諾
昨日、片付けをしていたら、30年くらい前に買った『中国古典名言事典』が出てきた。
それをパラパラめくって読んでいたら、「老子」から引用された、こんな言葉を見つけた。
「軽諾は必ず信寡(すく)なし」。
軽々しく人に承諾を与えることは、結局、信義を欠くことになりがちである。承諾どおりに実行できない場合があるからである。
それと反対なのが、『論語』顔淵篇のこの一章である。
子曰く、片言以て獄(うったえ)を折(さだ)むべき者は其れ由なるか。子路宿諾なし。
「獄」は裁判、訴訟のことです。「折獄」とは判決を下すことです。一言のもとに判決を下せるのは子路くらいのものでしょう。これは子路が裁判官となったときのようすですが、逆に裁判を受ける側のとき、子路は正直なので、彼の一方的な供述で、判決が下されたというのです。
「子路に宿諾なし」という語も、古注と新注ではちがってきます。
----宿(あらかじ)め諾することなし。
安請け合いしなかった。これが古注の読み方です。
----諾を宿(とど)むるなし。
承諾したことはすぐに実行したと、新注は読みます。
これほどの解釈のはばを比較してみることは、読者にとっては楽しみでもあります。
『論語抄』陳舜臣・著より。
中国人の「諾」の解釈って、面白いな😄。
🐻
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