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産めた日の話

結婚して7年目でようやく授かった我が子が可愛い。
文字通り待ち焦がれて、頑張ってきて、産めた。
あっという間に10ヶ月が経とうとしている。

出産に対して不安だったのは
⚫陣痛や破水に気付けるのか
⚫体力が無いので本当に産めるのか
⚫どれくらい痛いのか
ということだった。

予定日より2週間早く時は訪れた。
散歩から帰り、夕飯(テレビでみたロバート馬場ちゃんの簡単タルタルソースのレシピだった)を作り、ちょっと休憩しようとソファに横になったら…
破水した。

慌ててトイレに駆け込み、確認をして、どうやらこれが噂の破水だぞと思い、下の階にいる夫に電話をかけた。
家の中にいるのに電話をかけたものだから、間違いだと思ったようで(しかもビデオ通話をかけてしまった)、夫は全然真剣に聞こうとしなかったので、半ばいらつきながら、とにかく早くここに(2階に)きて!と訴えた。

その後、病院のマニュアル通りに電話を入れ、きっと破水だろうから病院に来ていいよと言われたので、部屋に広げて準備していた入院グッズたちをいよいよ最後のパッキング。

近くに住むわたしの両親に連絡をとり、車を出してもらって病院にむかった。
早速お腹が締め付けられるように感じ始める。

コロナ禍のため、付き添いも立ち会いも認められず、産科病棟の自動ドアの前で夫と別れ、出産という未知の世界への道を、前をゆく助産師さんの背中に縋る思いで踏み出した。

妊婦健診で、院内感染してしまう菌の保持者だと判明していたため(すみません、詳細は説明できませんよくわからなくて)、陣痛室も分娩室もなんのことやら、案内された真ん中にででーんと分娩台になるであろう椅子のようなものが設置された部屋とそのむかいの御手洗にしか行ってはいけないと言い渡された。

はじめの夕飯は全部食べた。
美女と野獣のサントラや、嵐の好きな曲セットリストを前日にたまたま作成していたので、ひとりの時間を聴きながらリラックスして過ごす。
まだ部屋の中をぐるぐる歩き回れた。

この時早くも足がパンパンに浮腫んでいた。
この後ひたすらお世話になる真っ白い着圧ソックスを履かせてもらって、御手洗に行って、なんかもう痛いんだけどこれ陣痛?みたいな状態。

破水してすぐ病院に来てしまったので、
陣痛が何分間隔なのかもわからず、
ひたすら突然くる痛みに絶えるという繰り返しで一晩を過ごした。

夜中の3時頃、どこかで赤ちゃんの産声が聞こえ、あぁ自分ももうすぐかな〜楽しみだな〜もうすぐ会えるね〜と思い描いていた。それがまだまだ半日も先だったということは、産んでみて知った。

「うとうとしながらも、お腹の張りが辛くて起きる」を何度も何度も繰り返し、翌昼11時の診察で子宮口6cmまできたけれど、赤子が降りてこないから陣痛促進剤を使いますとのこと。

ここまでは立ち合えない夫や母に連絡を入れていたが、そこから先はもうダメだった

とにかく痛いのがくる。
うぅーーーーーーーーーと唸り声をあげる自分。
職場の先輩に、とにかく目を開けていきむこと!と何度も教えてもらっていたので、ひたすら目を開けて息を続ける。

途中、水分補給させてもらうときだけ外して、それ以外はずっとマスク着用。
ただでさえマスクが苦手なので、これは本当に辛かった。

呼吸がつらいので、謎に右の拳をぐるぐる回しながら息をするタイミングを掴んでいたことを覚えている。
痛みがひくと気を失ったように寝て、痛みでまたうぅうぅ唸りながら苦しむ。

子が廻ると、子の心音モニターの音が途切れるので不安になる。
そして痛い。ぎゅーーーっとなる。息が詰まる。

運ばれてくる病院食なんて痛くて痛くて食べる余裕がなく、それでも食べないと!と言われて参った。
ジョアだけ飲んだ。剛力彩芽が目の裏を舞っていた。
あとは持ってきたゼリー飲料をなんとか飲み続けたけれど、普段感じたことの無い甘味の強さが辛い辛い。あれはトラウマになる味だった。

ようやく14時すぎくらいから子宮口全開と言われ、いきみ始める。
いままでの痛みはなんだったのかと思った。
これから?!まだ?!さらに?!と思った。
声にならない「わたしに本当に産めるのですか…」連呼。
何度も助産師さんや看護師さんたちにぶつけたかったこの言葉。幸か不幸か声も出せずに呻いていたから、聞かずに終わって産めていた。

いきむのは上手いと褒められ、こんな時でも褒められるとやる気が出るのかと頭の片隅でぼーっと思いながら、とにかくもうすぐ会えると信じて信じて言われた通りにいきんだ。

最後、赤ちゃんが出やすいようにお手伝いしたいので切りますね〜と言われ、そんな言い方されたらNOと言えないと思いながら了承。

15時50分ごろようやくようやく出てきてくれました。

子は小さくギャッと泣いて、そのあとは泣き声がしたのかどうか。
呼吸が弱く、小児科の先生が駆けつけてくれたタイミングで良くなったそう。

とにかく皆さんに御礼を言い続けていたことを覚えている。感謝しかなかった。
自分も頑張った。
産めたーーーー!!!
痛かったーーーー!!!!
長かったーーーー!!!!!
嬉しかったーーーー!!!!!!
良かったーーーー!!!!!!!!
ありがとうーーーーーー!!!!!!!
って思った。

縫われている間、子の計測などされて、
ようやくご対面。
まっかっかの小さな赤ちゃん。
わたしの子。
不思議。
もうお腹にいないのね。
と思いながら小脇に抱っこ。
助産師さんが立会い出産禁止に配慮して、写真をたくさん撮ってくださいました。

夫は立ち会えなくても仕事終わりに駆けつける気まんまんだったけれど、仕事が終わる前に産まれてしまい、電話でつい謝ってしまった。

そのあと、夫はテンションあがって好きなものを食べてやるー!となったらしく、近所のスーパーで寿司と唐揚げをゲット。
ひとりで祝うも、そのスーパーの寿司はサビ抜きで売られており、拍子抜けしたと後日話していた。
面白い。

わたしはそのまま隔離個室へ運ばれて、厳重隔離の入院生活がスタート。最初のトイレは怖かったなぁ。
身体中プルプルして久しぶりのご飯を食べるのもやっとだった。
その晩は高熱が出て、みんなのLINEに返信するのが辛かった。

わたしの大事なお友だち達がかわい子ちゃん達を出産したときは、毎度その日のうちに面会させてくれていた。
あれってものすごいパワーだったんだなぁとあの晩みんなへの尊敬がムクムクと膨らんだ。

わたしなんて、体力無さ過ぎて、緊急事態宣言下で良かったと思ってしまった。

産めたーー産めたんだ!わたし産んだんだ!!!と興奮していてなかなか寝付けなかったけれど、からだは疲れきっていたので寝ていた。

産む前日には、
記念にとお腹が大きい写真を自撮りして妹に送り、
産んだ日の朝に父が、母が炊いた赤飯をお福分けで届けてくれて、お昼に食べて、
散歩に出たら、それまで全然会えなかったご近所さん親子にお腹をみてもらい、
夫と朝から一緒に過ごしたなんだかいろいろといい日だった。

そして持ち物に時計とあったので、
使い慣れた腕時計を持参したら、
大好きなSKAGENが産む日で止まっていた。
あー不思議。

産まれるべくして産まれてきてくれた日でした。
ありがとう。

というただの記録。

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