去っても疎くならず
昨日、「去る者は日々に疎し」という投稿をしたが、去っても疎くならない事もあるかも知れない。
孔子は、五十五歳頃から約十四年、各地を放浪したが、子路(と顔淵)はずっと師のそばにいた。
孔子が六十八、九歳頃、別の弟子によって、ようやく魯国に帰った時、子路は、衛国の一部・蒲の宰(長官)になって、師と別れた。それでも、孔子は子路を忘れた訳ではなかっただろう。たまに里帰りでもしたら、「朋有り遠方より来たる、また楽しからずや。」という気持ちになっただろう。
事実かどうか分からないが、『孔子家語』に、孔子が蒲を通りかかった時の話がある。
領内に入った時、進んで邑(むら)に入った時、邸に入る時、三回褒めたので、彼に会ってないのに、何故褒めたのか子貢が尋ねると、「田畑ことごとく治まり、荒れ地も開墾され、邸では、皆命に従い、政が乱れないからだ」と。
さて、「去る者は日々に疎し」には、死んだ者は、日々に忘れられていく。という意味もあるが、孔子の弟子たちは、師の亡くなったあと、忘れるどころか、日に日に思い出が蘇ってきて、生前の言葉を書き記したのが、『論語』の原型である。
その後、孫弟子、そのまた弟子に受け継がれて現在伝わる形になったのが、孔子の死後約300年経ってから!スゴいぜ、孔子!😁。
🐻
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?