬の森を歩き回る。今日か明日の命か知らず。

落語の死神のろうそくのように、穴倉の中でいまにも消え入りそうなわが子命の灯のために、彼女は必死で心臓を弾ませる。

ご飯を探して、彼女は言う。

「ああ、苦しい。」

どちらが幸せでどちらが不幸か。

どちらが不幸でどちらが幸せか。

僕たちに決める権利はあるのか。

3.ものごとは多面体

日本で生まれたライオンが果たしてサバンナを駆け回りたいと思うだろうか。

地球で生まれた僕は、なぜかM87星雲をあこがれる。

どうせたどり着かないのに。そこに光の国はないのに。

光線などでないのに腕を十字に、L字に組む。

M87星雲がガスの塊であることを子どもに教えることはまっとうか。

ライオンはどうなのだろうか。

一面が真っ白に埋め尽くされた白銀の世界をあこがれるだろうか。

そこには彼が知らない白い獣がいるのだ。

重力が16分の1の月面を飛び跳ねまわりたいと思うだろうか。

彼が月ではねた途端、月は人間のものでなくなるのだ。

永遠に砂が連なる砂漠の中の、巨大な三角錐の墓を見たいと願うだろうか。

自分をかたどった人間たちの神を彼は目の当たりにするだろう。

彼は人という恐ろしい獣によって道楽で殺されている自分の親戚を思って、焼香を上げるだろうか。

彼にそれをさせない人間はまっとうか。

知らないことは幸せであり、知ることは不幸なのではないか。

うそは人を幸せにする。

ものごとはさいころの多面体のように多くの面を持つ。

表裏一体もまた事実。

4.どうぶつおだぶつ ーうその寓話2ー

狸はふらふらになりながらとある場所にたどり着いた。

そこはニンゲンの言葉では「ドーブツエン」というらしい。

そっと、檻のそばから中をのぞくとニンゲンは見たこともないほどに首の長い馬の化け物に餌をあげていた。

狸は心の底からうらやましかった。

そして、考えた。

なぜ自分は食い物をもらえないのだろう。なぜ自分は子どもとの時間を過ごせていないのだろう。なぜ私は母親と一緒に過ごした記憶がないのだろう。

わからない世界の吹雪の中で、少しわかったことがあった。

あいつらと私たちは違うということ。

ニンゲンにとって。

いつのまにか。

その時。

見たこともないほど足と首の長い化け物の子どもが母親にじゃれついていたのを見た。

わが子の顔を思い出して、急いで穴倉へと駆け戻っていく。

何ができるわけではない。ただ、抱きしめたかっただけである。

穴倉で子どもは狐に喰われた。

狐は心の底から安堵した。

腹が膨れたからではなかった。わが子を思ったからだった。

5.浮かぶ言葉の救いよう

まっとうとは何か。

うそとは何か。

悲劇とは何を指し、エゴとは何を言うのか。

養豚場では豚の子どもが死なないようにヒーターであっためてあげながら飼育をしているところもあるようだ。

家畜は死なない。

野畜は死ぬ。

そこに差はない。しいて言うならニンゲンが喰うか喰わないか。

あるのはニンゲンの判断だけ。それはまっとう?

他者の子どもを喰らうこと。それはまっとう?

しかし、人間の判断は単純で短絡的である。

複雑すぎる文章を読む人はいない。

理性とは。

理科の実験で火を近づけて初めてそこにあるとわかる酸素のように、降っても降っても消えていく雪のように、死んでも掘っておかれる狸の亡骸のように、消しても消してもまた生まれる戦争のように。

意識を向ければそこにあり、気づけばなくなる。

なくなったことに気づいたときはもう手遅れだ。

救いようのない言葉と浮かんで消える言葉の数は比例する。

6.不格好な優しさたち

自分で自分を殺すこと。そうなったのは誰のせい?

誰がまっとうだから。まっとうじゃないから。

目には目を歯に歯を(世界最古の引用)

まっとうな世界にまっとうな人間を。

家畜も野畜も鬼畜に従う。

弱いから。そして、誰よりも優しいからである。

7.つられてきたのはニンゲン狭間

そんな僕はまっとうじゃないがまともである。

価値のある無価値である。

美しい醜さを持つ、知的な無教養である。

まじめな風来坊で、障害を持つ健常者、男で女で貧乏な金持ち。

狭間にずっと住んでいる。

ドウブツでニンゲン。ニンゲンでドウブツ。

ニンゲン狭間を探し当て、ニンゲン狭間を抜け出して。

ニンゲン狭間を挟んで両者は互いをののしる。

ニンゲン狭間の住民は、目のない顔を上げる。

何も映らない目の奥底にはドウブツニンゲンが立っている。

ショクブツニンゲンとの対比はあまりにも残酷なのだろうか。

今日の言葉遊びはここまで。

ぼくもどうぶつ。

まわりまわって、世の中が幸せになる使い方をします。