強い世界

ある日。

テレビ局に一通の手紙が届いた。数分後にはゴミ箱に投げ捨てられる運命であるその手紙は次のとおり。

恐怖に慄かない社会に私は恐怖を抱く。
季節は進んだ。北半球は枯れていく。紅葉の色が濃くなっていく。

それは美しいのだが、私には恐怖なのだ。

なぜ誰もまた春が来ることを疑わないのだろう。

もちろん春が来ないのではないか、と疑うことはあまりに意味のないことではある。

しかし、私にはそれを疑わぬ強靭な社会が恐ろしい。私だけが社会の中で取り残されたようではないか。

何も幼い頃から怖がっていないわけではない。小さい頃は考えもしなかった。明日が来ることも疑うことなく受け入れていた。

しかし、今は違う。

幸せな家庭がある。

広い家とやりがいのある仕事に、地位を手に入れている。

妻にはいえぬが女も何人かいる。愛人というやつだ。

しかし、ある時から私の頭を離れないのだ。

明日が来ないのではないか。もう春は来ないのではないか。

なぜだかなど知ったことではない。

朝目を開けて太陽の光が窓から差し込んでいる時に、その光が放射能の光なのではないかと恐る恐るカーテンを広げる。

その恐怖は団欒の最中にも、女を抱いている時にも去来するのだ。

いかに化学が進んだ現代においても、絶対に春が来ると言い切れない。

なんたる不安定な世界だ。私はもう耐えられない。


「最近こういったことを言う奴が増えているんですよ」

若い男は少し歳の離れた初老の男に言う。

「困りますよね。終末論って言うんですか。確かに世の中は不公平ですが

初老の男は少し首をかしげる。

「そんな単純なものだろうか。そもそもこれまでそんなことを疑う人間などいなかったのだ」

腕を組みながら男は言葉を繋いだ。

「それがある時を境に現れ始めたとするならば、それが何かの予兆ということも考えられる。つまらない憶測かもしれないが、この世界で1人でも本気で明日が来ないのではないか、と呟き始めたら終わりが近づいているのかもしれないな」

まわりまわって、世の中が幸せになる使い方をします。