窮すれど…
『論語』衛霊公篇の二章め(解説者によっては一章め)は、こういう内容である。
陳の国にいた時、食糧の補給が絶えた。つき遵う弟子たちは病み衰えて、立ち上がることもできなかった。子路が憤慨して対面して言った。「君子も困窮することがあるのですか。」先生は言われた。「君子もむろん困窮することはある。小人は困窮すると自暴自棄になる」。
原文の「子路慍りて見えて…」の「慍」は、「いきどおる」や、「嘆く」という意味なので、多くの解説書のように、ただ怒っただけでなく、嘆き、憂いていたのではなかろうか?
この時の状況は、『荀子』宥坐(ゆうざ)篇にもあり、「遇と不遇は時なり」とされている。
こんなに困窮しても、蝿は食べなかっただろうなぁ…って、蝿は、はぁええ(注:熊吉の住んでる辺りの方言で、「もういい」の意味)わ!
おあとがよろしいようで…😅。
🐻
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