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カラオケ文化の日

 今日は「カラオケ🎤文化の日」だそうな。

 カラオケ🎤とはあまり関係なさそうだが、『論語』述而篇から、この一章を。

マイク🎤指って…😅

 「子、喪ある者の側にて食す」とは、他家の葬式の手伝いに行ったときのことと説く。手伝いとして立ちはたらくためには、食事を取らなければならない。しかし、その食事は、親、つれあい、兄弟、その他近親を喪って、悲しみにひたる者のそばで取られる。かつ礼のおきてとして、喪主自身は充分の食事を取ってはいけないのである。そのそばでの食事であるから、「未だ嘗て飽かざるなり」、腹一ぱい食べたことはなかった。また孔子は、他家へ弔問にゆき、弔問者の礼として、声をあげて哭いた日、その日は家に帰ってからも、歌を歌わなかった。
 前者は、他人との間に調和を保とうとする心情であり、後者は、自らの感情に不調和をつくるまいという心情である。
 (『論語 上』吉川幸次郎)

 この上のマンガで、孔子や子路たちが白い着物なのは、色を塗り忘れた訳ではなく、昔の中国の喪の色が白だったからである😅。

 多分、去年の今日載せたのが、↓コレである。😁

カラオケ🎤大会?

 同じく述而篇から。
音楽を尊重した孔子は、すぐれた歌と思うものがあった場合には、いつもきっとそれをもう一度うたわせ、そのあとで、自分もそれを唱した。もう一度うたわせたのは、それに対する賞賛を、たしかめるとともに、やがて自分も、その美しさに参加して、合唱するための準備を、ととのえようとしてであったと思われる。小さな生活の記録であるけれども、孔子の人柄を象徴すりは章である。(引用は、同上)    

 見出し画像の孔子が熱唱しているのは、里見浩太朗さんの「流れ坂」 😁。小指が立ってますな😁。    🐻

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